北の無人駅から

著者 :
  • 北海道新聞社
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感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (791ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894536210

作品紹介・あらすじ

単なる「ローカル線紀行」や「鉄道もの」ではなく丹念な取材と深い省察から浮き彫りになる北海道と、この国の「地方」が抱える困難な現実-。新たな紀行ノンフィクションの地平を切り拓く意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 北海道の過疎地を訪ね、そこで暮らす人々にじっくりと話しを聞き、その地域の現実や課題を深く掘り下げていく本。タイトルがなんか軽いんで、ありがちな、過疎って大変だよね〜でも自然っていいよね〜こんなとこにも面白い人がいたよ〜みたいな適当な本かと思ったらそんなことはありませんでした。過疎・農業・漁業・自然保護・観光・地方自治、そして人・家族の歴史。筆者はフェアな態度と誠実かつ愚直な重量感のある取材力で課題を深堀りしていきます。多くの課題は北海道に限らない課題でしょう。それらの課題について、ぼくは何も知らなかったんだな、、、、と思いました。とても勉強になったのと、筆者のこの本に賭けた熱い思いが伝わってきたので五つ星です。

  • 単なる「ローカル線紀行」や「鉄道もの」ではなく丹念な取材と深い省察から浮き彫りになる北海道と、この国の「地方」が抱える困難な現実―。新たな紀行ノンフィクションの地平を切り拓く意欲作。(Amazon紹介より)

    この本を手に取ってまず思ったのは「重い!」ということです。800ページ近くに及ぶ、物理的な意味での分厚さもさることながら(読了まで3ヶ月かかりました汗)、驚くべきは内容の深さです。章ごとに漁業・農業・観光産業・政治問題・環境問題…実に多岐に渡るテーマを取り上げ、その一つ一つについて丁寧に調査・考察しています。なお、各テーマに共通するのは、タイトルの「無人駅」という言葉からもわかるとおり、地方の過疎化の問題です。この本は、北海道を愛する筆者が長年の取材を経て描いた、社会問題に直面する過酷な北海道の姿です。「観光地として華々しい北海道だけじゃないんだよ」という思いがひしひしと伝わってきました。
    私は「フリーライター」という職業にあまり良いイメージがありませんでした。自分の主張や思想を貫くために、ときには立入禁止の場所へ行き、ときには迷惑なインタビューをし、結局自分の主張に都合のいいことを書き、デメリットに対することは放り投げ…という漠然とした印象があったからです。しかし、この筆者は何かを主張するというよりは、淡々と現実を調べ上げ、伝えることに注力しようとする姿勢を感じます。その点がすごく好印象でした。先日読んだ「いちえふ」といい、最近ルポルタージュの良作に巡り会えて嬉しいです。

    最後に、この本を通じて最も心に残ったことは「なぜあなたは◯◯に住んでいるのか」という何気ない問いが、実はすごく考えさせられるフレーズだと思ったことです。都会は便利で住みやすく、田舎は不便で住みにくいという考えはあくまで都会に住んでいる側の勝手な考えであり、田舎の人は田舎の人で全く別の視点から、田舎の住み良さを感じている。要はどちらも「住めば都」というわけで、一方で問題もあるわけで、この質問自体がとても無知で失礼なものなんだなと感じました。

  • 北海道の、それも限界集落に近いところについて丹念に調べて著した本。よくここまで調べ上げたな、というのが率直な感想です。数冊に分けて出版しても良いような内容の濃さです。

    6つの無人駅の周辺から様々なことを描き出していますが、鉄道や駅が中心というよりも、そこに住んで生活している人が中心の話です。

    個人的には唯一無人駅ではない、雄冬の話しが良かったです。

    それと、これほど、補足というか、脚注が充実している書籍は今まで見たことがないです。


    第1章:室蘭本線小幌駅
    親子二代で駅に勤めた国鉄マンの話しが記載されているとは知らずに驚きました。活気があった頃の話しも出ており、興味深かったです。また、両脚を切断された漁師の話がとても印象的でした。
    また、ホタテが昭和40年代に養殖に成功してから、これほど食卓に上るようになったと、初めて知りました。

    第2章:釧網線茅沼駅とタンチョウの保護について。タンチョウは保護してエゾシカは殺すのか。自然保護と人間の生活はどう折り合いをつけていくべきか、様々な人の意見を交えながら、明らかにしていっており、読み応えがありました

    第3章:札沼線新十津川駅
    もはやこの章では、鉄道も無人駅もどうでもよくなり、現在の米生産の現場と問題点をあらわすにすることに主眼が置かれています。
    一方で、農業や米生産に関して知らないことが多かったのも事実で、新たに知ったことも多かったです。特に、おいしさと安全・安心は反比例し、おいしさを追求しようとするとある程度の化学肥料の使用は通常のことだ、とか、農薬散布と化学肥料をごっちゃにして考えていて、そもそも化学だろうが有機だろうが肥料をあげすぎると環境に悪いとか、言われてみればそうかと思うことを丹念に描いていました。
    また、新十津川は奈良県の十津川村の人達が入植した土地ですが、新十津川の人が十津川に行く話は感慨深かったです

    第4章:釧網線北浜駅
    打って変わって、この章は鉄道と駅が匂いたってくるような章でした。というか、この章のテーマは「旅」。北海道における旅の位置付けの変化を、まずは北浜駅の観光化という点から描いています。昔は、釧路湿原も、富良野も、美瑛も、そして流氷と冬の北海道観光も、全くメジャーではなかったという事実に、ただ驚きます。

    第5章:留萌本線増毛駅
    今では廃線になってしまいましたが、増毛を描いています。この駅は高倉健の映画」「駅 Station」で有名なので、当然その映画のことと、この街を語る上で欠かせないニシン漁。往時の繁栄のことが描かれています。さながら、記憶に埋もれた街。という印象を受けました。ちなみに、ニシンが綿花の肥料として重要だったとは知りませんでした。

    第6章:増毛町雄冬
    鉄道も走っていない雄冬の話。当然のことながら漁をするしか産業のないところなので漁の話と、この集落自体が「陸の孤島」であった時期が長かったのでその話。加えて、高齢化が進む中で、濃密な人間関係があるところでの高齢化がどのようなものなのかが記されています。漁師町だけに、とっつきにくい人が多いんだな。というのが感想です。

    第7章:石北線奥白滝駅
    すでに誰も住んでおらず、廃駅になった集落の話し。当然のことながら、開拓から繁栄、集落の終わりまでを描いていますが、それに加えて旧白滝村の合併話しに紙数を割いています。小さすぎる自治体と住民との関係。箱物に頼り、その結果嵩んだ借入金。そして、村の行く末を決める際の怨恨や権力闘争。こうしたものが如実に描かれています。

  • 自分が興味ある北海道開拓の話や、現代の北海道産業の問題点などが、実にリアルに書かれていてとてもいい本でした。図書館で借りた本だけど、これは手元においておきたいので買いますw

  • 北海道に住みながら、なんと私はこの土地のことをしらなかったのかと思わされる。いわゆる手垢のついた北海道のイメージではないこの土地の姿を教えてもらった。

  • はじめは無人駅という響きに惹かれて、鉄道の興味から読み始めたが、こんなひとつの駅から、こんなにも(鉄道に限らない)多様な物語があるのか、と唖然とさせられる。北海道の6つの駅を訪れ、その駅で感じた素朴な疑問を掘り下げていくことから、かつてその駅に関わったさまざまな人々の生き様が明らかになる。

    例えば、室蘭本線の小幌駅。
    『なぜこんなところに駅が…。誰もが疑問を抱きたくなるような場所に、その駅はある。室蘭本線「小幌駅」。駅のホームは、トンネルとトンネルの間のわずか87mの切れ間にあり、右を向いても左を向いても黒々としたトンネルが口をあけている。
    周りに家はなく、ただ海へ降りる道がぽつんと残されている。』

    実はかつて単線だった時代に行き違いの出来る信号区間を設けるための信号場であり、信号場で働く鉄道マンの家族が住んでいた。また、漁をして暮らす家々もあり、両足を失ったものの他のどの健常な漁師よりも腕のよい漁師が住んでいた暮らしがあった。昔その駅に関わっていた人の話を聞き、歴史をたずね、ひとつひとつその駅の来歴を明らかにしていく。

    800ページ強、ノンフィクションの真骨頂。
    北海道の最果ての小さな駅から、見えてくるものは、広範多岐にわたる。人々が駅の周辺を離れ無人駅になった理由には林業や漁業が立ち行かなくなったこともあれば、道路や鉄道が整備され都会に行きやすくなったこともある。人の話を聞き、豊富なデータでも物事の流れを追う筆者の手法はぐいぐいと引き込まれる。
    日本の経済の動きや自治、高齢化、農業の問題など、ありとあらゆる分野の物事が見えてくる。
    精緻かつ粘り強い取材によりかつてそこに暮らし、今そこに生きる人たちの暮らしをありのままに描き出してきた。
    章ごとにはみ出し情報が章末に単線区間のタブレット閉塞区間とはとか、詳しい情報も記載され、鉄道好きにも満足していただける内容になっているのもよい。

    あとがきに書かれた一文がまたいい。
    『本当のところ、鉄道も無人駅もさして興味はなかった。興味があったのは人だった。
    無人駅をテーマに、人を求めて旅をしていた。』
    無人駅から紡がれる人々のストーリー。
    しかし、留萌本線増毛駅は2016年12月に廃線になり、列車はもう来ることはない。新十津川駅を結ぶ札沼線もそう長くないかもしれない。。人が集まる駅はやはり特別な場所だと思う。何とか北海道の鉄道が残っていくといいのだが。。

    <目次とキーワード>
    「駅の秘境」と人は呼ぶ 室蘭本線・小幌駅
    →閉塞区間・両足のない漁師
    タンチョウと私の「ねじれ」 釧網本線・茅沼駅
    →自然保護、蝦夷鹿とタンチョウ、ガイドマップ
    「普通の農家」にできること 札沼線・新十津川駅
    →農業政策、個別所得制度、十津川村、米の品質の厳しさ、有機農業とは
    風景を「さいはて」に見つけた 釧網本線・北浜駅
    →ディスカバージャパン、カニ族、流氷
    キネマが愛した「過去のまち」 留萌本線・増毛駅
    →消えたニシン、町の栄華も一緒に。
    「陸の孤島」に暮らすわけ 留萌本線・増毛駅
    →雄冬。道路事情がよくなることにより、得たことと失ったこと。
    村はみんなの「まぼろし」 石北線・奥白滝信号場
    →住民投票、合併をめぐる村、原野を切り開いた村はまためぐる

  • 図書館。素晴らしい力作。とにかく面白い。手元に置いて再読したい。

    内容にはまったく文句がないが、章末の詳細な注について。これだけでもたいへん読み応えがあり面白い。グレイの紙に小さな字で四段組。びっしり書かれていて読みにくい。造本も(厚すぎて)バラバラになりそう。

    全七章で分厚い一巻になっているが、一章を一冊ずつ出してもよかったんじゃないのか。せめて三冊くらいで。

    カラー写真も素晴らしい。

    タイトルでノスタルジックな鉄道の話と誤解していた。勿体無いと思う。

  • 読み終わって「面白かった」、「感動した」、「人にも勧めたい」と思わせてくれる本はこれまでにも読んだことがある。しかし、読み終わって、「この本の値段では安すぎる、この倍は払っても良い」と思わせてくれた本は初めてだった。

    フリーライター渡辺一史が8年間にも及び全力を賭けて取材した結果が800ページ弱の圧巻のボリュームにまとめられている本書は、2,500円という対価では余りに安すぎる。

    本書はタイトルにあるように北海道の6つの無人駅を巡るルポルタージュであるが、無人駅はあくまで触媒としての役割に過ぎない。あとがきで著者はこのように独白する。

    「最後に白状してしまえば、私は無人駅にも鉄道にも、じつは大して興味はなかったのだ。興味があるのは人だった。無人駅をテーマにしながらも、私は人を求めて旅をしていた。」(本書p779)

    6つの無人駅が触媒となり、そこから紡ぎ出されるのは、今の北海道が抱える様々な問題である。タンチョウヅル等の自然環境保護と観光のバランス、北海道における稲作と政府保護の問題、漁業の衰退に伴う街の過疎化、市町村合併の流れにおける地方自治の有り方等・・・。その多くは北海道特有の問題というわけではなく、他の地方自治体にも通じているわけで、本書を通じて、今の地方自治体が抱える課題を極めて生々しく理解することができる。

    そして、何よりも著者が独白するように、6つの無人駅付近にある自治体で生き抜く人々の姿が、その人となりや生活様式がよく伝わってくるように描かれている点に感動を覚える。8年間という歳月をかけたのは、こうした人々とのコミュニケーションに著者なりの誠意で持って、”時間”を媒介にして、付き合ってきたからに他ならない。そうした”時間”がなければ、ここまで生々しい情報は得られなかったはずであり、そこにこそ本書の最大の魅力がある。

    また、膨大な量の注釈(恐らく注釈だけで50ページほどはある)には、上述の課題に関する基礎的なファクトが極めて丁寧にまとめられている。これも膨大なリファレンスから著者がまとめあげたということを考えると、やはり本書に2,500円以上の対価を払うべきだという思いが強くなるのである。

  • 寡作だが誠実な作品を出す北海道在住のノンフィクション作家。北海道の小さな開拓史を丁寧にすくい取る。こんな作品が書けたらいいなあと素直に思う。 (松村 教員)

  • 前作『こんな夜更けにバナナかよ』に続いて、これまた本当に素晴らしい作品。

    この作者は見聞きしたことや新しく考えたことを私たちと同じ目線に立って伝えようとする。それは「共に考えよう」という著者からの無言の呼び掛けであり、それに応ずるような形で私たちの思考も自然と開かれていく。謂わばこの書き手は思考の水先案内人なのだ。ただし、この船頭には目的地を目指す気がさらさらない。というよりも、そもそも目的地を知らないのだ。大団円のゴールを持たない代わりに、この案内人が私たちに見せてくれるものとは何か。それは読者一人ひとりが考えなければならない課題である。

    さて、本書では北海道の無人駅周辺に住む人々への丹念な取材を通して、彼ら一人ひとりの人生ドラマや生活史が語られている。ノッケから両足を失った豪傑漁師の伝説めいた話が出てきたりして、それだけで圧倒されてしまうだが、著者の本領はその先にあって、そこからさらに庶民の生活史を深く掘り下げていくことで各々の地域が抱えている問題を掘り起こしていく。

    それは環境運動家と地元民との対立であったり、農家と農協との微妙な関係であったり、地元の名士の死によって分裂した村であったり、抱えている問題は地域によって様々だ。普段語られることのないこうした複雑かつ豊穣な北海道の姿は、観光戦略(イメージ戦略)によって作られた「北海道の自然は雄大で美しく、食べ物も美味しい」といった安直で通俗的な北海道論に対する、著者なりの静かな異議申し立てだろう。お互い顔の見える濃密な人間関係が営まれている小さな農村において村を二分する住民投票を行うことの意味を考察した最終章には、思わずハッとさせられた。

    そして見逃せないのは、それぞれの地域が抱えるこうしたローカルな問題群が、そのまま日本社会を通底する問題群とも接続しているという点だ。著者の、個別具体的なものへの最大限の関心の注入と、それを普遍的なものへと昇華させていく根気強さには脱帽するほかない。その苦心の痕跡は行間から滲み出ているし、何よりも前作から8年という歳月が本書の難産性を物語っている。

    寡作でいい。これからもずっとこの作家を追いかけていきたい。

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著者プロフィール

ノンフィクションライター。1968年、名古屋市生まれ。中学・高校、浪人時代を大阪府豊中市で過ごす。北海道大学文学部を中退後、北海道を拠点に活動するフリーライターとなる。2003年、札幌で自立生活を送る重度身体障害者とボランティアの交流を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、後に文春文庫)を刊行し、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2011年、2冊目の著書『北の無人駅から』(北海道新聞社)を刊行し、サントリー学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、地方出版文化功労賞などを受賞。札幌市在住。

「2018年 『なぜ人と人は支え合うのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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