時空の旅人 後編: とらえられたスクールバス (ハルキ文庫 ま 4-4)
- 角川春樹事務所 (1999年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894564893
感想・レビュー・書評
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読んだのは角川文庫版。
アニメ映画化された作品。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ハラハラドキドキの展開が続いていたこの物語も、この巻をもってめでたく決着。このままだと、大事件として語り継がれるはずの出来事が「なかったこと」にされてしまう。それを避けるべく東奔西走する主人公たちだが、思わぬ自体が彼らを待っていた。「事件が起きなかった」時間軸から「時間管理局」メンバーに襲撃され、彼らは窮地に陥る。命からがら逃げ回る彼らに、思わぬところから救いの手が差し伸べられる。交錯する時間軸の前に混乱するメンバー。事件は解決するが、時間軸がずれたことで、彼らが負われる原因となった人間が「いなかった」ことになる。そしてやってくる別れの時。戦国時代に残ったメンバーが、その後どんな人生を送ったかはあえて明記されないが、その選択に後悔はないということを信じたい。現代に無事帰還したメンバーは、現代だったらネットで袋だたきに遭うだろう。作者が今同じテーマを取り上げたら、たぶん結末は違っていただろう。
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前編を8月23日、中編を9月22日に読んで、少し間が開いてしまいましたが、やっとのこと後編です。
ここまでは少し冗長というか、どちらかというとよくあるパターンで進んできたようなストーリーでしたが、後編は、さすがになかなかよく考えられており、思わぬ展開とエンディングが待っていました。
以前『白い不等式』を読んだときに思ったのは、どうもエンディングがあっさりしすぎているということですが、この話に限って言えば、物語の設定を上手に生かして、無理なく問題を解決しています。
この本で私が気に入った点を3つあげると…。
まず目を引くのは、潜在時流という考え方。つまり、時は過去から未来に向かって1本道ではなく、ある時点の事件をきっかけに、いくつか想定される可能性の分かれ道を無限に持っているという発想です。このことを本文では、p.121で、次のように書いています。
(前略)ある特定の時点で、この全時間流を輪切りにすれば、無数のことなる世界、無数の同じ世界が同時に存在するわけで、その中のひとつが主流となり、周囲の時間流のうち、主流に近いものであればあるほど、より強い潜在時流となる(後略)
このことが実は後で、主人公たちを窮地から救う大切な伏線となっています。
次に、本能寺の変を話の中心に持ってきたところ。誰でも一度や二度は、もし本能寺の変が起こらずに、織田信長が生きていたら歴史はどうなっていたか、というようなことを考えたことがあるのではないでしょうか。特に、某社の信長の野望をプレイしたことがある方ならなおさらです。
その本能寺の変を巡って、時代を変えるか、元に戻すか、その潜在時流同士の攻防が手に汗握ります。
そして3つめ。この作品の設定を上手に活用して、主人公たちの窮地を救うという、大どんでん返しでエンディングを演出します。風呂敷を広げるだけ広げておいて、後は知らないよとばかりにお話が終わってしまうのとは訳が違います。書き始める前から構想があったのかどうかはわかりませんが、作者の緻密な構成が光ります。
調べているうちに、ファミコン版のゲームがあったことがわかりました。概して、余り評判はよくないようですが、こうなるとせっかくだからやってみたいなあ。いやあ、久しぶりにはまった1冊です。 -
中学生の時には読みました。
タイムスリップする話しだったな、とだけ覚えてる。また読みたいな。 -
未来からやってきた少年によってスクールバスが乗っ取られ、タイムマシンとなり、過去に遡って…歴史が変わってしまった。「本能寺の変が起こらなかった、その後の歴史」の描写になんか納得してしまう。タイムパラドックスとかパラレルワールドとか、満載。アニメ映画にもなったけど、こっちの小説の方が断然面白い。
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本能寺の変が起こらない歴史を変革するために歴史を駆け回る。物語の中で描かれる本能寺が起こらなかった歴史が興味深い。
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映画では確か「時を超えた輪廻の中の愛」というようなテーマで、哲子と森蘭丸の恋愛が主軸になっていたと記憶している。……原作。森蘭丸の「も」の字すら出てこない。なるほど、やはり原作と映画は斯くも乖離したものになるのか、というのを改めて思い知る。4人とアギノの葛藤と和解。慣れない時代で知恵と勇気を絞って危機を乗り越える姿。行く先々での人との交流など。中学生向けの作品であるが、なかなかの読み応え。