日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (叢書 日本再考)

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  • 弓立社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784896674668

作品紹介・あらすじ

邪馬台国は、いつ日本になったのか。日本は、大唐帝国と新羅の圧倒的な外圧に抗して建国された。邪馬台国倭国は、大陸とどう関係し、どういう過程で「日本」になったのか。日本人や日本語は、どうして出来たのか。この、古来最大の問題を、東アジア史というグローバルな観点から実証的に解明する。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史というのはナラティブであるという刺激的な原理に基づいて書かれた、外圧との関係性の中の日本史。そう考えれば世界史、東アジア史と切り離された日本史というものがまったく無意味に感じられる。三国志魏書にある邪馬台国の距離関係がむちゃむちゃなのは、著者陳寿のパトロンの業績を称えるためというあたりの論考は非常に説得力がある。古事記偽書説についてはもう少し史実と絡めて考えたい。中国史でも夏の歴史はほとんど殷の歴史と相似形なので、初期の天皇に天智・天武朝の歴史が投影されているということは十分にありそう。

  • 中央アジアからの視点で読み解く日本の古代史。

  • 日本史の誕生「1300年前の外圧が、日本を作った」
    我々の常識ブッちぎる岡田歴史学のもの凄さ!!。日本史の誕生「1300年前の外圧が、日本を作った」
    我々の常識ブッちぎる岡田歴史学のもの凄さ!!。

    ●今回の本のタイトルは、日本史の誕生[1300年前の外圧が、日本を作った」。
    著者は、岡田英弘先生、弓立社
    http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/

    ■かなり、繰り返し部分が多くなりますが、数多くの論文などをまとめた本です。
    ●ページ226ページから250ページまでの部分を、先に読んだほうがいいと思われる。
    対談「邪馬台国と倭国」との対談である。
    岡田英弘先生と、大林太良先生の対談ですが、このページ部分を読んでからのようが、内容を理解がしやすい。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    ■岡田歴史学前提(80ページ)中国人という人種は無い。中国人は人種ではなくて、首都の王侯と君臣の契約を
    結んでいる政治的観念。都市に住んで、中国語を話し、税金を払う文化的観念。

    ■岡田歴史学前提。民族という言葉は19世紀の資産であり、それ以前にはなかった。
    ■岡田歴史学前提。(5ページ)歴史はものの見方の体系である。
    (55ページ)
    歴史は人間が世界を見る見方を言葉で表現したものである。
    歴史は書く人の主張の表現である。歴史は事実の記録ではなく、
    何かの立場を正当化するために書いたものである。いちばん最初の史書が、
    その国の性格を決める。
    日本書記は、日本の建国を正当化するために書かれたもので720年に完成。
    他の国の歴史書も、独自の記憶を持つ統一国家として、宿命の文明であるという
    主張である。

    (202ページ)
    アジア大陸と日本列島は紀元前2世紀を世紀に始まった中国化時代には、一体の世界であった。
    7世紀の日本建国とともに独立後、分離する。
    (228ページ)
    日本の古代史は、すでにできあがったイメージがあり、それに合わないもの
    を自動的な排除する。イメージあうものしか採用しないという傾向がある。
    (247ページ)
    日本列島とは昔から、異常に、人が多い。古墳だけで15万基がある。世界と比較しても異常なほど大きく多い。
    つまりこれはマーケットポジション、潜在的市場が異常に高い。
    (229ページ)
    日本の古代は、帰化人が沢山いたことも、みんな認めているが、
    その気家人は、日本人。日本社会の外側にいたようにいうが、しかしながら、
    現在のマレーシアの場合は、各人種が共通語として英語をしゃべっている。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

    中国に関して(101ページ)
    ●中国の組織は、大総合商社である。中国の組織はいわば大総合商社である。
    秦に始まる中国国家組織は、大規模な総合商社と考えていい。首都を、
    国の本社と考え、皇帝を社長と考える。支店網がそれぞれにある都市である。
    その支店網都市を建設する。中国の都市である洛陽は、水上交通路の起点であり、
    朝鮮半島の平城から先は、韓半島の内陸の河川および外海と考え、
    水路が、発達している。つまり、外洋航海の技術の必要は無い。
    (ページ133)韓半島の人口は少なく、日本列島の人口は3ー4倍ある。
    つまり日本は、人口が多い。物産が豊かがであるという理由で中国としては
    非常に魅力的なマーケットであった。

    ●中国の起源(6ページ)
    中国の本来の起源は、BC221年、秦帝国である。
    それ以前の中国には、異民族しかない。
    後の中国人はこれら異種族の混血である。

    ●7世紀の日本建国以前の歴史は、日本古代史ではなく、広い意味での
    中国歴史である。
    「歴史は言葉による世界観の表現」であり、事業の記録ではない。
    日本列島に正当な位置を与えた世界史を書こうとすると、
    ユーラシア大陸と日本列島に共通の視点から書くしかない。

    ●(199ページ)
    7世紀に建国した日本は、アジア大陸の国家(中国)と正式の国交を開いたのは、
    1871年明治4年の日清修好条規が最初である。
    本の国家の政策は自衛的であり、閉鎖的な性格をもっていた。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    華僑という概念について
    (237ページ)、
    15世紀のフイリッピン、マニラにスペイン人が来てマニラ植民。が
    、たちまち中国人が来て、「バリアン」というチャイナタウンができる。
    中国人が来てから何もかも豊富になった。
    古代の状態を、近代的な領土の概念で見たらダメである

    (ページ241)
    華僑という概念は、1911年、以降の中国人観に毒されている。
    中国人とは本来民族ではない。人種でもない。
    中国と中国語という言語号共通して、中国語という。言語が存在しない、
    中国人とは、「漢字文化に属しているものは誰でも中国人。」
    人種や仲間ではなく、しゃべる言葉も関係ない。
    中国の人移民の場合、男が単身でくる。
    子供達母親の言葉は、しゃべるが意識は中国人である。

    ●ユダヤ人はローマ時代からいい。ドイツ人が存在する前から入る。
    (ページ232)
    ●戦前のドイツの文化は、全然のドイツの文化の中心はユダヤ人であった。
    ヨーロッパの場合二つの国スペイン、ポーランドの重要な国の中産階級は
    ユダヤ人だけだった。
    スペインの中産階級は、ユダヤ人であり、移動先はオランダ入り、
    イギリスへ移動した。ポーランド王国の中産階級はほとんどユダヤ人。
    このユダヤ人の役割は、日本の渡来人と比較できる。
    (233ページ)ユダヤ人の役割は、王様の財産を預かり運用することである。

    同じように、現代のマレーシア、インドネシアには、サルタンの側にいるのは
    、華僑である。佳境=商人は中国系である。インドネシアでは、
    太平洋戦争以前にマレー人の商業組織はあり得なかった。
    古代日本と中国東南アジアは共通の点があり、日本列とは暮らしやすい。
    何かをしょうと思わない人間が多い。全然異質の人間が入ってくれば、
    流れが変わるこれが中国人であった。(235ページ)

    ●帰化人の言葉は、朝鮮語だったと言われているが、朝鮮という民族は
    日本と同じ時期に、新羅が半島を統一した。7世紀から8世紀に成立して
    いる。それ以前に、半島には統一されていない、とすれば、朝鮮半島の公用語
    も中国語であったと考えざるを得ない。北アジアの騎馬民族の公用語はすべて
    中国語であった。

    (243ページ)、日本の大化時代以後に、日本の姓は発生した。
    中国の氏は、ある。同じエリアに住んでいる人間の都市連合である。
    氏の間の総合商社、何十という総合商社が、日本列島という肥沃なる土地
    に分布した。いわば多国籍企業である。

    ●「魏志倭人伝」に有る倭人の30カ国は商業都市であり、倭人諸国はチャイナタウンである。
    華僑が作ったチャイナタウンである。
    倭人の酋長は、そのチャイナタウンからの商業税金のあがりで食っていた。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    ●●ここから、やっと日本建国に入ります。−−
    ●(246ページ)
    ■日本民族の成立。日本国家の成立は、広範囲の政治的統合と異族との対決であった。
    (199ページ)7世紀の国際関係の大変動によって出来た国家がは日本である。
    日本列島を外からの脅威として、防衛する。それが国家の最重要課題だった。
    そして、共通語として人工的に日本語を作った。

    184年、中国で黄巾(こうきん)の乱がおこる。その時に、中国の人口が10分の1以下に、激減した。
    ●中国が伝統的にコントロールしていた朝鮮、日本は、この人口激変の影響で、
    コントロールできなくなってくる。(147ページ)
    ●その結果として、東北アジアで小さな部族国家がそれ歩き始める。
    このような異常な事態が長く続いた。自分で軍隊を作って、自分で防衛。
    中国の商業マーケットを縮小してしまったので、その対応策を考えなければならなかった。
    日本では、邪馬台国連合みたいなものができた。

    6世紀、中国の南北朝統一を隋が行った。この後、中国の人口が回復し、
    7世紀には、4500万人になった。
    黄巾(こうきん)の乱前の人口調査、157年では、約5600万人の人間がいたと言われているが、
    184年、黄きんの乱などには500万人つまり10分の1に激変したと言われている。

    中国の南北朝時代に、中国の華北のエコロジーは、完全に破壊されてしまい。
    中国の人口の中心が 江南へ移動している。
    江南から遠回りして、朝鮮半島を通過する必要はなく、朝鮮半島から日本をコントロールする理由がない。
    唐は、朝鮮半島から、撤退。朝鮮半島は裏通りとなった。

    (148ページ)
    住民の氏族構成は韓半島、日本列島とも同じである。

    663年、白村江の戦い、
    以降、朝鮮半島では新羅が、それぞれの種族を吸収統合した。
    新羅は、中国人。高句麗人。百済人。新羅人。倭人を統合した。
    倭国は、近畿の一部のみ。経済基盤は、百済をとうして南北朝中国との
    商売センターがあった。その難波を中心とした倭国があり。
    そこで倭国の経営はを成り立っていた。

    (文章が長いので続く)
    ●今回の本のタイトルは、日本史の誕生[1300年前の外圧が、日本を作った」。
    著者は、岡田英弘先生、弓立社
    http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/
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    ●「1300年前の外圧が日本を作った」。
    (158ページ)日本列島内の諸国は、それぞれ自発的に解体して、旧倭国と
    合同し。新たに日本国を形成する。
    (158ページ)アメリカの建国との同じで、日本列島は、いろいろな起源の方々の雑居地であり、
    住民の中には意識の統一も文化の統一を言葉の統一もない状態であった。が、
    663年、白村江の戦い後、日本人であるという意識を植えつけけていった。

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    (78ページ)
    中国の都市の発生の機縁は、商業であり、商業都市が出来て始めて、
    周囲に農村が発生する。逆ではない。中国は商業国家で農業国家ではない。
    (109ページ)
    王奔(おうもう)の内乱、紀元2年、中国の人口は約6000万人だった。
    しかし、この内乱が25年続き、王奔(おうもう)の内乱の後、統一したときは人口が五分の1となっていた。
    人口は1数百万人となっている。
    (83ページ)
    豊かなる日本市場。4世紀から7世紀ににかけての300年間、日本の古墳は、
    毎年、500基作られていた。これは日本列島が、人口は多く生活が豊かである。
    中国の韓半島支配は、実は日本列島の市場の利権を目的としていた。日本貿易ルートである。
    1万人を超す中国人が、日本列島との目と鼻の先に入植し、市場開拓に従事し
    た。日本列島に都市が発生し、市場が出現した。(113ページ)
    ●中国総合商社が日本列島の対岸に支店を作った。それが真香群であり、独立採算制であった。
    (36ページ)日本の建国者は華僑であり、日本人は文化的には華僑の子孫である。

    ●84年、中国で黄巾(こうきん)の乱が起こり、
    中国の経済が崩壊し、人口が減少し、中国の華北は、無人化した。
    ●モンゴル高原との遊牧民との戦争。軍隊が膨張後、兵士は、
    として帰らず、都市に残る。都市に残れば食っていける、軍事訓練、団
    体行動、武術を取得した組織が、そのまま革命組織となって闘争が起こる。

    ■百済滅亡。新羅が半島統一。唐という世界帝国■
    (94ページ)倭人にとっては、「韓半島、唐中国だけ」が世界であったが、その大帝国の唐
    と敵対することとなった。

    日本人は、中国の沖合業に対する自己防衛の必要が、中国の存在をしながら中国と深い関係に入ることを避けてきた。
    ●日本列島に住んでいる。百済、新羅、高句麗、中国人のことすべてが
    唐にとって敵地となった。倭国を解体し、再統合をする。これを日本建国という。
    (119ページ)
    新しく、日本列島統一国家を作り上げ、滋賀県大津で即位。天皇という語を採用した。
    国家のあり方を転換した。言葉を転換した。中国語をやめ、日本語を発明した。万葉集がその発明の記録である。

    ●日本人とは、それまでの倭人、新羅人、百済人、高句麗人、任那人、中国人の総称である。
    日本は、倭という古いアイデンティティーを乗り越えた、他民族の統一国家であった。

    (91ページ)
    669年から670年にかけて、中国文化圏の「倭」から「日本」に変わった。
    中国文化圏では国名を変えるということは。「革命」を意味する。
    もはや倭人ではなく、日本国の日本人である。
    倭人とわ神的自然なアジア大陸から韓国大陸との位置関係は、
    貿易が、王権の基盤であり社会の基盤である。(ページ95ページ)

    ●倭国は西向きであった。
    大阪を経済の中心とする。北九州にかけて、港を押えている国である。
    それによってアジア大陸から切り離しをされた場合に、東向きに変えた。
    西向きの国家から東向きの国家へ。歴史は何か一つの時代が終わったという実感があり、
    新しい時代が始まったという史観で初めて描かれる。

    668年、天智天皇が、近江大津で即位した。近江律令という日本最初の成分法典を成立した。
    660年、戸籍を作った。天皇という王号。日本という国語、成分法典。日本建国、これを意味する。

    以上、岡田歴史学。日本史の誕生のまとめです。

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著者プロフィール

東洋史家

「2018年 『真実の中国史[1840-1949]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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