ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y 119)

著者 :
  • 洋泉社
3.20
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本棚登録 : 538
感想 : 71
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784896918472

作品紹介・あらすじ

のどかな地方は幻想でしかない!地方はいまや固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店などが建ち並ぶ、全国一律の「ファスト風土」的大衆消費社会となった。このファスト風土化が、昔からのコミュニティや街並みを崩壊させ、人々の生活、家族のあり方、人間関係のあり方もことごとく変質させ、ひいては人々の心をも変容させたのではないか。昨今、地方で頻発する不可解な犯罪の現場をフィールドワークしつつ、情報社会化・階級社会化の波にさらされる地方の実情を社会調査をもとに探り、ファスト風土化がもたらす現代日本の病理を解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 三浦さんは学者さんではなくてあくまで研究家。
    それもあって読みやすいし、発想や思考が柔軟。
    「ファスト風土」という一見寒~い言葉もなんだかんだ
    センスあるなぁと思いました(笑)

  • 2000年前後の地方分析。
    論評を抜きに事実だけの提示が説得力を持つのだが、それは著者の立場からすると難しいのか。

  • これはすごく近所にそういうのがあるからよくわかります。
    本当に味気がなくなるのよ。
    その分駅前のほうが面白いといえば面白い。

    ただしそれも昨今の感染症の仕業で
    かなりの昔ながらのお店が店を閉じています。
    なのでこれからこういうような施設は
    より一層増えていくんじゃないかな。

    しかしあるファストフード店のお偉いさんよ。
    そりゃあないぜ。
    なんかこの会社が最近スカってる理由、
    わかる気がするな。

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/0009284106

  • 都市でもなく農村でもない、その中間に広がる「郊外」。地方は1980年代以降、いかに「総郊外化」していったのか? 地域の風土はいかに喪失され、住む人の生活や心をいかに変えていったのか?

    郊外とは、交通インフラが整備され人やモノの流動が激しくなったが故に商業が空洞化した地域である。ベッドタウンもそうだし、地方都市もそうである。経済が疲弊した地域に、イオンなど大型資本チェーンが進出してきて、地域経済にとどめを刺す。

    産業が空洞化した地域は、地域固有のアイデンティティや生活の記憶を失ってしまう。車社会化が進むと、そこに住む人の繋がりやコミュニティ意識も希薄になり、気づけば「どこにでもある景色」が目の前に広がるようになる。それがファスト風土化である。

    ***

    第4章の歴史編がとても興味深かった。筆者によれば、日本の地方のファスト風土化の土台を作ったのが、第一に角栄の『日本列島改造論』(1972 )に始まり大平の『田園都市国家の構想』(1980)〜に引き継がれる、「田園、故郷、ふるさと」を謳う国土行政であった。
    しかし、筆者はそもそもハワードの田園都市論を「田園都市国家論」に読み替えたのが失敗だと言う。なぜなら、田園都市論は都市部における労働者階級の劣悪な居住環境の改善を目的としているのに対し、田園都市国家論は都市部だけでなく地方も含めた、本来であれば「必要のない」土地の郊外開発を目的としたからだ。こうして、80年代以降日本全土に「ファスト田園都市」がつくられていった。

    そして第二の原因が、1980年代の対米貿易摩擦の解消のために公共投資や規制緩和を約束させられた、日米構造協議(1989-90年)であった。道路増設と規制緩和の結果、地域経済は自由競争の波に呑まれ、現在のイオン帝国が築かれていった。

    これは、今だとまさに震災後の東北で「ふるさとの復興」という大義名分のもとに行われていることで、この近代以降の経済合理化という名の経済植民地化≒ファスト風土化は「良い」とか「悪い」とかではなく、もう誰にも止められないのだと思った。かつての高度成長期において、経済合理化は「一億総中流化」=格差是正を進めた。対して今は、先進国の中流市民が「負け組」に転落し、「自己責任」で終わらせられる時代である。ラディカルだがこれが現実であり、この流れは今後もっと加速していくんだろう。

    最後に。いまいちと思った点。第7章のこれからの地域論では、都市(地域)を「買う」「消費する」「所有する」ことではなく、「使う」「利用する」「関与する」のが魅力的になる時代に入ったということが議論される。しかし、成功例が全て東京に集中しているため、これでは人口減少に直面する車社会の地方都市には救いがないような印象しか持てない。

    あと、筆者が元パルコ関係者であるためか、イオン(と、アメリカ)に対してかなり感情的な議論をする点には注意が必要。しかも「日本浪漫主義」を危惧・批判するわりに自分もガチガチの郷土浪漫主義者だという点に関しても無自覚である。

    批判的に読めば、郊外論・地域論として多くを学べる良書だと思った。

  • 「日本の地域社会の変容を考える」

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=K23628

  • 10年以上前の本にあれこれ言いたくないけど、私が28歳くらいなら共感できたかも。著者は地方出身者だけど、高校生ぐらいまでの洞察力で見た地方ってこんな感じかなぁ。都市論も教育論も薄く感じた。最後の方、若者、若者と連呼してるけど、若者像が陳腐。
    弘前の土手町紀伊国屋とか東京の人から見たらショボいかなと思っていたけど、何らかの文化的な感じを醸し出している効果があったというのが唯一の発見。

  • (01)
    2017年の現在に読めば、この新書もやや古びてしまったと言えるだろうか。2000年前後の郊外の郊外的な犯罪履歴から現場の風景を観察し、21世紀の郊外の特徴を抽出している。そのひとつにジャスコという指標を掲げ、ジャスコに代表される大規模な郊外店にどのような社会が発生し、郊外型の犯罪とどのように絡んでいるか、統計を交えて分析している。
    第七章にこんな一節がある。
    かつての都市や農村にはリアルな生活があったとした上で、「しかし、いまの地方には、郊外はあるが都市も農村も消えた。たしかに物は入ってきた。しかし、生活が消えたのだ。」この箇所に限らず、全体にやや筆が走り過ぎているように思える。「リアルな生活」が消えたというなら(その「リアル」が果たして「リアル」であったかどうかは別に問うてよい問題(*02)ではあるが)、まだ文意が前後で通じるが、「生活」が消えたというのは飛躍があるように思える。また、本書ではその消えたとする現代の郊外の生活の様相を描いてもいる。著者がいわんとする事は一辺倒で理解しやすいが、このように端折りや飛躍により、郊外化という問題をクレッシェンドしすぎる半面で、問題の陰翳まで丁寧に写し取ることができてないのが本書のウィークポイントであると考える。

    (02)
    長野県あるいは長野市に関する言及も散見されるが、第五章では、信州の「松本から諏訪にかけて」の郊外化の場面としてこんな描写がある。
    「山奥といってもよいようなところ、昔なら峠の茶屋くらいしかなかったであろうようなロードサイドに、パワーセンターがあり、スポーツ用品、(以下略)」として、著者の住んでいる吉祥寺や故郷の上越高田は、ブランドの流通品が手に入る点で、「長野の山奥と大差ないのだ」と断じている。
    長野県の地理と照らして、近世に峠の茶屋ぐらいしかなかったところで、現在、ロードサイドの大型の郊外店が展開している場所というのは、なかなか難易度の高い設問であるが、軽井沢、安曇野、小淵沢(山梨県)、塩尻あたりを指しているのかもしれない。つまり「峠の茶屋」しかなかった「山奥」という著者の地理理解に難点があるように思える。例えば、中山道沿いであっても、郊外化する以前も宿場として発達したところであれば現代において「パワーセンター」の出店により衰退した町はあると思われるが、中山道にも数あった「峠の茶屋」かそれに近い業態が営まれていた場所は、あまり郊外化とは関わらない衰退要因があったように思う。
    細かい指摘にはなるが、地方の全てが一様にファスト風土化している(*03)ように見えるとすれば、著者の大雑把な地理理解にもその一因があるという指摘につながりかねない。
    つまり、構図を単純化しすぎており、「郊外化とその病理」の実態に迫り切れていないようにも思う。それは、2017年現在、「郊外化」や「ショッピングモール」を面白がり、積極的に現代社会に落着させようとする動きに見られる、人間の不思議さへの理解を、本書の著者が欠いているともとられる。

    (03)
    それにしても、19世紀の英国の田園都市や、高度経済成長期以降の日本で唱えられた田中角栄の日本列島改造論や大平正芳の田園都市国家にファスト風土のひとつの淵源があるとする指摘は、おおむね頷ける。
    著者は、また、日米の経済摩擦により米国から要求された国内の公共事業投資の増大というストーリーを導入しているが、それについての可否はここでは留保したい。
    地方のヤンキーの問題、下流の問題は、公共空間あるいは地域の風土の問題が絡まっているという指摘は、本書の功績でもあるだろう。

  • (2007/4/26)

    「希望格差社会」からのリンクで買ってみました.

    地方の郊外化のプロセスと,そこで起きる生活風土の崩壊,犯罪の発生についてかかれております.

    特に,国道の敷設からジャスコの出店そして商店街の破壊と,(旧)大店法の功罪にもふれつつ警鐘をならしています.



    郊外化はモータリゼーションからの必然の帰結とすることなく,回顧主義を乗り越え進歩的に解決していくべき具体的問題だと,
    心に染みたわけでございます.

    ちなみにファスト風土化はファストフードになぞらえた造語だそうで.

  • 一時期、三浦望にハマっていた時に読んだ本の一冊。

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著者プロフィール

三浦展(みうら・あつし)
1958年生まれ。社会デザイン研究者。カルチャースタディーズ研究所代表。家族、若者、消費、都市、郊外などを研究。著書に『 「家族」と「幸福」の戦後史――郊外の夢と現実』 (講談社現代新書) 、 『ファスト風土化する日本――郊外化とその病理』 (洋泉社新書) 、 『東京は郊外から消えていく!』 『首都圏大予測』 (光文社新書) 、 『愛される街』 (而立書房)などがある。

「2022年 『中央線がなかったら 見えてくる東京の古層』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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