- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784898153260
作品紹介・あらすじ
愛し方も死に方も、自分で決める。いま、男と女はどこへむかうのか、究極の恋のかたち。
感想・レビュー・書評
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たぶん2021年まだ始まったばかりだが
20冊くらいしか読んでないが、
自分の中で記憶になる
一番の作品だとおもう。
もちろん近松浄瑠璃、チラチラ見聞きし、歌舞伎でも、演目をわざわざ観たかもしれないし、大体のことはわかる。絵も浮かぶ
しかし、しかし角田光代先生「ここはあえて」にかかるとこうなる。もちろん大好きな作家、
一言で言えば手代が新地の女に入れあげ
恩ある人に不義理をして事を起こし「?」挙げ句の果ては心中するみたいな話。
別に今世の中で起こっているのなら、哀れとはおもうけど肯定はしない。
しかししかしー
一気に読んでしまった。
はじめから終わりまで泣くというより涙が自然と出てくる
哀れで因果で。、業が深くて、言葉にすれば皆違う
陳腐で、
こんな時自分の語彙の貧困に居た堪れない。
近松天才。
もう角田光代ー天才。
近松作品を現代によみがえらせた。
絶対角田源氏を読む。
美しい、綺麗な音楽「なんでもいい、管弦楽、ピアノ協奏曲、宮本浩次、ヒゲダン、笑、まあ個人的主観はさておいて
遣り手
身揚り
間夫
紋日
棒手振り
禿など注釈がついているのは、薄織の身にはありがたかった。
本文より〜
さみしいつらいと思ったことはなかった。
さみしくないときもつらくないときもなかったから。
さみしいと思う人は、つらいと思う人はしあわせなんだと、だから思う。つらくないときを知っているってことなんだから
わてはな、初。お前に会うて、知ってしもうたんや。さみしいとゆうことも、つらいゆうことも。それからこわいゆうことも。
と徳兵衛は泣く。
徳兵衛と初哀れ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代、元禄期の大阪で人々が狂喜した激烈な恋の物語が、角田光代さんの翻案で時代を超えて私たちの前に現れました。お初の目線で描かれた角田さんの言葉はシンプルでストレートなものでした。余計なものは何一つなく、だからこそ胸に真っ直ぐに突き刺さってきます。
それは、哀しいほどの美しい恋。
全てを焼き尽くすほどの狂おしい恋。
遊女が恋することは命がけでした。恋した相手と結ばれることなど、ほとんど夢物語だったのでしょう。その実らなかったたくさんの恋。彼女たちは来世でこそ運命の人と出会うことを信じて、その手段に死を選ぶことさえ無上の喜びだったのかもしれません。
これが、恋。
残酷でありながらも儚く美しい恋。
究極の恋愛物語だと思いました。 -
これはすごい。
めちゃくちゃうまい。
原作をよく知らんので、どれだけ忠実か分からないのだけれど、人形浄瑠璃ではこれだけの心理描写は絶対にないだろうと思う。
初の苦悩、苦労、恋心がありありと、イメージしやすく描かれている。
今となっては私は恋愛から遠ざかっているけれど、
10代20代の頃は、確かに恋愛が全てだった。
ずっとその人のことを考えていたり、一喜一憂したり、とにかく感情を揺さぶるものは、恋だったと思う。
現代では男女の心中って少ないと思うし、親子の無理心中をたまにニュースで見かけるけれど、本当に気の毒だと思うし、どこか別の場所でやり直す方法があったのではないかと思ってしまう。
でも、やっぱり、渦中にいる人には、死ぬ選択しかなくなってしまうのだろうか。
死ぬって、そう簡単にはできないけど、救いを求める方法としては、すぐ思いついてしまう手段よね。
私自身もそうだけど、先般読んだ「オーダーメイド殺人クラブ」が重なって。
生まれ変わって来世で会える、って考え、どうなんだろう。私は信じたことはない。けれど、信じてひたむきな姿は、美しいと思った。
「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」
「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」
まとまらない文章でごめんなさい。-
2022/01/06
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コメントありがとうございます。
ここまで強く思い合えるのは、うらやましくもありますよね(^^)コメントありがとうございます。
ここまで強く思い合えるのは、うらやましくもありますよね(^^)2022/01/06
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「男なんて、惚れるもんやない」と常々言っていた姐さん。間夫に翻弄され、身体を壊して里に帰った姐さん。
嫌いな男であろうと、床では惚れているように演じ、手練手管で相手をはまらせる遊女。なのに、同じ寂しさを知る徳兵衛に出会ってしまった。本当に愛しい男の前ではただの女になってしまう初。
江戸時代、元禄期の大坂で実際に起きた、醤油屋の手代・徳兵衛と、堂島新地の遊女・初の心中事件をもとに書かれた人形浄瑠璃の古典演目『曾根崎心中』を角田光代が小説化。
なんてせつない、なんてかなしい、なんておろかな… -
近松の心中芝居など、今の日本で誰が共感をもって読むだろうか。遊女と、金をだましとられた手代が心中に走る気持ちなど、ついた離れたがあたりまえの私たちに理解できようはずがない。ところが、角田光代の手にかかれば、できてしまうのだ。いや、共感も理解も必要ない、ただ、この生が初めてにして最後に放つ輝きを見よ、といわんばかりの迫力でもって、お初の言葉が差し出される。
その日から、すべてがちがって見えた。太陽も、空も、新地の町も、着物も、川も、橋も、おはじきも、鞠も、雨も、自分の顔も。目に映るものすべて、何ひとつ、よぶんなものがなかった。
これが恋か。初は思った。これが、恋か。ほほえみながら、泣きながら、高笑いしながら、物思いにふけりながら、不安に顔をゆがめながら、嫉妬に胸を焦がしながら、記憶に指先まで浸りながら、幾度も幾度も、思った。これが、これが、これが、恋。
この気持ちを自分はたしかに知っていると言える者は少ないだろう。私などその片鱗すら感じたことはない。それでも、そうに違いない、人生を一瞬にして意味あるものにさせる出会いというものがありうるのだろうと納得させるだけの有無をいわせぬ力が、この文章にはある。
わずか170ページ、ほぼ芝居通りの筋立てで、これほど鮮烈な世界を描いてみせるとは。小説の力を再確認させてくれる経験であった。 -
面白いのかなぁと思って読みはじめたけど、結果面白かった。
最後の気持ちの揺れ方が、しんみり。
歌舞伎で見てみたい。歌舞伎デビューしたい。 -
おもしろい。角田光代さん…すごいと思いました。
特にラストシーン。
ふと徳兵衛に対して疑念が生まれる。
くるおしく恋しいこの男のことを、じつは、何ひとつ知らないのではないかと初はふいに思う。
そこから全てを受け入れ死までのシーンは圧巻でした。
お玉姐さんは、わたしたちは何度も生まれ変わると言った。
島姐さんは、今世は一度きりと言った。
いったいどっちが本当だろう。
いや、どちらでも、おんなじことではないかしら。 -
遊廓の女性の悲恋を描いた近松の世話物を、角田光代が小説化。
自らの逆境をあきらめ受け入れつつも、儚い夢と希望にすがる廓の女性たち。その肝の据わった凛とした美しさに比べ、男たちはなんと浅はかで愚かなことか。男が嘘をついているかもしれないと思いつつも、すべてを受け入れるラストシーンは圧巻だった。
角田光代の実力はさすが。角田版源氏物語もぜひ読んでみたい。
余談だが、近松の世話物を原作としたシスカンパニーの舞台を観に行く。本作を手に取ったきっかけも、そのことがひとつ。主演は宮沢りえと堤真一、さらに池田成志と小池栄子というペア、実力派揃いなのでとても楽しみだ。