- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784898154175
感想・レビュー・書評
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すぐに◯か✖︎で決めつけてしまうのではなく
山に入って見る、聞く、考えるだけでも
重みが違うし
知ってしまったらそんなに簡単に判断はできなくなるということがよくわかる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ぼくは猟師になった」でおなじみ。大学卒業と同時に京都でわな猟師になった著者の久々の著書。「自分で食べる肉を自分で手に入れたい」という素朴な欲求から猟師となった彼は、運送会社で働きつつ、猟師として生活し、おそらく廃れゆく猟師という生き方と現代社会との接点を探っているのだろう。猟師の目を通してみる日本の野山の姿は新鮮だ。都会に住んでいると昔話の中にしか出てこないような動物たちが、今もちゃんとそこにいる。私たちが知らなかった外来種が繁殖していたりもする。これだけ開発が進み、自然破壊が行われてもなお先進国の中ではかなり高い森林率を持つわが国で、これからどう自然と付き合っていくべきなのか。本書はそれを考える上で、とても重要な視点を与えてくれる。
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「山賊ダイアリー」が好きならおすすめ。自然保護に興味がある、思想でベジタリアンになってる人などは本書を読むと考え方の幅が広がるだろう。里山バンザイの自然保護感が何たる浅薄かと自分が恥ずかしくなる。山に入り、漫然と狩りという名のレジャーを楽しむだけではなく、筆者のように日本の自然のありようについて考える人がいるのは非常に貴重な事だろう。考え方も独善に走らず、謙虚で視野が広い。良書。
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運送業の傍ら猟師をしている筆者。「自分や家族が食べる肉は自分で調達したい」という純粋な気持ちで猟をしている。その体験を通して自然と人間との関わりや猟のルールを語る。
数多くの動物が登場し、猟を通して彼らの生態が紹介される。筆者が「ずっと森の中を歩いていると森のちょっとした変化にも気づくことができる」というのが何となくわかる。人間も猟のために森に入って行くと、自然の中の一部になっていくようだ。
「獣害はあっても害獣はいない」や、人間の生活に影響された動物はその肉にも当然影響が出るため「完全な自然食」などない、などの言葉に説得力がある。そして植物と動物の食物連鎖の中に、人間もその一部として繋がりがあると思わされる。
動物の生態から昔話の類いが生まれていることや、所々笑わせてくれる描写もあり、非常に読みやすく、そして「自然の一部である人間」を考えさせてくれる良作。 -
日々自然の中で暮らしているからこそわかる感覚的なことと、データなどの理論的なことがどちらも書かれていて、納得できる文章だった。データだけではなく現場を見ること、経験だけではなくデータも用いることで特にこうしたテーマは伝わりやすいのではないかと感じた。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/715039 -
実際に狩猟を行っている著者が、現在の狩猟環境や狩猟に対する思いや葛藤を一冊にまとめてくれている。
実際に山で暮らしていないと分からない事々を読者にわかりやすく紹介してくれており、読んでから本書内容の諸々について読者自身が色々考えるきっかけを与えてくれる本で、僕みたいに山暮らししていないが自然好きな人は読む価値がありだなって思った。
一番印象的だったのは、自然の多様化について美しい里山が本当に素晴らしいのかという問いで、自然環境は人間が結論付けられるものじゃないんだなって感じた次第であった。 -
理想的な自然との付き合い方だと思った。前作より考え方が進んでいて素晴らしい。角幡くんにまったくなく、服部文祥に少し足りないのはこの人のような知性だ。
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畑の鹿害をなんとかしたくて読み始めた本。自然とのつきあい方を根本的に考え直した方がよさそう、と思いました。
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「ぼくは猟師になった」の人。
前の本は、猟師になったワクドキと、どうだいいでしょう(ニヤリ)的な、まあ一種自慢げな話だったけど、この本ではだいぶオトナになったというか、シカやイノシシにまつわる過繁殖とか生息域とか、環境問題などを憂える内容になっている。
まあ単眼的には行政の施策への問題提起ではあるけれども、長期的には人間の活動そのものが引き起こす、自然破壊の問題につながっていく。
スギなどの針葉樹林だけでなく、広葉樹林も人間が改変してきた結果である。それらが荒れ果てて、獣たちの棲む場所がなくなったり、キクイムシが繁殖する。
人間が困るから害獣に認定されたりするのだが、だが獣は害をなしているのだろうか。
人間にとっては、その辺の答えは難しいところだろう。
著者プロフィール
千松信也の作品





