百人一首という感情

著者 :
  • リトル・モア
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本棚登録 : 190
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898154878

作品紹介・あらすじ

[最果タヒ × 百人一首] ふたたび!

記憶が歴史に変わっていく中で消されていった「感性のまたたき」
―― 100の「エモい」を大解剖。

映画、展覧会、WEB、広告、音楽…あらゆる場所へことばを届け、
新しい詩の運動を生み出し続ける詩人・最果タヒ。

清川あさみとの共著『千年後の百人一首』で挑んだ現代語訳では、
千年前から届いた百の思いにどう向き合い、
胸に刺さる詩のような新訳が生まれたのか?

百首を扉にして読む、恋愛談義、
春夏秋冬、生き生きとしたキャラ、人生論。
そして、「最果タヒ」の創作の秘密。

いちばん身近な「百人一首」案内エッセイ、誕生!

感想・レビュー・書評

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  • いただきものの本です。
    平成⇒令和のこの時に。


    高校の授業で日本の古典文学、和歌や百人一首を習いますが、当時の私にはそれが苦手でした。
    「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ /天智天皇」
    「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ /孝光天皇」
    御所にお住いの天皇御自らが苫穂の庵に住んだり、新春の明け方に野っぱらで若菜摘みするわけないじゃないか、やってないことをかっこつけて、身分の高い人のお気楽な遊びじゃないか!
    そんな私に対して、古典文学好きのクラスメートは言ったのです。「実際にはお付きの者が若菜摘みしたかもしれないけれど、それにこの歌を添えて相手に届けるのが雅なんじゃない。相手も分かっていて受け取るんだよ」
    しかし当時の私は叫んだ。「欺瞞だ!!!」
    (女子高には、古典や歴史が先生より詳しいくらいの一種のオタクの生徒たちもいる。先生もなかなか面白いけど)

    何しろ私は源氏物語や枕草子や百人一首などの貴族文学・和歌などより、太平記や里見八犬伝や平家物語や義経記のような軍事物が好きでしたからね(笑)(※すべて現代語訳された簡易版です) 
    授業だって「木曽の最期」などは非常に興味深く受けていましたが、朝廷文化系はイマイチ食指が動かず(-.-)
    しかし年齢が上がるにつれて分かってきた。
    実際には明け方の野原に若菜摘みには行っていないかもしれない、しかし歌を詠んだ天皇も届けられた相手も、若菜を見て薄く雪の降る朝の野の情景とそこにいる天皇の姿を思い描く、そこで心が通じたり同じ想いを共有することができる。
    それこそが和歌を通して同じ感性を共感するという楽しみでもあるんだなと。

    さて。
    こちらの本は、「千年後の百人一首」ということで、百人一首を現代詩人が現代の感性で訳するというか読み解く本。そこから浮かび上がる詠み手たちの性格や時代背景など。
    現代でも分かる感情もあれば、詠み手の状況のや、当時の風習から読み解くと同じ行為でも意味が違っていたんだなと感じることなど。
    改めて百首すべて読むと「この人はこんな歌を!」と今更ながらの感想を持ちました。

    それにしても千年前の和歌が「分かる」というのは、日本の文化、日本人の感性は変わっていないのですね。「満開の桜」と聞けば「綺麗だな、でもあとは散るだけだな」という、美しさと寂しさを想う。これを千年経っても共有できるのです。このような共有認識の下に成り立つのが同じ文化を有するということでしょう。

    …さて、このレビュー冒頭に書いた「君がため」ですが、
    私は後朝の文かと思い込んでいて、だからなおさら「夜を共に過ごした恋人に他人が摘んだ草を自分が摘んだとか言って贈るの?!」とか思っちゃっていたのですが、
    「御所内の畑で体に良い七草を摘むのは天皇の仕事」「すると贈った相手は爺やや乳母さんかも?」などという読み取り方があると聞いて、 その場合は公務として新年の朝から御所内の畑に行って薬草を摘み、年を取ってきた乳母さんに「元気になってね」と贈るとしたら…ううん、素敵な行為ではないか。
    結局後朝なんだか老人愛護なんだかわからないけれど、そんな情景を思い浮かべるのは確かに面白い(笑)

  • 大好きな最果タヒさんによる百人一首についてのエッセイ。好きな歌から順番ばらばらに読んでしまったから、読了にずいぶん時間がかかったし、きっと同じ歌を繰り返し読んでいるに違いない。しかし、何回読んでも飽きないからいい。最果さんの歌に対する想いや解釈、100%合ってるわけではないが(むしろ歌の解釈に正解などないが)、「わかるわ~」と勝手に共感してしまい、それがなんとなく気持ちいい。
    このエッセイの中で、「千年前に共感する」というフレーズが出てくる。ただでさえ現代に生きている人に共感することも難しいのに、千年前に共感することができることは、単純にすごいことだと思う。しかし筆者もあとがきに書いているが、これは単なる「共感」ではなく、言葉の共振なのだ。千年前の彼ら彼女らが遺した言葉は、決して隔絶された場所に存在するのではなく、私たちと同じ世界軸に生きているのだ。だから千年経っても彼ら彼女らの歌はこうして語り継がれていて、同じ感情を抱くことができるのだろうな。
    古典が苦手でも、百人一首が気になる人にとっては手軽に(高校古典の文法抜きで)知ることができるので、おすすめ。

  • 最果タヒ初見、たしか中学の時に「死んでしまう系のぼくらに」読んだのが最初
    そのときは何回読み返したかわからない

    高校卒業してふわっと読書ニートをやっている今、はじめて最果タヒが書く詩以外の文章読み、なんか文体合わねえな〜〜思い、好きな歌からパラパラ読んでった
    文屋康秀のとこでまず音がサイコー論に首もげそうなくらい同意し、清少納言のところでわかるbotと化した
    清少納言と行成のやり取りからみえる清少納言のするどさ、二人の仲の良さなどがサイコーなんだよなつって再確認したけど在原業平のとこでやっぱ他者の出来事を安易に消費するのは危険っぽいんだよなの気づき 分かっていたことだけれど特に関係性は邪推したり消費しやすいけどそのぶん浅くなりやすいので注意がいるし見方が固定されてしまうので最悪の場合もある


    たぶんつーかぜったい千年後の百人一首と合わせて読むべきなんだろうねってかんじ よみます

  • 名前から想像していたイメージと違って驚いた。
    言葉の選び方が、近すぎず、遠すぎず、ああ、私にはちょうどいいな、と思った。

    百人一首エッセイ。
    どうしても恋の歌が多いわけだけど、そのひとつひとつは、違う人がした違う恋なわけで。
    でも、人を好きになって、のめり込んで、苦しく切なく思う普遍もあったりして。
    その、べつべつ、と、いっしょ、をすごく上手く言葉にしている。

    けれど、私がニマニマしたのは、恋じゃない歌の方で、しかも()で括られている部分だった。

    「あしひきの〜」の歌では、こう呟く。

    (しかしそもそも言葉にとって意味こそが核なのか、私は疑問です。言葉とはもとは鳴き声であり、感情であり、感情とは、そもそもが曖昧なものである。「共感」のために明瞭化されたものは感情ではなくて、ただのアイコンだ。だとすれば、意味なんていうくっきりはっきりしたもののために言葉があるとは思えないし、リズムやメロディが意味を忘れさせる瞬間は、「言葉」として本質的ではないかと思う。私は正直、リズムやメロディこそが核で、意味は枠だと思っています。)

    私は、この考え方とは違うけれど、こういう考え方で言葉を捉えたら、どんな世界が編まれてゆくのかには、とても興味がある。
    その時に、自分が見ているものと、どんな風に違ってくるのかも。

    そして、お気に入りになった一首もまた、この考え方が強く現れているものでした。

    「有馬山 猪名の笹原 風吹けば
    いでそよ人を 忘れやはする」

    「そよそよ」から「そうよそうよ」へ。
    「ほんまそれなー!」と笹の葉に相槌を打たれる。
    私から連絡が来ないって、私が忘れるわけがないやろ、そもそも連絡くれへんかったんアンタやん。ほんま、それ。ほんま、それ。

    自分が責めると跡が残るけど、人間じゃないものに、そよそよ代弁してもらう。
    なるほど、この歌ってこんな味わい方があったんだな、と楽しくなった。

  • 言語や詩や恋愛に対する作者の考え方が語られ、千年後と今で、変わらないこと変わったことを対比させつつ描かれる、百人一首。すらすらと古文を読み解けるわけではない身には、歌のエッセンスを解き明かしてくれる。個人的には、「花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」がぐっときました。以下抜粋/(言葉は)リズムやメロティこそが核で意味は枠だと思ってます/「わからないけれど、でも、なんかいいなって思った」と言ってもらえる時、私はその詩が書けてよかったな、と思う/ふしぎだ、現実を認識することだけが瞳ではない、完成ではない、と知ったとき、何十年も人が、生きていくその理由が、笑い、泣いて、怒って、生きていくその理由が、少しだけわかった気がした。/

  • 百人一首の解説本としてはとてもわかりやすく、面白いと思う。
    中学時代、意味もわからず百人一首を丸暗記した自分に読ませてあげたい。

    恋のうたの意味は、大人になったらわかるだろうと子供の頃は思っていたが、
    大人になってからも、ちっとも理解・共感できなかった。
    そして、恋愛至上主義な文化芸術への興味も薄れていった。

    好きな百人一首は、中学時代も今も結局変わらず。

    秋風に たなびく雲の 絶え間より
    もれ出づる月の 影のさやけさ

    500年前も今も変わらないものは、
    季節の美しさだ。

  • 詩人・最果タヒによる百人一首読み解き本。
    タヒさんらしいというのか、一首について1ページで終わってしまうものあり、2ページ以上にわたって解説するものあり、そんな違いが面白い。

  • 「千年後の百人一首」として一首ずつ現代詩訳したときに、最果タヒさんが感じていたこと。
    百人一首ってこんなに魅力的だったんだ!と思った。
    古語とか、修辞法とか、歴史的背景とか、品詞分解とか、そんなのはすべてどこかにいった。
    あるのは、ただ、感性のまたたき。千年前も現代もまったく同じ、感情のゆれうごき。
    こんな風に百人一首に触れられることが嬉しくてたまらなかった。やわらかくて大事なものに直に触れているような気がした。
    二ヶ月くらいかけて暗記しながらじっくり読みました。

  • 『千年後の百人一首』と共に読むと味わいが増します。
    百人一首が自分の知っている感覚に近づいて、詠み手に親しみが湧くような文章たち。
    そうやってこの訳が生まれたのですね、という、裏話を聞いている感もまたよい。
    たしかに、詩で訳すというのは現代語訳として一番和歌に近い形なのかもと思った。

    それなー!と清少納言の同級生感、変わらなければいいのにという切なさが印象に残っている。

  • 詩人の最果タヒさんが、百人一首の一首ごとに向かい合うエッセイ。
    
    わからなければ、という気持ちで百人一首に向き合ってきたからか、わかりあえない、という気持ちがこれまであった。
    最果タヒさんは、わからない、という立場で紐解いてくれるから、読んでいる自分も冷静に歌と向き合えた。
    
    事前に百人一首を最果タヒさんが現代語訳した「千年後の百人一首」を読んでいたけれど、もう一度読み返したい。
    
    
    12月に購入してお正月に読もうと取っていた作品。そもそもなんでお正月に百人一首なんだろか。

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著者プロフィール

最果タヒ(Tahi Saihate)
1986年、神戸市生まれ。2008年、『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞。2015年、『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『愛の縫い目はここ』、小説に『星か獣になる季節』『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』『渦森今日子は宇宙に期待しない。』『少女ABCDEFGHIJKLMN』『十代に共感する奴はみんな噓つき』、エッセイに『きみの言い訳は最高の芸術』、対談集に『ことばの恐竜』がある。最新詩集に、2018年9月刊行の『天国と、とてつもない暇』。

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