ツォツィ

制作 : Athol Fugard  金原 瑞人  中田 香 
  • 青山出版社
3.75
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本棚登録 : 47
レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784899980766

作品紹介・あらすじ

アパルトヘイト政権下の南アフリカ。ごろつき、ギャングスタを意味するツォツィと呼ばれている少年は、仲間と共に日々盗みや殺しを繰り返していた。記憶のない彼にとって、生きているという実感が持てるのは、ただ人を殺すときのみ。そんな彼がある日見知らぬ女性に赤ん坊を押し付けられる。強く心を惹かれ、ぎこちなく世話を始めると、その日からすべてが変わった…。世界的な劇作家、アソル・フガードによる、生きることの根源的な意味を問う、不朽の感動作。

感想・レビュー・書評

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  • 冒頭からハードボイルド小説を味はふ如く読み進み、ラストのわづか数行で不覚にも涙す。

  • ラストには涙が滲んだ

  • 南アフリカってこういうスラムがある国なのか。新興国と言われるようになっても社会がこんなに危険ではなあ。

  • 映画は未見。
    最初から最後まで、自分の中にすっと入ってきた。(訳が読みやすいってのもある。金原さんの訳はヤングアダルトを結構読んできた。)最後がどうなるかは何となく知っていたんですが、最後まで読みたい気持ちと読みたくない気持ちがせめぎ合い。キリスト教的な要素とか、アパルトヘイトの時代の南アフリカのこととか、わからないことも多いけど、それでもすごくよかった。映画もそのうち見たいな。

  • 南アフリカのスラム、他人を襲ってはわずかな金を奪うことに何のためらいも感じないように生きてきたツォツィは、良心の呵責に苦しむ仲間の問いに動揺し、さらに見知らぬ女に、無力な赤ん坊を押しつけられたことで、今までになく感情を揺さぶられていく。心に硬い殻を被って生き抜こうとする青年を、共感をこめて描いているけど、冷酷さを捨てたらこんなふうに終わるしかないなんて、宗教がかってるうえに救いがなさすぎだよ。同名の映画の方が私は好き。

  • 1960年代、アパルトヘイト下の南アのスラム街で生きるツォツィ
    (ごろつき、というスラング)がとある契機から人間性を取り戻す
    過程を描いたストーリー。
    2005年映画化、アカデミー外国語映画賞受賞。
    うちの会社に内定を貰った日に観ていた、思い出深い映画です。

    映画に比べると『とある契機』のインパクトが少なく、ドラマチックな
    展開を見るというよりは一人の青年の記録を読んだような雰囲気。
    全体的にスピード感に優れ、最後までぐいぐい引っ張られた一方、
    感情移入は然程ないままラストを迎えてしまいました。

    このテの物語に今ひとつ乗り切れないのは、フィリピンのスラム街に
    慣れているからなのかも分かりません。
    スラムにも他と同じように喜びも悲しみも怒りもあって、その中で
    決定的に「違う」ところがある…という状況を本当に表現できている
    作品にはまだ出会えていないです。
    まあ南アとフィリピンじゃ違うけどさ。


    映画ですが、スラムを扱った作品ならばまさに完全なる非現実の
    「シティ・オブ・ゴッド」が一番のお気に入りです。
    スラムドッグ$ミリオネアの原作である「ぼくと1ルピーの神様」は
    未読なのでいつか挑戦したいです。

  • ツォツィはじめ、登場人物の心理描写に迫真性があって、すごかった。

  • 映画を観た直後という事で、読み方に何らかの影響が出てしまったのは否定できない。
    でも、そこから見えて来たのは、アパルトヘイト真っ只中に書かれた本作と、それから約40年(原作が出版されたのは80年代だけれど)もの月日を経て映像化された映画との、悲しい共通性だった。

    分離が廃止され、富を得る権利を肌の色に関係なく持てるようになった。しかし、蓋を開けてみれば、40年前と何ら変わらず混沌とした生活を送る人が居るのが現実だ。
    そして人が共有する暗鬱な感情は、何年経っても変わらない。


    さて、本作だが、非常に緊張感漂う作品である。
    主人公のように、何かを差し迫られているような感覚に陥る。
    また、主人公と他者それぞれの視点で展開される構成が面白い。
    ツォツィに何らかの影響を与えたり、与えられたりする人々。
    幸福な労働者ガンプート。脱落優等生ボストン。物乞いシャバララ。インド人店主カシム。若く美しい未亡人ミリアム。そして、教会の鐘を鳴らす黒人使用人アイザイア。

    私はどうして、最後にアイザイアとツォツィが出会ったのかが分からず、もやもやしている。
    映画と同じく、主人公が、赤ん坊を手にしたことで押し殺していた感情や、過去を取り戻していくという流れは変わらない。そして、最後は神に救いを求めるまでになった…表面的にはそういう因果にも思えるのだが、作中随所で出てくる鐘の音。それは無理やり詰め込まれた窒息しそうな空間で生きる人たちの、憂いと喜びを操るものである。その鐘を鳴らす使用人に出会う。それは、ツォツィの生なんだろうか。象徴的な場面で、また最も気にかかる場面である。

    そしてその後、
    「ツォツィは、不思議なほど体軽かった。(中略)浮揚感が自分を越えてまわりにも広がっていた」。

    考え過ぎかも知れないけど、宗教の種類は何であれ、黒人奴隷達が唯一救いを求められた場所は各種の教会であったという事実と重ねてしまい、胸がきりきりした。




    どうでもいいけど、登場人物が何回もおならをする。
    カシムはツォツィにびびった余り、ちびるのではなく、屁をこくのだ。

    非常にビビッドで臨場感溢れる文章だが、臭いまで伝わらなくて良かった。

  • 作られた貧困と、貧困によって生まれる犯罪・・・・幸福な子ども時代の記憶を封印しなければ、ツォツィは生き延びることができなかったのだろう。

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