七つの人形の恋物語 (海外ライブラリー)

  • 王国社
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784900456525

感想・レビュー・書評

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  • 田舎から女優を目指し、パリにやって来た若いムーシュ。現実は厳しく、場末のストリップショーからもお払い箱にされ、セーヌ川に身を投げようとする。その時、どこからかムーシュに語りかける声が。それは、小さな芝居小屋にたたずむ人形から発せられたものだった。思わず返事したムーシュは、しだいに人形たちの世界に引き込まれていく。
    そのまま一座の興行についていくことになったムーシュだが、座長で人形遣いのキャプテン・コック(ミシェル)は、血も涙もない冷酷な人間だった。

    ミシェルはとにかくムーシュにつらく当たる。不遇の人生を送ってきた彼は、同じようにつらい人生を歩みながらも純真さを失わないムーシュをとにかく汚したくてたまらないのだ。
    毎日脅え、泣きながら朝を迎えるムーシュだが、彼がつらく当たれば当たるほど、翌日の人形たちはムーシュをいたわり、甘え、ミシェルから受けた傷を癒してくれる。

    この物語は決して明るい話ではないのに、どこかおとぎ話のようなふんわりした印象を受ける。それは、登場人物に生身の人間が少なく、人形たちとのやりとりが中心になっていること、語り口がどこか芝居の口上のように感じられるからかもしれない。

    生真面目で責任感の強いにんじんさん。ずるがしこいけど甘え上手で憎めないきつねのレイナルド。図体がでかいが、不器用で気がやさしいアリ。理屈っぽいペンギンのデュクロ博士。わがままでプライドの高い女の子のジジ。噂話が大好きで、女の先輩として何かと助言をくれるマダム・ミュスカ。冷静で頼りになるムッシュ・ニコラ。彼らは皆、ミシェルという一人の人間から生まれているのである。
    この話は、心理学的に「多重人格」の話として位置づけられているようだが、普通の人間の中にだってさまざまな顔が潜んでいる。友人といるとき、家族といるとき、職場にいるとき、全く同じだという人はいないはずだ。いろいろな面を含めてすべて自分であり、どれかだけが真実の自分であるわけではない。

    ムーシュと人形たちとの関係は、ムーシュに好意を寄せる軽業師バロットの登場により変化を迎える。ミシェルから逃れるため、バロットとの結婚を決意するムーシュ。しかし、彼女が旅立つ日、人形たちに異変が起きる。
    ミシェルは、冷え切った心の中で凍り付いていたさまざまな自分の顔を、人形を通してしか表に出すことができなかった。そのかたくなな心をムーシュが純真な心でやさしく溶かしていく。

    いろんな俺を全部受け止めてほしい、とか、聖母のようなムーシュの描き方とか、若干男性の都合の良さを感じなくもないのだが、それでもやっぱりこの物語は素敵な恋物語だ。何度でも読み返したい本である。

  • なぜだか忘れられない物語。

  • 都会で挫折し、絶望とともにセーヌ河に身投げをしようと歩いていた少女が出会ったのは、小さな人形芝居小屋の舞台に入れ替わり立ち替わり登場する、個性豊かな7人の人形でした。
    彼らとの会話に救われた少女は、この人形たちの一座に加わることになります。
    しかし、この一座の座長はあたたかみもやさしさも感じられない、不吉な気配さえする男だったのです…

    少女のことが大好きでかまってほしがる人形たち。
    しかし、彼らを操っているはずの男は、蔑むような言葉や暴力で少女を苦しめます。
    幸福感と笑顔にあふれた昼の舞台と、それとは正反対の舞台以外の時間。
    その隔たりに困惑しつつも、少女が生まれ持った心の美しさで一座を導いていく姿から目が離せませんでした。

    うらぶれた街角から始まった物語に秘められた、きらめくような純粋さが、とてもまぶしく感じました。
    「多重人格者との恋」という特殊な状況を描いているようでいて、実は一人の人間にはさまざまな一面が共存していること、恋愛とは相手のさまざまな一面をひっくるめて愛することだという、普遍的なことを描いていたのだなぁ…と、読後にじんわりと噛みしめたのでした。

  • 彼女の芯の強さと、思いやりの心にいつも心打たれます。

    人は、いろんな面を持っているもの。
    この本を読むたび、再確認します。

    心理学に興味ある人おすすめです。
    そうじゃなくても、おすすめです。

    聞こえない声に耳をかたむけたくなる本。
    人に優しくなれる本。
    大好きな人を大切にしたいと改めて思う本。
    根本的なところを受け止めてあげたい思う本。

    全てをわかろうとしなくても、寄り添いあうのが大事なんだって思う本。

  • 設定の妙があり、創作、演技とは何かを示す。人形劇と絶望からの少女の邂逅。筋書きも見事。

  • 心理学の抗議で読み聞かせしてもらった物語。
    屈折した男性と七者七様の人形たち、傷ついた少女の心の交流。誰もが持ってるペルソナを物語に昇華しつつ、説教じみず、胸がギュっと締め付けられる。

  • 翻訳は不滅の少女こと矢川澄子女史。
    想像以上にアダルトでおおおう・・・ってなった・・・ギャリコ・・・。
    屈折した愛情劇とうたわれますが、ストレートに愛憎をぶつける孤独な男と人形を通して彼に触れる少女に心打たれる恋物語。
    清らかなムーシュを自分と同じところにまで引きずり下ろすために強引に関係を持つ辺り男性が書いた純情な恋物語感はあるなあ、と・・・。
    あと男が35歳でヒロインが22歳なのね、そりゃ男の夢だわ。
    悪人らしい悪人が出ないのもまた・・・あと男性性のダメなところここまで浮き彫りにしてるのも凄い。

  • 好きだというのが気恥ずかしくなるほど。あふれる優しさに思わずうつむいてしまう。打ち明けるにもためらいがちになる……。しかし、このベタベタに甘い作品に、一体何度泣かされたか分からない。お人形が可愛いなんて何歳まで通用すると思ってるんだと聞かれたら、むしろ、大人が開くからこそ溺れてしまう世界だと答えるしかない。

    主人公のムーシュは、「そんながりがりの痩せっぽっちじゃその気になれない」ということか、ストリップ小屋では売り物にならず、客に愛されることなく追いはらわれてきた娘。ストリップ小屋なんてものが出てくる時点で、この作品に子供向けのレッテルは貼れない、大人が読めということではないのか。
    そして、全く人間に愛されることもなければ、誰かに愛を注ぐということを知らぬまま中年に至った、ミシェルという男が出てくる。彼の屈折ぶりは相当、自分が誰かを好きになるということ自体許せないことのように思っている。
    しかし、そんな二人の心にもやはり愛はあった。結末で訪れる救いの優しさ。言ってみればこの作品舞台には、はじめから二人しかいなかったのかもしれない。

    土壇場まで、ミシェルははっきりさせることができない。七つの人形はミシェルの分身であり、ミシェルという一人の人間が、ムーシュを愛し見守っているのだということを……。その結果、皮肉屋で粗野で残酷な男が、にんじんさんだの狐さんだの、何とも可愛らしいお人形さんを通してのみ、愛を表現することになる。
    ラヴリイな人形たちを操っているのは強面のおっさん。傍から見ると、結構怖い光景だったりするのかも。映像作品だったらたまげて椅子から転げ落ちたろうか。こういうことは文学作品だからこそ叶えられる話と言えそう。叶わないものが叶えられる世界、これぞ究極の夢物語である。

    多重人格ものとしても面白く読める本だということは常々言及されているが、更に強引に考えてみた。ミシェルは七重人格、いや、本体を合わせると八重人格なのか? それよりは、「人格」というものの定義をもっと揺らがせてもいいかもしれない。

    一人の人間という入れ物の中には、考えられないくらいたくさんの引き出しがある。いくつかは引き出す機会を得られぬまま、案外自分でも知らないうちに終わってしまったりするくらいに。
    その中でも表面に浮上する「人格」とは、外部との接触に反応を示したり、対応を迫られたりするうち生まれる「役割」である。多重人格者の物語は、ある人格が笑いを、ある人格が怒りを、ある人格が泣き虫など、配役が決まっていることが多い。

    視覚や聴覚に訴えて観客の共感を呼ぶ舞台芝居においては、なおさら役割分担が進む。登場人物のキャラクターが遠目にも分かりやすいよう意識しながら、特徴的に型抜かれる。
    「この人物はこういう性格だ」という土台の上で、芝居は成り立つ。
    あるいは、ある程度「こういう人なんだな」という前提があってこそ、対話は成立する。場所や相手など幾つかの条件が変更された時、まるで別の人格があらわれたとしても、それほど不自然ではない。

    ミシェルという人物が持っている「前提」は、「怖いおっさん」だった。しかし、それはこれまで愛とは無縁に生きてきたがために、愛を外側にあらわす機会がなかっただけ。ないと思われていたあたたかな感情は、もとから彼の引き出しに入っていたのである。
    一人の人間は、七つ八つどころか人は千の仮面を持っていて(『ガラスの仮面』か?)、思いもかけぬ時に最も意外な仮面をまとってやってくる。

    面倒なことをたくさん論ってしまったが、女の子と七つの人形のやりとりが理屈抜きで可愛くてしょうがない恋物語、ということ。お気に入りの人形が出てきたら思いっきり拍手喝采、ムーシュと人形の絶妙のかけ合いを楽しむ。それでいいのだ。


    『このベタベタに甘い作品に、一体何度泣かされたか分からない。』bk1書評から引越

  • 人形遣いの無意識の中の意識を託された七つの人形。心に刺さった氷のカケラを溶かしていくムーシュの純真無垢。その美しい恋物語。人はみな自分の知らない自分を隠し持っている。誰だって多重人格になりうる。ギャリコの人間へのやさしい愛情と訳者矢川澄子の化学反応による上質なメルヒェン。「でも、僕らって誰なんだ?」

  • 何を間違えたか初めて読んだのは小学五年生。タイトルのファンシーさに惹かれて読んでみましたが内容のシビアさと重さに、普段優しい児童書ばかり読んでいた当時の私はとても衝撃を受けました。女の子がひたすら大変でかわいそうで、読んでいるうちは苦しかったです。落ち込んでいる少女にやさしくしている人と苦しめている人が同じなのに不思議な奥深さや人の心の切なさをよく感じた話でした。また機会があれば再読したいです。内容があやふや。

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著者プロフィール

1897年、ニューヨーク生まれ。コロンビア大学卒。デイリー・ニューズ社でスポーツ編集者、コラムニスト、編集長補佐として活躍。退社後、英デボンシャーのサルコムの丘で家を買い、グレートデーン犬と23匹の猫と暮らす。1941年に第二次世界大戦を題材とした『スノーグース』が世界的なベストセラーとなる。1944年にアメリカ軍の従軍記者に。その後モナコで暮らし、海釣りを愛した。生涯40冊以上の本を書いたが、そのうち4冊がミセス・ハリスの物語だった。1976年没。

「2023年 『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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