続・自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない高校生がたどる心の軌跡
- エスコアール出版部 (2010年10月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (147ページ)
- / ISBN・EAN: 9784900851597
作品紹介・あらすじ
発行と同時に大反響をもたらした前作「自閉症の僕が跳びはねる理由」あれから3年、中学生だった著者も高校生になり「恋愛について」「仕事について」「勉強について」など高校3年生の「今」、60以上の質問に答えます。
感想・レビュー・書評
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この本ほど自分の世界を広げれくれた本は、まだ他にはありません。
自閉症である東田直樹さんに対する質問とその答え、東田さんの作った詩、感じたことが書かれています。
自分の仕事柄、自閉症の人と関わることもあったのですが、その遠い瞳に何を見ているのか、わかりたいけれどわからないという思いがありました。しかし、この本に出会って、自分の狭い考えや信じていた常識はただの陳腐なものになりました。
Q,口から出る言葉に意味はありますか?
A,言葉というものは、何かしら意味を持っていると普通の人は考えます。けれども、僕の話す言葉には、人に伝えたいだけではない言葉もあります。…
Q,こだわりはやめられませんか?
A,こだわりは、とても辛いものです。「こだわりを好きでやっている」と思っている人がいるなら大間違いです。…
Q,自己嫌悪に陥ることはありますか?
A,「僕なんて」という気持ちはどこからくるのでしょう。
それは、やはり人からの評価だと思います。勘違いされているのは「だったらたくさん褒めて育てればいいでしょう」と思っている人もいることです。
何でもかんでも褒められて、嬉しい人がいるのでしょうか。ちょっとしたことで褒められても、自分のことをバカにしているとか、わかってもらっていないとしか感じないと思います。僕は、赤ちゃんではありません。本当に頑張ったことに対して、きちんと評価して欲しいです。
どんな風に語ろうと思っても、うまくできません。
一人でも多くの人に読んでもらいたい本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自閉症児を特別視してしまう…
しないでほしい、優しくしてほしい、僕もこれができる、これが出来ない… 言葉に出来ることは当たり前で、でも誰もが難しく思っていることは健常者も変わりはなくて… 言葉の端々にハッとさせられる。
おわりに、の中で…
人の幸、不幸はその人が決めるべきもの。みんなと同じことができないことが不幸なのではなく、人間として、自分らしい生き方ができないことが、悲しいのです。
バリアフリー、そんな世界になったらいいなぁ… -
前作は中学生、今作は高校生の頃の作品。
跳びはねることの理由は、手足の位置がわかることによって自分の存在が実感できること、空に向かって気持ちが開くことなどがあるとのこと。先日見たNHKの番組では、対談相手の外人作家の息子さんも確か跳びはねてた。やっぱり同じ理由なのかな。また、自閉症者が光や砂、水が好きという記述があったけど、その外人作家の息子さんが日光浴してたシーンもあった気がする。人種も土地も違うのに同じ特徴がみられるんだな。
自閉症で人とスムーズに会話できなかったとしても、自分を客観視して、これだけ言葉を操って表現できれば素晴らしい。 -
この本でどれくらい多くの人が救われるだろうか。
とにかくたくさんの人に読んでもらいたい。
イギリスの作家の方が
「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を英訳されて
イギリスでベストセラーになったそうだが
とにかく世界中人に読んでもらいたいという気持ち
読んでみてよくわかった。
東田直樹さんの担った役割は
とてもとても大きい。
自閉症の方の世界がどんなものなのか
はじめて知ることができた。
常識というのは
ただただ人数の多い健常者の平均値なだけで
「本当」や「本質」というものはもっと
潜在的なものの中にあると感じた。
なぜかこの「続〜」から読んだので
出てるすべての本は読みたいと思う。 -
前作に続けて読了。
前作から3年。変わってきたこと、変わらないこと、知ってほしいこと、自分の本当の気持ちなど、じっくりと自分のこころについて書かれています。
自分の気持ちをうまく伝えられずに癇癪を起こしたり、気持ちをコントロール出来ずに暴れる子どもの気持ちに寄り添いたいと日々思っているのですが、当たり前ですがみんな個性があって考えていることや感じ方が違うので本当に難しいです。
辛抱強く、諦めず、相手の気持ちを考えて寄り添う。そして優しい笑顔と誠実な心でまずは信頼関係を結んでいくことが大切ですね。
障害の有無ではなく、すべての人に対して大切にすべきことだなと思いました。 -
2014.10―読了
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私の次男はASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されています。ADHDが強めでASDの特性はさほど強くはないため、この本の著者の東田さんとはコミュニケーションの仕方、感じ方などはだいぶ違うような気がしますが、本書の言葉の端々に次男の様子が浮かび、「息子もこんな風に感じているのかな」と想像しながら読みました。
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■ 1750.
<読破期間>
2017/7/1~2017/7/9 -
著者が中学生の時に書いた前作『自閉症の僕が跳びはねる理由』の後に、著者が通信高校に通い始めてから書いた本作を読むと、共通点も沢山あるが、変化している部分があるのが興味深かった。
その変化した部分が凝縮されているのが、本作第八章である。
物語を書くこと、勉強すること、高校に行ったこと、仕事を始めたこと、講演会に登壇したこと、他の障がいを持つ人たちと交流したこと、恋愛について、人間愛について。
前作『自閉症の僕が跳びはねる理由』を書いた後に、著者の世界が広がったのだろうと感じさせられる内容だった。
著者からは、前作と今作で自閉症スペクトラムについて様々なことを教えてもらったが、今作第八章ではさらに、自閉症スペクトラムの枠を超えて、著者自身と向き合えたように思った(語弊がある書き方のような気もするが、上手い表現が思いつかない)。
著者が、他の障害を持つ人と会った時に感じた「自分の存在意義を、この社会の中で見出そうとしていること、人とのつながりを大切にしていること」「その方の持たれている本当の強さや優しさに触れることができ、僕はとても嬉しくなると共に、これまでの自分を反省させられました」という気持ちは、この本を読んだ多くの人もまた、著者に対して抱く気持ちなのではないかと思う。