国民とは何か

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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784900997011

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  • ドイツ民族=国民。国民の基礎は、言語・大地・共通の記憶・慣習・ルターの宗教・ドイツ特有の教育・文学作品。階級を超えた国民全体の教育。教育こそ国家の中心的な機能。『ドイツ国民に告ぐ』フィヒテ1808
    →アジア・アフリカの諸国家に影響。

    ネーションは記憶を共有する人びと。歴史の偉人や英雄を共有。つらい出来事の共有は喜びの共有よりも人々を結び付ける。▼主体的に形成され続ける。変化し続ける。アルザス=ロレーヌは長年、独(神聖ロ)が支配していた。1700年代に仏に編入。ドイツは普仏戦争で取り返す(1871)。仏は第1次大戦で再度奪う(1919)。ヒトラーが一時取り戻す(1940)が敗戦により、現在は仏の領土に。ルナン「ドイツっぽい地域だけど、その所属は現在の住民の意思(投票)によるべき」。▼種族ではない。純血の種族なんて存在しない。フランス。ゲルマン人に侵略され混血した過去。言語ではない。宗教ではない。共通の利害ではない。利害を超えた感情がある。『国民とは何か』1882

    法による結びつきに基づくネーション(西欧)。習慣・方言・血による結びつきに基づくネーション(東欧)。H・コーン、1949。

    ※共通の歴史的・文化的な伝統・結びつきをもつ人々(ネーション)と特定の場所にすんでいる人を支配する権力機構(ステート)。共通の歴史文化をもつ人々を支配する権力機構(ネーション・ステート)。仮にネーションがエスニックなものと見るなら、ネーション・ステートもエスニックなものに。

    ナショナリズムは1800年代初めに生まれた邪悪な教義だ。この教義では、人間はネーションに分けられ、政府の唯一の正当なかたちはナショナルな決定だと考える。国家の権力行使の正当化、社会の組織化するために利用される。教義・イデオロギー。▼邪悪な教義であるナショナリズムの起源は『ドイツ国民に告ぐ』フィヒテからだ。種族を強調した。ドイツ民族。▼フィヒテの基礎になったのがカントの人間理解。個人が自由であるためには、意志の自律や自己決定の自由が実現されていないといけない。個人が自分自身だけで完成されることはあり得ない。個人は全体の一部であり、全体から個人の意味が引き出される。個人は自らを国家の意志に没入させることによって自由を見出す。ケドゥーリ『ナショナリズム』。
    ※ドイツの個別事例、ナショナリズムの一側面を記述したに過ぎないとの批判。

  •  『国民とは何か』において、エルネスト・ルナンは国家と国民について論じるために多くの国家像を例示した。人間の集合体、部族、都市国家、国家の結合体、宗教的共同体……、ルナンが例示した国家像は全てが異なる要因によって形成された国家である。そしてルナンはこれらの国家像を混同すべきではないと語る。「種族[race]を国民と混同し、民族誌学[ethnographique]、というより言語学的な人間集団に、本当に存在している民族 [people]と同様の主権を付与しているのです。」(P.42 / 12-13行目)とルナンは現代の国民の捉え方の誤りを指摘する。では、現代の国民の捉え方を誤りと指摘するルナンの国民の定義とは何なのだろうか。ルナンのネイション観(≒国家)がどのような人間観(≒国民)に基づいているのかを探っていきたい。
     「さまざまな国家を特徴づけるものは何でしょう。それは、これらの国家を構成している住民間の融合なのです。」(P.45 / 6-7行目)ルナンは地域間の種族・民族の混血化に国家を見出そうとしている。本文にもあるように、侵略された歴史を持つフランスでは特権階級の差異はあっても、住民間での種族的差異の観念は存在しない。これは侵略された歴史の忘却、歴史的誤謬という因子も働いているが、それ以上に流入者(フランスの場合は侵略者であるゲルマン人)が言語的にも血族的にも融合されたためだと本文から考えられる。ここからルナンのネイション観が見えてくる。つまり、国家とは住民の融合によって形成された集合体なのである。社会科学の分野において北アメリカの民族構成を「人種のサラダボール」、南アメリカの民族構成を「人種の坩堝」と呼んで対比関係を作り出しているが、ルナンが本文の中で示すネイション観は南アメリカを表す「人種の坩堝」にあたるだろう。
     では、そのネイション観を支える人間観は何か。「国民とは魂であり、精神的原理です。」(P.61 / 4行目)そしてこの国民(=魂=精神的原理)は二つの構成要素で成り立っていると述べ、「一方は過去にあり、他方は現在にあります。一方は豊かな記憶の遺産の共有であり、他方は現在の同意、ともに生活しようとする願望、共有物として受け取った遺産を運用し続ける意志です。」(P.61 / 5-6行目)とする。前段落でルナンが国家を住民間の融合により成り立つものと定義していると述べたが、その上で、その国家を形成する国民とは、歴史的誤謬という国民の創造における本質的因子を内包しながらも、歴史の連続性の中に存在し流動的であるものであるとする。そして彼ら国民の輪郭を形成するのは道徳的自尊心だとするのである。これが、ルナンが表明したネイション観の基盤となる人間観である。
     ここで、ルナンの人間観とネイション観についての私の考えを述べたい。まず、ルナンの述べる人間観とネイション観が極めて抽象化されたメタ的なものであることを指摘したい。「健全な精神と熱い心をもった人々からなる大きな集合が、国民と呼ばれる道徳意識を創造します。」(P.64 / 1-2行目)とあるように、人類学で扱われるような種族や語族での区別をせず、共通意識を持つ者での共同体という考えをルナンは持つ。私はルナンのメタ化した視点をもって国民とは何かを捉えようとする姿勢に賛成である。しかし、その捉え方には反対だ。何故ならルナンは道徳的意識に言及して、共同体のための滅私奉公を謳うからである。この一連の文脈はオルダス・ハックスレーの『すばらしい新世界』で描かれた気持ち悪さを彷彿とさせる。ルナン自身、有色人種を劣った人種とみなして白色人種の優位性と植民地化の正当性を肯定している背景もあるため、私は彼の述べる人間観もネイション観も、メタ化された中に醜悪なナショナリズムの陰を見出してしまう。

  • The西洋史学専攻!

  • 近年のナショナリズム議論の中で、古典的「国民」概念についてしばしば引用される。様々な問題の土台となることが色々と書かれている。

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