革命のつくり方

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784900997486

作品紹介・あらすじ

2014年3月、台湾で起きた学生による台湾立法院(国会)占拠。この事件は代議制への危機感を背景にたちまち全土に拡がり、3月30日には台北で50万人規模のデモ、また運動の拡大は台湾第四原発をも建設停止に追い込んだ。80年代から群衆の反乱を注視し続け、この「ひまわり運動」=〝革命〟の現場にも立ち会って立法院の中にとどまりつづけた港千尋による、カラーを含む多数の写真を交えた世界で唯一の克明なレポート。本書は、これからの対抗運動の創造的なありかたを伝える希望の書であり、民主主義が失効した日本の現状を南から撃つ、群衆の勝利の記録である。巻末に詳細なタイムラインを付す。

感想・レビュー・書評

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  • 2014年3月、台湾で起きた学生による立法院占拠。代議制への危機感を集約してたちまち全土に拡がり、非暴力と組織力によって歴史に残る成功例となるこの「ひまわり運動」=“革命”の現場に立ち会った港千尋による克明な記録

  •  ある場所を占拠するには、その場所は空虚でなくてはならない。占拠とは、空虚を発見することから始まる。この運動は、立法の場が空虚であることを発見し、その空虚に創造の力が潜在していることを証明した。言い換えれば「黒箱」のなかにある「闇」を闇のまま放置するのではなく、箱のなかにある空虚を発見し、これをエネルギーに変えたのである。(p.91)

     立法の空間が占拠され、そのすぐ外の空間もまた占拠されたとき、まず起こるのは認識上の変化である。いつも車で通る道に人が溢れて通れない。昨日までの道が道でなくなり、何か別の場所に変わってしまっている。そこではじめて、道が何によって道になっていたかに気づかされる。道を道にしているのは法であり、その法が生まれるのが壁の向こうにある空間だということだ。そうした認識上の変化があちらこちらで起こっている。(p.152)

     福島の原発事故は、日本人がエネルギーという日常的には目に見えない、巨大な対象を具体的に考えるきっかけになった。すべての事故は、モノに潜在している日頃は目に見えない関係性の絡まりを顕わにする。具体的なモノを使い、政治を具体的に考える状況を作りだすのである。太陽花運動もその意味では、議会という具体的なモノをひとつの対象として、貿易協定という、目には見えないが巨大な関係性の絡まりを、一気に可視化したと言えるだろう。(pp.168-169)

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784900997486

  • 著者は台湾ひまわり学生運動を都市論や哲学、芸術論といった多岐に渡る切り口から考察している。この書は港千尋が学生視点から運動の成り行きを俯瞰して見つめ、学生がとった所々の行動がいかにして、全体的なムーブメントへと発展したかを述べている。そのため行動を具体的に細かく分析している点が印象的である。

  • 香港でいま起きていることを理解するためには、台湾のひまわり運動について知らなくてはならない、と書店でこの本を見かけた瞬間に気がついた。手のひらサイズの薄い本の隙間からイメージがあふれ出てくるような造本も魅力的だ。
    本は2部に分かれていて、後半の運動の記録は、運動を構成していたさまざまな要素を、スナップショットとごく短いコメントで紹介したもの。これに、ひまわり運動をなぜ世界の革命の流れの中に位置づけて見るのかについて、短い論考が添えられている。禁欲的と言っていいくらいに文章量も少なく、小さくて薄い本なのに、最近読んだ中でもっとも豊かで刺激的な本のひとつだ。
    ひまわり運動に連なる世界の革命の流れをたどるのに、港千尋がまず注目するのは、権力の奪取でもステートメントでもなく、美術と文学が果たす役割である。そこから、議論は、都市の空間に出現する群衆へと移っていく。
    「群衆は人間の内にすでに棲みついているものであり、すぐれて触覚的な現象であり、幻影であると同時に現実である。
     群衆は、これを実態ではなく過程としてとらえたほうがよい。…群衆はある時点に存在するが、別の時点には消えている。…そこには必ず人間が群衆となる過程がある。この過程こそが群衆の本質である。だから群衆には全体がない。通常わたしたちは、群衆を人間の塊として、全体としてイメージするが、それは輪郭を持たない全体なのである。この全体の不在こそが群衆を群衆にするのである」。
    この群衆、聞きとられるべき意味をもつ言葉が発される議場ではなく、その外の街路に出現する群衆が、議場において発される言葉の機能不全を見抜き、誰の言葉が聞きとられるべきかを決定する暴力に抗して、言葉が発され、聞きとられる空間=議場をみずから創りあげるとき、そこに革命が生じるのである。
    このような種類の「革命」こそ、ウォール街で、タハリール広場で、台湾で、香港で、連鎖的に幻視されたものだったのだ。
    ひまわり運動が始ったきっかけは、紛糾する議場で与党議員が持ち込んだマイクで一方的に審議終了を宣言したことだったという。学生たちの運動は、超法規的方法で立法空間からその機能を奪ったプロセスを、そっくりそのまま逆転させたものではなかったかと、港さんは指摘している。この部分を読んで思いだすのは、特定秘密保護法の審議の時に出現した、同じような光景である。
    いま香港で起きていることを、台湾のひまわり運動、エジプトやチュニジアにおける事件、オキュパイ運動との関係において読むという行為は、東アジアそして世界各地の運動の連鎖から孤立しているかのような日本の姿を、逆に際立たせる。
    この本はほんとに禁欲的で、日本で「革命」を作るためのヒントをひきだそうなどとはしないのだけど、仮にここで革命をつくろうとするならば、たぶんもっとも必要なのは、想像してみることなのだ。そのための最良の美学的ガイドである。

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著者プロフィール

写真家、映像人類学者。多摩美術大学教授。1960年神奈川県生まれ。南米滞在後、パリを拠点に写真家として活躍。1995年より多摩美術大学美術学部で教鞭をとり、現在は同大学情報デザイン学科教授。2006年〈市民の色〉で伊奈信男賞受賞。2007年第52回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展における日本館の展示企画コミッショナーをつとめる。

「2019年 『現代写真アート原論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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