アーバン・トライバル・スタディーズ―パーティ、クラブ文化の社会学

著者 :
  • 月曜社
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本棚登録 : 35
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901477154

作品紹介・あらすじ

マクルーハン以降の現代のトライブ(部族)の概念、ベンヤミン、アドルノ+ホルクハイマーなどの批判理論、カルチュラル・スタディーズ、エスノグラフィの方法を詳細に検討しながら、19世紀から1960年代のサイケデリック文化の系譜と向き合い、シーンを生きている/生きる者としての視点をもって、国家や階級、民族に帰属しない共同性の可能性を探る。

感想・レビュー・書評

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  • ツリー型のネットワークによる解析や
    ランダム型によるネットワークの解析ではなく
    スケールフリー・ネットワークで社会を解析する時代において

    アーバン・トライバル・スタディズ

    都市の部族の研究と訳せばいいのか?まあとにかく、部族という単位は
    非常に重要なキーワードになると思われる。

    今日見られる、wikiというプログラムや、mixiの方な仕組みは
    贈与経済的なやり取りの中、それぞれに価値ある情報を提供し合っている
    そこから考えられる状況とは、資本経済に対しての贈与経済の強化と
    考えられる。と同時に資本経済内の仕組みも一層、部族的になっている
    それは、都市の部族そのもの

    複数の部族に一時的に帰属する
    (本文 p.17)

    という状況と、複数の取締役会に参加する取締役や複数の大学に所属する教授、講師たちを、または、スポーツ選手で取締役というような横断を
    何故区別できようか? 社会は単純なツリー型から複数の部族の共存する
    そして、それらを横断して生活する、都市の部族の社会となったと言える

    本書は、そのような状況に対して一般解を出すわけではなく
    もちろん、特殊解の中から答えていくものである。
    しかし、それは普遍性へと繋がるなにかを持っている。

    中世世界で自分の土地から弾かれて、再登場した商業は土地に対して自由であり、執着がない。その力は近代に絶頂を迎えて

    フレクシブルで変容可能なアイデンティティ、~、近代化と脱近代のプロセス双方を通しての複数のトライブの再分類化、再編成こそがそうしたアイデンティティのありようをも可能にしている。
    (本文 p.34)

    などと、実際のリサーチを通してその実態を露にしてゆく
    その感覚は都市の内だけ留まらずに

    自然もまたある種の都市として,都市もまたある種の自然として、都市もまた別種の自然として見いだされる可能性を持つ事になる。
    (本文 p.58)

    今日における都市の部族は自分の土地というものを強く意識している事が伺える。しかし同時に、キリスト新教の布教活動のように様々な土地を横断する
    それは、複数の音をミックスさせるように、そこにある土地、そしてそこに来た複数の文化をミックスさせたりもする。土地は彼らにとって秩序を生産する場であり、同時に秩序を侵犯する場でもあるのだ。それはある種の戦争に近い
    スポーツと言う名の戦争に
    それら干渉し合う関係は

    リズムは常に複数あり、絶えず干渉しあっている。
    ~リズム、それは都市の音楽であり,それ自体に聞き入っている絵画であり,不連続こそ総和としての現在のイメージだ。内側の窓から受け取られたリズムは,正面の壁を通り抜けていく・・・
    だがまた別の窓の方で,このリズムは同時にそこから逃れ去るリズムのただ中に存在する
     何も対象としては選びとっておらず,出来事から一定の距離をもった知覚が,複数のリズムのざわめきに身を委ねる事ができる
    p.190

    という、動的なリズムの関係に近い、それらは共振し合って
    大きな力を生み出したり 逆に消滅し合って緩んだ空気を作り出す
    クラブ文化の社会学とは、都市の社会学へと発展する普遍性を持つ
    都市自体が複数の楽器の編成からなる一つの音楽であり、そこには
    複数のリズムの干渉によって生成される、都市のリズムがある
    それを眺めるのは、一つのモノを眺める視点ではなく、全体を把握するネットワークへの、動的な関係への視点である。本書は、そのような動的な動きが、実際の文化の中でどのように行なわれているかを確認するのに大きな力を果たしてくれるだろう。

    遊びとしてのダンスには明確なコレオグラフィがない。
    ~摸倣の対象のない摸倣
    (本文 p.197)

    踊る事,その熱狂と陶酔は必ずしも思考の排除を意味しない
    逆にそれまで考えなかったようなことを考える契機にもなりうる
    (本文 p.198)

    そして、そのような動的な関係から見る人への視点を丁寧に解き明かしてくれる良書である。われわれは、どんどん遊びとしての文化を獲得していくだろう。それは、近代スポーツが「競争」を目指したものであったのが、現代スポーツの向かってる先が「楽しみ」というより
    重要な問題をとり組み始めているところに、すでに現れている。

    われわれは文化を今後、そのような視点で見なければならない
    「資本」(&「国家」)が作り出した「競争」が変容し
    「共同体」がつくりだす 「贈与」が変容したのだから
    それらは今後、web によって補完されていく

  • 私と同じこと考えてる人がいた

  • クラブはこんなとこ

  • 最新作。いろいろ示唆的。面白い本はなかなか読まない性質なのでまだ読んでない。

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