あたりまえなことばかり

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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901510134

感想・レビュー・書評

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  • 人生の目的とは魂の世話をすること(^o^)考えることによって自由になる\(^_^)/

  • このひとの文体は、この事実を与へるだけではない。詩人や物語は、この事実を放ち、ひとを揺さぶる。ことばが響く。ところが、このひとはことばが響くのではなく、読みながら思考が動く。このひとの情熱的な部分である。
    このひとにしろ詩人にしろ、読んで考へるかは、受けとつた人間次第である。いいか悪いかは、そんなの知らないといふだらう。ただ、このひとはこうするより他なかつた。こう伝へるより他はなかつたはずだ。
    事象そのものを問ふといふこと。考へるとはそのことを考へなければ一体何を考へたことになるのだらう。
    知らず知らず、「なぜ○○なのか」とか「○○とは何か」と問いをたて、ひとのことばを聞き、自分で考へたつもりになつてゐる。けれど、この問いといふものは、当のその「○○」を前提にしてしまつてゐる以上、本当の意味で確かな問いではない。その「○○」が在るといふことを疑つてゐないからだ。
    では、その「○○」が「在る」とはどういふことなのか。この時、ことばの存在の驚異に出くわす。「ない」といふことばが「ある」。存在しないものは、語りえない。裏返せば、あらゆることばが「存在してゐる」
    自分といふ存在について同じ様に考へれば、他人といふ存在を思ふ「自分」がゐる。どんなにあがいても、この「自分」以外であることはあり得ない。裏返せば、「自分」以外であり得る他人は存在しない。
    時間といふことについて考へれば、未来や過去といふものは、「現在」といふ一点を離れることができない。過去を語る「現在」があり、未来を望む「現在」がある。現在の視点を離れて、過去を語ることも未来を望むこともできない。直線的水平的時間から、垂直に立ち上がる。
    この様に考へていくと、なんだか生きていくことが盛大な茶番に見えて笑へてくる。この一点を一度掴んでしまへば、あらゆる事象が澄み渡る。だからこそ、逆説的に真面目になつていく。真面目に茶番に向つていける。
    当り前に驚き、その本質を考へていくと、「なあんだ。当り前なことではないか」とその事象をその事象として受け容れることができる。他人をどうにか変へやうとか、存在しない未来に怯えることも、過去に振り回されることもない。この「自分」以上になりえないといふ、不自由な自由を得てしまつた以上、これ以上の自由などあり得ない。これは悲しいことでもあり、喜ばしいことでもある。それを含めて「生命」だから。

  • 2011.09
    あたりまえなことばかり 池田晶子
    人生の目的とは魂の世話をすることである。ソクラテス
    知るということは思い出すということである。プラトン
    生死 宇宙 善悪
    外なる規範としての道徳 内なる規範としての倫理
    自身の行為の動因が善にあることを自覚しつつ行為すること自立的であることそれだけが倫理的であること
    人は不思議に目覚めることによって自ら矩(のり)を知る
    死体はあるが死はない
    理性とは事象一般すなわち常識についての洞察力である
    宗教の教祖は必ず語る
    相応しい魂にのみこの言葉を植え付けるのだ パイドロス
    いかに人を信じさせずに考えさせるか
    ソクラテスはイデアによるロゴスがどうしてかそうなるからそのような成り行きで死んだ
    人生の目的とは魂を善くすること
    知ることはイデアを想起すること
    認識によって存在は認識できない
    死後の生命とは魂
    あなたの内なる神を信ぜよ キリスト
    宗教で信仰することは知性を放棄することに科学は知性を駆使すること
    わからなさを前にしたときの謙虚さということ以外には倫理性というのは発生しない
    私とは何かではなくて私が何という名前で呼ばれているか
    われわれが現在を生きるとは存在の記憶を生きることである

  • この世はあたりまえの事ばかり、ではないのです(笑)

    身近な不思議がたくさん詰まった一冊。
    自分も世界も、存在自体が当たり前ではないのです。

    同著者の14からの哲学もオススメ!

  • あたりまえ。。。を文字で表現されてて痛快でした

  • 哲学の世界を分かりやすく教えてくれる池田晶子さんの作品。
    彼女は数年前に亡くなってしまいましたが、一体哲学とは何なのか?
    それを彼女なりの考え方で教えてくれる本です。

  • 驚きの連続でした。おもしろいの一言。

    この手の本は自分から読みたい!と思って
    読まないと何の気付きもないんだろうなー。

著者プロフィール

1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、存在の謎としての生死の大切さを語り続けた。著書多数。2007年2月23日没。

「2022年 『言葉を生きる 考えるってどういうこと?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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