元型的イメージとの対話 ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践 3
- トランスビュー (2004年9月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901510233
作品紹介・あらすじ
無意識がつきつける不可解なパラドックスをどう読み解くか。
アクティヴ・イマジネーションの技法によって現れ、精神分析のプロセスを左右する高度に元型的なイマジネーションを解釈するコツを実践的に示す。シリーズ完結篇。
◇樋口和彦氏、山中康裕氏推薦
感想・レビュー・書評
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第3巻では、個人心理のレヴェルの問題ではなく、意識のより深いレヴェルに見いだされる元型的イメージとの対話というモティーフが前面に出ているアクティヴ・イマジネーションの事例がとりあげられています。
著者はマテリアルの解釈にあたって、神話や錬金術などに見られるイメージ操作を参照しており、ときおり難解に感じられましたが、マテリアルのなかに示されたイメージそのものには、たしかに心理の深いところに訴える力をもっているように感じられました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ユングが胡散臭く思われてしまう所以は、彼の志向するものが、自分ではない何ものかというところにあるのだと思う。
自分ではない何ものかの存在を感じながら、自分を生きる。その時、当たり前が当たり前であるということに驚ける。そして、生きて在るということがなんと愛おしいものか。一周廻って、生きるということが自覚的になる。生きることに自覚的であるのと、そうでないのとでは、感じるものがまるで違う。
アクティブというのは、絶望しながら自分を生きるということだ。自分ではない何ものかによって、この自分というものが生かされている。自分であるのに自分でないような、この自分を自分として生きるのだ。だからこそ、痛むのだ。失うことが何よりもつらいのだ。人生は茶番ではないと言えるのはここに立つ時だ。裏を返せば茶番ではないという盛大な茶番を演じている。真面目にふざけていると言ってもいい。
想像の翼は何よりも自由だ。一見すると、荒唐無稽で、お伽噺のように見えてしまう。だが、想像するということを考えていくと、果たして、自分が想像しているのか、それとも想像されているのか、どうしても夢のようになってしまう。ここで取り上げられているひとりの人間の事例はそういうものを語っている。
不条理で満ちた宇宙、自分で自分を殺す痛みとそこから立ち上がる精神の過程が手に取るように伝わってくる。やってみないことにはどうしてもわからない。ユングの目指したものは治療というより、ひとりの人間の変容だ。彼が心理学者からはみ出てしまうのは当然のことである。