人生のほんとう

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901510400

作品紹介・あらすじ

大事なことを正しく考えれば惑わされない、迷わない。
 「常識」「社会」「年齢」「宗教」「魂」「存在」のテーマで行われた6つの連続講義。
生と世界の謎を探求する、明晰で感動的な人生論。大勢を前に肉声で語った唯一の本。

感想・レビュー・書評

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  • 「人生を考える」という名前の講義にて、著者が語った「常識」「社会」「年齢」「宗教」「魂」「存在」の六回分を収録。ごく簡単にまとめると「観念というのは頭の中の想像(創造)の産物なんだから、その虚構性を見抜いて自覚的に生きましょう」と主張。

    語りを文字に起こしたものなので、話が一部飛躍しているのではないかと思われ、著者の作品に初めて触れる私には分かりにくかった。

    例えばはじめの方でさっぱり分からないと思った文はこちら。()内は私の心の声

    28p
    「生と死」と書いて、私は「ある」「ない」とルビを振ることが多いのですが、「生」に「死」を掛けると「人生」が出てくる。(?)つまり「ある」と「ない」を掛けると「なる」になる。(?!)これは弁証法です。(??!)

    分からないのを辛抱して読んでみると、多分こういうことを言っているのかな?というのが朧げに分かってくる;
    人生は生と死の間にある。生とは存在が有ること、死とは存在が無いこと。この相反する生と死の間にある人生とは何か、それは無いところから有る状態が生まれ出ている、すなわち生成である。

    このように若干消化不良なものの、世界の見方がぐるんと一回転するような、人生の不思議さに畏怖を覚えるような瞬間も確かにあった。それと同時に、昔母に悩み相談したときに「そんな悩み宇宙から見たら本当にちっぽけなことだよ」と言われて絶句したことを思い出した。

  • 哲学エッセイの池田晶子先生が「人生」のアレコレについて講じた内容のまとめ。

    人生といっても、さすがは哲学者。我々俗人が考える いあゆる人生観を言うわけではありません。
    主眼となるのは「存在とはなにか」ということです。

    ある個人の人生 包み込むもっと大きな領域を観るわけですね。

    その存在。これはなんだ?なんだ?と探っていくと必ず 
    答えられない。わからない。

    領域に行き着きます。そうなると、普段生きているこの生活が途端に不思議なものに見えるし、なんでもいいものに見えてくる。

    生の対極に死があるように見えるが、実は違う。
    無とは無であるが故に、在ることはできない。
    つまり「在る」だけがある。

    この在るは個人の意志や人類の力で出来たわけではない。(親が生んだと言え、それは肉体であり魂はどうなのであろう?)

    つまり我々は何でいるのかもわからないところに、なぜか生かされている。しかもいつ勝手に終わるかわからない。そんな不思議な個の集団がこの世界であるという事。

    こういう哲学的主題を考えていくと仏教の禅宗と近いところに行き着くようです。面白いですね。

    いいなと思った考え

    ・考えるとは自覚する事

    ・あれこれ思い悩むより、たかが人生と覚悟を決める

    ・人生の幸福とは外側に求めるものでは決してない。人生を謎そのものとして捉える事

    ・私を私と思っている「コレ」は実は誰でもない。非人称の意識であることに気づく。つまりno body 。

    ・肉体が衰える、肉体を失う事の恐怖とはすなわち快楽を失う恐怖である。

    ・老いはまだ経験したことが無い。そういう経験したことのない事は、本当はすごく魅力的な事なんじゃないか。

    ・人間として生まれた限り、やはり内省する習慣を持つべきでしょう。でないと、せっかくの晩年のごちそうを取り逃がすことになる。

    ・一神教はむりやり信じる。絶対がないのに絶対を強いる。だから盲信的になり、排他的になる。

    ・自分が生きている、それ自体がすでに自分の意志ではない。

    ・昔は自分とは自然である、そしてたまたま自分という現象としてここに起こっているという、そういう素直な捉え方をしていたのではないか

    ・年を取ることを拒否することは人生を拒否する事と同じ

    ・いくら社会がおかしくなろうが関係ない。そんな社会はどうでもよい。ただ、私は私がしたい事だけをする。つまり魂つぃて善い事だけをする。

    ・先々何々が欲しいという欲望を持つこと自体で、人は現存に存在しなくなるから満たされることができなくなる。幸福は現在においてのみ満たされることでしかない。

  • これまで著者の本を読んできたが、今回新しいことが載っていたわけではなく凡そどこかで一度書かれた内容が含まれていた。改めて内容を把握。
    その中でもユングの思想が出てきたのは新鮮で、図解して魂を説明するのはどこか腑に落ちた感がする。
    257冊目読了。

  • 自分という存在がどうして存在しているのか、また死とは何かという哲学の普遍的な問題をわかりやすく噛砕いてくれている。
    昔はこういったことを考えていたが、今はすっかりそんなことを考えなくなり「当たり前」になってしまったんだなと感じた。
    思考停止するのではなくいつまでも善く生きるために考え続けたいと思った。

  • 当たり前になっていること、無条件に受け入れていること、そういうことが多かったなぁと、この本を読んで思った。哲学書とは言わないけど、そのきっかけになる本ですね。生きる、死ぬ、社会、魂、宗教など幅広く、独特な池田晶子の言葉で見抜ける、それが醍醐味になるのかな。最近、当たり前なことについて、考える機会が多くなってきたので、そんな意味でタイムリーな本でした。やっぱり言葉っていいな。

  • 2019年9月8日に紹介されました!

  • この人、哲学者ではなく文筆家と呼んでくれと言ったそうですが、その気持ちは良く分かります。

    本格的な(?)男性の哲学者はこりゃぁ哲学者とは認めんぞ!じゃないでしょうか。

    だって、解り易すぎるし、多分に本能的な言葉遣いをしているから。

    哲学って、眉間にシワを寄せて考えることと認識する立場からすると、こんな女性は哲学者の仲間に入れたくないって言うんじゃないでしょうか。

    そういう男とは議論するだけ無駄と思ったので、文筆家だってイイやと彼女は思ったんじゃないでしょうか。

    このあたりの事情は塩野七海さんと似ているところありますね。

    彼女は歴史家と分類するには、あまりにも情緒的傾向が強すぎますから。

    お二人とも哲学専攻だったことも偶然ですね。

    しかし、男がなんと言おうとも、二人とも良く考え勉強しています。

    伝える口調は平易ですが、内容は決して劣りません。

    劣るどころか、平易な言葉を使って歴史・哲学を大衆化した功績は高く評価すべきです。

    さて、この本は何回か分けて行われた講演会のテキストです。

    彼女も書いているとおり、本来は行間に込められている意図も、講演会ですからかなり分かり易く説明を加えています。

    その点、余計に読む人は彼女の論点が理解しやすかったんじゃないでしょうか。

    彼女の着目点とその展開の過程が実に「女性らしさ」を意識させられます。

    なんと言おうか、生理的といおうか、感覚的といおうか。

    惜しい人を亡くしてしまいました。

  • 哲学者が書いた人生論。わかりにくい箇所もあったが概ね納得できる内容だった。

  • すばらしいですこれ。窓から清冽な風が入ってくるような本。

    ドブさらいや煙突掃除みたいな仕事をしていて、そこに囚われているのは私の趣味ですが、時々は高山の空気をね。

  • 池田晶子(1960~2007年)氏は、慶大文学部哲学科卒の哲学者。哲学をテーマにした一般向けの著書を多数残している。
    本書は、2004年と2005年に都内のコミュニティ・カレッジで「人生を考える」というタイトルで行った6回の講義に、加筆・修正を加えて2006年に書籍化されたもの。
    本書のテーマは、1.「常識~生死について」、2.「社会~その虚構を見抜く」、3.「年齢~その味わい方」、4.「宗教~人生の意味」、5.「魂~自己性の謎」、6.「存在~人生とは何か」の6つ。
    池田氏のアプロ―チの特徴は、哲学の本質的なテーマについて専門用語を使わずに考察・説明するところにあるのだが、本書では、すっと腹に落ちる部分もあれば、必ずしもそうでない部分もある。しかし、幅広いテーマにおいて多くの気付きが得られることは間違いない。
    印象に残るのは、例えば以下のようなセンテンスである。
    「生きると死ぬは対にはならない・・・生きている、生存している、つまり存在しているということしか、われわれは知らない。なぜならば、無としての死は、存在しないからです。・・・なぜ在ることしかないのか。それはいったい何なのだ。存在とは何か。」
    「どこまでも疑っていくと、「私を私と思っている『これ』というのは、実は誰でもない、非人称の意識であるということに、必ず気がつくことになります。つまり、私は誰でもない、ノーボディ。裏を返せば「私はすべてである」ということになります。「何ものでもない」の裏返しは、「何ものでもある」、つまり「すべて」ですからね。」
    「つまり人生すなわち存在には、実は意味なんかないのではないか、自分はそこに意味を与えて苦しんでいただけだった、この自縄自縛の構造というものに気がつくことですね。・・・「意味がある」に対する「意味がない」ではなくて、意味「ではない」という意味で「非意味」、この存在の非意味ということに気がつくことが、もしかしたら救いなのかなと思えなくもない。」
    「なるようになるし、ならないようにはならないんですね。・・・各自が自分に善いことだけをする、自分さえ善ければいいという構えを崩さなければ、何があっても大丈夫だと思います。他人や社会を気にしない、惑わされないということです。」
    ただ、池田氏の辿り着いた“悟り”のような思想は、俗世に浸かった者にとって、救われるような、救われないような、不思議な感覚を残すのも事実である。
    池田氏は、2007年に46歳で急逝したが(本書出版時には癌に罹患していた)、「さて死んだのは誰なのか」との言葉を残して亡くなったのだという。。。
    池田氏の遺作のような一冊である。
    (2009年8月了)

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、存在の謎としての生死の大切さを語り続けた。著書多数。2007年2月23日没。

「2022年 『言葉を生きる 考えるってどういうこと?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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