人生のほんとう

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901510400

作品紹介・あらすじ

大事なことを正しく考えれば惑わされない、迷わない。
 「常識」「社会」「年齢」「宗教」「魂」「存在」のテーマで行われた6つの連続講義。
生と世界の謎を探求する、明晰で感動的な人生論。大勢を前に肉声で語った唯一の本。

感想・レビュー・書評

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  • 当たり前になっていること、無条件に受け入れていること、そういうことが多かったなぁと、この本を読んで思った。哲学書とは言わないけど、そのきっかけになる本ですね。生きる、死ぬ、社会、魂、宗教など幅広く、独特な池田晶子の言葉で見抜ける、それが醍醐味になるのかな。最近、当たり前なことについて、考える機会が多くなってきたので、そんな意味でタイムリーな本でした。やっぱり言葉っていいな。

  • 2019年9月8日に紹介されました!

  • 自分という存在がどうして存在しているのか、また死とは何かという哲学の普遍的な問題をわかりやすく噛砕いてくれている。
    昔はこういったことを考えていたが、今はすっかりそんなことを考えなくなり「当たり前」になってしまったんだなと感じた。
    思考停止するのではなくいつまでも善く生きるために考え続けたいと思った。

  • この人、哲学者ではなく文筆家と呼んでくれと言ったそうですが、その気持ちは良く分かります。

    本格的な(?)男性の哲学者はこりゃぁ哲学者とは認めんぞ!じゃないでしょうか。

    だって、解り易すぎるし、多分に本能的な言葉遣いをしているから。

    哲学って、眉間にシワを寄せて考えることと認識する立場からすると、こんな女性は哲学者の仲間に入れたくないって言うんじゃないでしょうか。

    そういう男とは議論するだけ無駄と思ったので、文筆家だってイイやと彼女は思ったんじゃないでしょうか。

    このあたりの事情は塩野七海さんと似ているところありますね。

    彼女は歴史家と分類するには、あまりにも情緒的傾向が強すぎますから。

    お二人とも哲学専攻だったことも偶然ですね。

    しかし、男がなんと言おうとも、二人とも良く考え勉強しています。

    伝える口調は平易ですが、内容は決して劣りません。

    劣るどころか、平易な言葉を使って歴史・哲学を大衆化した功績は高く評価すべきです。

    さて、この本は何回か分けて行われた講演会のテキストです。

    彼女も書いているとおり、本来は行間に込められている意図も、講演会ですからかなり分かり易く説明を加えています。

    その点、余計に読む人は彼女の論点が理解しやすかったんじゃないでしょうか。

    彼女の着目点とその展開の過程が実に「女性らしさ」を意識させられます。

    なんと言おうか、生理的といおうか、感覚的といおうか。

    惜しい人を亡くしてしまいました。

  • 哲学者が書いた人生論。わかりにくい箇所もあったが概ね納得できる内容だった。

  • すばらしいですこれ。窓から清冽な風が入ってくるような本。

    ドブさらいや煙突掃除みたいな仕事をしていて、そこに囚われているのは私の趣味ですが、時々は高山の空気をね。

  • 思想家・池田晶子氏が、2004年と2005年に都内のコミュニティ・カレッジで「人生を考える」というタイトルで行った6回の講義に、加筆・修正を加えて2006年に書籍化されたもの。
    本書のテーマは、1.「常識~生死について」、2.「社会~その虚構を見抜く」、3.「年齢~その味わい方」、4.「宗教~人生の意味」、5.「魂~自己性の謎」、6.「存在~人生とは何か」の6つ。
    池田氏のアプロ―チの特徴は、哲学の本質的なテーマについて専門用語を使わずに考察・説明するところにあり、本書でも、すっと腹に落ちる部分もあれば、そうでない部分もあるが、池田氏のファシリテートにより、様々な思想を巡らすことができるのは間違いない。
    印象に残るのは、例えば以下のようなセンテンスである。
    「生きると死ぬは対にはならない・・・生きている、生存している、つまり存在しているということしか、われわれは知らない。なぜならば、無としての死は、存在しないからです。・・・なぜ在ることしかないのか。それはいったい何なのだ。存在とは何か。」
    「どこまでも疑っていくと、「私を私と思っている『これ』というのは、実は誰でもない、非人称の意識であるということに、必ず気がつくことになります。つまり、私は誰でもない、ノーボディ。裏を返せば「私はすべてである」ということになります。「何ものでもない」の裏返しは、「何ものでもある」、つまり「すべて」ですからね。」
    「つまり人生すなわち存在には、実は意味なんかないのではないか、自分はそこに意味を与えて苦しんでいただけだった、この自縄自縛の構造というものに気がつくことですね。・・・「意味がある」に対する「意味がない」ではなくて、意味「ではない」という意味で「非意味」、この存在の非意味ということに気がつくことが、もしかしたら救いなのかなと思えなくもない。」
    「なるようになるし、ならないようにはならないんですね。・・・各自が自分に善いことだけをする、自分さえ善ければいいという構えを崩さなければ、何があっても大丈夫だと思います。他人や社会を気にしない、惑わされないということです。」
    ただ、池田氏の行き着いた“悟り”のような思想は、俗世に浸かった者にとって、救われるような、救われないような、不思議な感覚を残すのも事実である。
    池田氏は、2007年に46歳で急逝したが(本書出版時には癌に罹患していた)、「さて死んだのは誰なのか」との言葉を残して亡くなったのだそうだ。。。
    (2009年8月了)

  • 第1章、何か開ける感覚、ずっと昔に感じたことのある感覚、しかも今まで何度か味わったことのあるこの感覚、これだ!言語化されることによって心が穏やかになった。すーっと溶けていった。

  • 「14歳からの哲学」とともに再読。
    この方の本は1冊読むのにかなりの時間がかかる。下手したら1ページ読むたびに考え込んでしまって全然進まない。

  • 「人生を考える」という題目で行った講義をまとめたもの。
    書くということよりも語るということがメインだったので、考えに文字がついていかないといった感じではなくて、考えて言葉を選んだ感じがする。
    大事な問いをいつも手放さなければ、現象のあれこれに惑わされない。
    池田さんのように達観するにはまだまだ考えることが足りない。「あぁ、そうなんだ」と思うことばかり。

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著者プロフィール

池田晶子(いけだ・あきこ)
1960年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。文筆家。
専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、生死の大切さを語り続けた。2007年2月23日、没。
著書に、『14歳からの哲学―考えるための教科書』『14歳の君へ どう考えどう生きるか』『新・考えるヒント』『41歳からの哲学』『暮らしの哲学』『人生は愉快だ』『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』『私とは何か さて死んだのは誰なのか』『死とは何か さて死んだのは誰なのか』『無敵のソクラテス』『幸福に死ぬための哲学ー池田晶子の言葉』など多数。

「2017年 『絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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