- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901510752
作品紹介・あらすじ
この見事な半生をアレンジしたものは誰か?
生まれ育った丹波篠山から、アメリカ・UCLA、さらにはチューリッヒ・ユング研究所へ。日本人初のユング派資格を持つ分析家が誕生するまでを、ともに物語をつむいだ編集者が活きいきと描く。
感想・レビュー・書評
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河合隼雄がユング研究所を卒業するまで。
長年河合隼雄と仕事をした編集者の著者が「ユング心理学入門」のあとに「コンプレックス」をまとめた意義から書き起こしている。
(コンプレックスの解消に必要なコンプレックスとの対決のプロセスで重要なのが、’死の体験’であり、王殺しの例に典型的に見られるような’儀式の意味’が示される、とあった。
これが、あの、王殺しと関連があるなら今度こそ、金枝篇をきちんと読んでそれへの自分の判断を持っておかなければなるまい)
・クロッパーは、患者に直接会わなくても、そのロールシャッハを見ることによって、医者の予測より余命は長いとか、短いだろうと判断することができた。どうしてそういうことが可能になるかというと、そこには明確なくろっぱーの理論があったのだ。それは、簡単に言えば、意識的抵抗の強い人は消耗して早く死ぬのに対して、意識的抵抗を放棄した人は、医者の予測よりも長く生きる場合が多い、というものであった。後者の場合、自我防衛をすっきり放棄した人と、妄想的に放棄する人―例えば、「自分ががんになっているのはウソや」とか、「この薬を飲んだら治る」といったことを信じる人―があるのだが、いずれにしても長く生きやすい。
・人間は無意識もからんで体験したようなことは、それをうまく言葉で記述できません。それを他人に伝えようとすると物語になるんですね。「お化けが出た!」とか、「木がものを言うた」とか、「鳥の導きによって」というふうになるのです。人間の内面的な体験を物語ろうとするとそうならざるを得ない。だから、その物語を逆に分析していくと、人間の無意識の在り方がわかる。
・一般的には「分析家とスーパーバイザーは分けろ」と言われている。「なぜかというと、分析家はものすごく内面にかかわってやっているわけだから、いわゆる指導に近いスーパーバイザーはとちょっとちがう」からだ。しかしユング研究所の場合には、それでもかまわないと考えていた。そういうルールを平気で崩していって、「そこのむずかしさをよく考えて、やるほうがいいと思い、やれると思うならやりなさいというように」柔軟だった。
・ロモーラは、「もう治らない精神病でも自分は一生夫婦でいる」と答えた。それに対してブロイラーは、これは個人的な問題なのでその決意を尊重する、しかし絶対に治らないことを覚悟するように、といった。そしてニジンスキー夫人が部屋から出て行こうとした時に、「しかし、奇跡ということはありえます」とつけ加えたのだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
帯に「この見事な半生をアレンジしたものは誰か?」とあり、読み進める中で、それは天下の岩波書店から『コンプレックス』他を企画・編集した私(著者)です!ということかと、思い切りレベルの低い"誤読"をしていた。
編集者の分際で、思い上がるのもいい加減にしろ!と憤慨しながら読んでいたことを思い出す(笑)。正解は、あとがき参照。
カウンセラーに限らず、河合隼雄先生を"心のメンター"にしている人は多いと思う。「自伝」もあるけど、第三者的に書かれた本書も参考になる。
ユング派というとユング・カルトみたいな人も多いので、第3者的な視点からの冷静な解説は、かえってわかりやすい。
河合先生のユング派の資格論文についても多くページが割かれている。自分は、アマテラスとスサノオの近親相姦というモチーフには納得していないけど。
また、エビスを日本の神とせず、コトシロヌシノカミと同一視しない場合もあるのを知った。日本神話の勉強にもなった。
河合雅雄先生も、性格よさそうだなあ。河合家の家族愛、兄弟愛がよい。ハチャメチャな?ユング派の先生のエピソードも楽しい。 -
河合隼雄とはどんな人か?を知る上で、他の本にはない知識が得られる。実家のコグニティブmap作成は秀逸なアイデア、多くの学者を輩出したチューリッヒに似た丹波篠山とはどんな風景なのか、興味深い。
実家が、今後、河合兄弟の記念館になる日があるなら、是非篠山に行ってみたい。
河合隼雄の探求は、この本に始まりこの本に終わるというぐらいの、河合隼雄辞典とも言うべき一冊。