アメリカ本土を爆撃した男: 大統領から星条旗を贈られた藤田信雄中尉の数奇なる運命

著者 :
  • 毎日ワンズ
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901622806

作品紹介・あらすじ

全米を震撼させた男に、なぜ大統領は星条旗を贈ったのか?

感想・レビュー・書評

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    ── 倉田 耕一《アメリカ本土を爆撃した男 20140901 毎日ワンズ》
     アメリカ本土を爆撃した男―大統領から星条旗を贈られた藤田 信雄
    中尉の数奇なる運命
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4901622803
     
    …… 米本土を唯一空襲した日本兵がレーガン大統領から讃辞受けた訳
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190812-00000015-pseven-life
     今も米国民から尊敬される藤田信雄中尉

     終戦から70有余年。旧日本軍人は連合国から「戦犯」として裁かれた。
    しかし──そのなかには、敵国からも尊敬の念を抱かれた男たちがいた。
    立場を超えて「畏怖」の対象となった軍人たちの誇り高き足跡を辿る
    (記事中の肩書きは最終階級)。
     
    【一覧】国境を超えて畏怖された日本軍人
     
     大戦時の奮戦ぶりが語り継がれ、ロナルド・レーガン米大統領から
    ホワイトハウスに掲揚された星条旗を贈られるほど米国民の尊敬を集め
    たのが、藤田信雄中尉である。
     
     1942年9月9日の夜明け、密かにオレゴン州の沖合に入った二五潜水艦
    から、小型機が飛び立った。巨大な山火事を起こして米国を混乱に陥れ
    るため、藤田中尉と奥田 省二・二飛曹はたった一機の水上偵察機で米
    本土に侵入し、大森林に計120kgの焼夷弾を投下したのである。実はこ
    の攻撃こそ、現在にいたる米国の歴史の中で、ただ一度の本土空襲だった。
     
     1962年、藤田中尉はオレゴン州ブルッキングス市のアゼリア祭りに招
    待され、初めて米国の地を踏んだ。
     
    …… 米国は開国以来、未だかつて外敵の侵入を許したことがありませ
    ん。太平洋戦争において貴殿は、この歴史的な記録を破って単機でよく、
    米軍の厳重なレーダー網をかいくぐり、米本土に侵入し、爆弾を投下致
    しました。貴殿のこの勇気ある行動は敵ながら実に天晴れであると思い
    ます〉
     藤田中尉の評伝が掲載されたブルッキングス市・青年会議所からの
    手紙の一節である。
     
     また、後にレーガン大統領から讃辞を受けたのは、その戦果のためだ
    けではなかった。アゼリア祭りでの歓迎に応えるため、藤田は電線会社
    の工場で働きながらコツコツと貯金し、ブルッキングス市の高校生たち
    を日本へ招待したのだ。レーガン大統領の讃辞は、藤田の高潔な人柄と
    誠実さを称えるものであった。※週刊ポスト 20190816・0823号
     
     藤田 信雄 海軍中尉 191110‥ 茨城 19970930 85 /飛行兵曹長/最終階級は特務士官
     奥田 省二 二等飛曹 19‥‥‥ ‥‥       /19420909 爆撃/藤田機に同乗
     
    ── 《奇跡体験!アンビリバボー 20191006 14:00-15:00 フジテレビ》
     仰天!アメリカ本土を空爆!世界で唯一の日本人(#263)
     命がけの極秘作戦に成功!20年後にアメリカから危険な招待状が!?
     国も見放し自己責任!? 決死覚悟で渡米!世界平和に捧げた半生とは…
     
     今から21年前の1997年に茨城県である男性が亡くなった。男性の名前は
    藤田信雄。当時、国内では、ほとんど彼の死が報道されることはなかっ
    たが、遠く離れたアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」では大きく報じ
    られていた。一体なぜ? さかのぼること1942年の太平洋戦争中。藤田は
    偵察機のパイロットとして活躍していた。そんな中、藤田に極秘任務が
    告げられる。「アメリカ本土を単機で爆撃せよ」というもの。
     
     この作戦は日本軍部内でも極秘とされており、詳細は今もわかってい
    ない。しかし、藤田はこの任務を全うした。アメリカ本土が爆撃された
    のは歴史上初めてのことだった。ところが、この任務が戦況に大きな
    影響を与えることはなかった。その後も、若手パイロットの育成をして
    いたが、部下が次々と亡くなっていくことに耐え切れず、自ら特攻隊へ
    と志願したのである。
     
     だが、藤田が特攻隊として出撃することなく、戦争は終わりを迎えた。
    その後、極秘任務の話はもちろん、戦争の話を家族に一切語ることはな
    く、終戦から17年が経った。1962年、突然、藤田は政府から呼び出しを
    受けた。その後の藤田の人生を大きく変えることとなったその内容とは
    !?そこから誰もが予想だにしないアンビリバボーな展開が待ち受けてい
    た!!
     
    【ストーリーテラー】ビート たけし【スタジオメンバー】剛力 彩芽
    バナナマン(設楽 統/日村 勇紀)
    【プロデューサー】角井 英之(イースト・エンタテインメント) 
    【演出】藤村 和憲(イースト・エンタテインメント)
     山森 正志(イースト・エンタテインメント)
     三代川 祐介(イースト・エンタテインメント)
    【編成企画】速水 大介【制作】フジテレビ
    【制作著作】イースト・エンタテインメント
     
    (20191006)
     

  • アメリカを爆撃した唯一の日本人男性、本書でこの出来事を映画化しよう、という動きも紹介されていますが、この本そのものが彼の半生を物語的に描いたノンフィクションというつくりでして、ちょっと変な構成なんですよね。過去と現在の時系列が同時進行する、みたいな。細かい描写はほとんど読み飛ばしですが、こんなところから人情、友好が生まれるというのも数奇で、アメリカに招待された際の覚悟と淀みない気持ちの表明は米人言うところのサムライてやつですね。軍人気質といいますか。このことは中学の先生が教えてましたけど、ガチガチの日教組でしたから半分バカにしてましたね。所変わればなんとやら。

  • 太平洋戦争の風船爆弾の話は知っていたが、実際に爆撃をやったとは初めて知った。しかも、潜水艦に積んだ水上機で攻撃したとは。
    戦後の攻撃した市との交流など、にわかには信じがたいことばかり。
    主人公である藤田氏の生き様も、また素晴らしい。
    本自体は読み易いのだが、戦中の話、戦後の話が目まぐるしく入れ替わり、飽きさせない反面、慌ただしく感じた。

  • アメリカ爆撃、但し民間人を殺傷するわけにいかないからオレゴン州の森林に焼夷弾を投下した。当時の日本軍にとっては大まじめな、今から振り返ると冗談とも思える作戦を実行したパイロットが、アメリカ人気質か、はたまた戦勝国の余裕であるのか、勇敢な戦士として称えられたのです。

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著者プロフィール

1952年、秋田市(旧河辺町)に生まれる。88年、産経新聞社に入社し、秋田支局、水戸支局、各通信部、東京本社などに勤務。現在はノンフィクション作家として活動している。
著書には『土門拳が封印した写真 鬼才と予科練生の知られざる交流』(新人物往来社)、『浅野梅若 三味線一代、その時代と人々』(無明舎出版)、『アメリカ本土を爆撃した男 大統領から星条旗を贈られた藤田信雄中尉の数奇なる運命』(毎日ワンズ)などがある。

「2019年 『最後の大空のサムライ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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