- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901679916
感想・レビュー・書評
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普段、ふつうに人間関係の中でか生きている私たち。相手と話する動機として、相手に自分の感情の共感を求めるとか、他者からの承認欲求でコミュニケーションをとろうとする。そのふつうに行なっていることが、自分では気がつかないことでこじれたり、人間関係を維持していけないことを、分かりやすく論理的に説明している。傷つける言葉の応酬で嫌な思いをさせたり、誤解や思い込みでトラブルが生じます。人にはうらの感情があることを見事に透視していて、そこから人間関係のしこりを説明しているところなんかは鋭いかたです。
嫌な思いからハッピーになれる方法を分かりやすく丁寧な言葉で伝授していきます。禅のお坊さんが禅の教えを説明しています。これほど一つのことばの概念を突き詰めたひとは多分初めてです。眼から鱗です。さすが東大での坊さんです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世の中で言われる善悪とは何ぞや?…ということを、仏教の教えをもとに説いた1冊。
世の中に完ぺきな善はなく、あるのは偽善である。
その偽善の中に何%の純粋な"善"が入っているかなのだ。
偽善に含まれる"善"は自分も周りもハッピーにしてくれるものだから、善のパーセンテージを増やした方がいいよね…というお話でした。
小池龍之介さんの著書は3冊目ですが、書いてあることがわかったようなわからないような…という感じ。
生活の中で実践できるようになるには、まだまだ道は遠そうです。
まずは日常生活でできる座禅の方法を知りたいなぁ。
自分の心身を平かに保つこと、また自分の心を点検することができるようになることが目標です。 -
グネグネダラダラと話が蛇行し、その上ほとんど前進しないので、何をキーメッセージとして伝えたいのか分からず困惑する内容です…。中身が難しいわけではなく、とにかく何を言いたいのかがわからず弱ります。筆者が文章を書き慣れていないのか、編集者の力量か。
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いいことしたら自分もいい気分になるし、いいことまわってくる。
過剰な欲とか煩悩が人にイヤな思いさせたり、自分を苦しめたりする、らしい。確かに。
100%純粋じゃなくてもいいんじゃない。
偽善も善。
読んだら肩の力が抜けます。 -
世の中は偽善であふれている。かといって、それを否定するわけではなく、勧める内容。著者は小学生の頃は正義感あふれる学級委員が嫌いだったらしい。他人のためと言いつつ、結局じぶんのためであることはすべて偽善か。
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【577】
後半挫折。
悪よりも偽善の方がいい。
悪は少数派ぶってても多数派。
でも丸ごと自分を受け入れるのって難しい。
偽善を選ぶのもなかなか難しい。
イラストが可愛い。
ちょっと読みにくかった。
仏教とか瞑想に最近興味がある。 -
氏の他の書籍を数冊読んでおりますが、こちらはちょっと読みづらく感じたのは、喋っているのをあとから起こしたからなのかなーと思いました。
下手可愛い?イラストも健在で、スラスラ読めるんですが、まだまだ腑に落ちるまではたどり着けず。
また頃合を見て再読したいなと思います。
以下気になったところ
■ありとあらゆるものが「偽善」。道徳を振りかざしているようでそれは自分の「煩悩」ではないか?
■ある日急に「今日の約束行きたくないな」とダラダラ過ごすのは自分自身が過去に作った欲望やいかりや迷いのカルマ -
道徳って何なの?不善な心を自分の都合の良いように置き換えているだけ?だから話を聞いても釈然としない?また、偽善や欲とは?具体的に他のものに例えながら説明してくれる。このイラストのように可愛いけれど皮肉を込めて。偽善や欲の心を和らげる方法として感情のコントロールが必要。そのためには、まず目の前のことに没頭し集中すること。それは無我になり、人と比較せずに済み、恨んだり妬んだりと悪の心を生じさせない。具体的手法はこの本では書ききれなかったと著者は述べている。
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「脳内ストーリー」という言葉が印象的だった。欲・怒り・迷いの煩悩で不快になるのは、実は自分自身が決めていること。自分が不快になることを周囲からの影響だと感じているうちは、何も状況は変わらない。加えて、そうして暮らしていると心も体も知らず知らずに蝕まれてしまうこと。幸せでいたいなら、幸せの思考を自分が持つことなんだ。
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世の中に偽善でない行いはないとする内容。
ウェイトが偽か善に置かれているだけのことであり、
それをどう捉えるかは結局自分の心の持ちようにあるとする内容。
内容はかなり偏ってはいるが、
結局は自分の普段の行動や考え方の重要性を謳っており、
所謂自己啓発本の域にある。
よって、理解はできるが、なかなか実践は難しいように感じる。