日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

  • 双風舎
3.56
  • (8)
  • (14)
  • (26)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 147
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784902465044

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • とくにあれこれ言えることはありません。
    また読みます。

  • 宮台真司と仲正昌樹の対談。宮台真司が初めてで、理路整然と端的な言葉を使い論を展開する仲正と対極に、その言葉遣いから論の展開から面食らった。読み始めて二人のコントラストが激しくて、宮台が何言ってるのか、仲正のどの言葉を受けてその論理を展開しているのかわからなかった。しかしちょっと粘り強く読み続けていたら次第に慣れてきた。宮台はその接続詞なども含めて言葉遣いや、何言ってるのかも一見してわからないところも含めて引き付ける力を持っている。しかしその経験の濃密さも思考熟練度もそして思考の言語化能力もかなりぶっ飛んでいる。ふつうは表現の対象にならざる部分を言語化してくるような感覚で、その脂っこさが結構はまる。なかなかの読書体験だった。

    タイトルは「日常・共同体・アイロニー」となっていて、確かにこの概念について語っていたということはわかるが、結局その議論がどこに向かっていて、どこで結論づけられたのかが読後も分からない。もともとこういう議論はクローズエンドにはなるはずはないが、それにしてもという感じ。

    アイロニーという言葉が繰り返されていた。宮台の表現では「全体が部分に対応する」のがアイロニー。いってしまえばすべての事象や概念は再帰性をもって循環するので、そこに巻き込まれる私たちの姿勢はアイロニーにならざるをえない。それがわからずにどこかに特異点をおいて、そこに帰依するようなベタな生き方は損するぞ、ということだろうか。ただそれはわかる。損するかどうかは別として。「あえて」やる。「あえて」信じる、自己責任をもって。これかなと思う。


    17.6.9

  • 【目次】
    はじめに(二〇〇四年九月 金沢市平和町の公務員宿舎にて 仲正昌樹) [003-012]
    目次 [013-017]

    第一章 現代思想と自己決定 019
     一 エクリチュールと現代思想 020
      現代思想と主体性/市民社会の外部に生き生きとしたものを求める/エクリチュールのパラドックス /じっと待つのか、破壊するのか
     二 現代思想と自己決定 033
      内部と外部/万物学とメタ万物学/主体とは何か/ 主体性の限界か、主体性への無知か/現代思想のアイロニカルな構造/虚数と実数が錯綜する現代社会/自己決定が共同体と相反するとはかぎらない/議論の前提としての教養
     三 自己決定と共同体 056
      がらくたの集まりとしての現代思想/目くそ鼻くそと五十歩百歩/学生を懲戒する大学という組織/ふたつの見方を併存させる/公共善に関するコミュニケーションは可能か

    第二章 共同体と自己決定 083
     一 リベラリズムと共同体 084
      共同体主義の矛盾/主義と主義者/近代主義の一種としての伝統主義/生活実感を評価する物差し
     二 共同体とロマン主義 104
      真空状態で発言することはできない/ロマン主義とアイロニー/全体性に言及できる思考とは/アイロニカルな行動への自覚が必要/すっきりすれば、いいってものではない
     三 ロマン主義とアイロニー 129
      すべての事柄は、突き詰めると墓穴を掘る/牢獄を出ると、そこはまた牢獄/三島由紀夫のような振る舞いは必要なのか/「あえて」することの意味

    第三章 リベラル・アイロニストの役割 147
     一 自己決定と自己責任  148
      イラク人質事件とは何であったのか/本人不在でエスカレートした理由/誰が自己決定すべきなのか/右も左も「弱い犬ほど吠えたがる」/自己責任の本義
     二 自己責任と正義 170
      互換可能性への疑問/正義に対する責任/リベラル・アイロニストの役割/くどい語り口の意味/説得と取引
     三 正義と応答 193
      ぶら下がり大国・日本/恒久的な正義はあり得ない/過去の帰結への責任/思考の源泉としてのイエス/超越思考は有害か?

    第四章 日常・共同体・アイロニー 223
     一 日常と宗教 224
      日常性とは何か/『終わりなき日常を生きろ』再考/現代思想と統一協会体験の接点/すこしだけ超越している状況が危ない
     二 宗教と本来性 249
      パウロによる布教戦略の有効性/近代社会と身体性/「真の共同体」という幻想/資本主義社会における銭湯としての疎外論
     三 本来性とアイロニー 267
      「そもそも」の誤謬/日常性の枠を超えるためのアイロニー

    仲正昌樹氏は、佇まいにおいて、私たちを震撼させる――あとがきにかえて (二〇〇四年一一月二四日 宮台真司) [278-286]
    アンケートby編集部 [287]



    【抜き書き】
    仲正  脱構築は正義だという場合の正義は、いまはこのように分配しており、人びとはこのような権利をもっているが時代や地域などといった見方を変えると、その権利がとんでもない不正になっている可能性がある、ということを思考し、“もうひとつの正義”を探っていくことを意味します。だから正義をおこなうときには、どういう不正に対する正義なのか、どこの「権利」を制限して、どこに新たな「配分」することになるのか考えておく必要がある。新たな「権利」の資源をどこに求めるのか? 自分は弱者のために戦っているのだからといっても、その弱者以外の、“誰か”の権利を多少なりとも制限することになるのだから、「正義の闘い」だからといって、まったく無条件・無前提に正当化することはできません。 (pp. 204-205)


    仲正  アドルノは様ざまなところで、自分たちが本来性の隠語によって、いかにハイデガーに騙されたのか、ということをしつこく書きつづっています。とはいえ、アドルノはハイデガーを全面否定はしていません。それは本来性を全否定すると、さらなる本来性を探ることになり、袋小路に入り込んでしまうからです。本来性を批判しているお前も、結局は本来性を語っているではないか、ということになる。〔……〕スターリン時代のソ連にしろポル・ポト時代のカンボジアにしろ、マルクス主義が変な方向で暴力性を発揮してしまうのは、既成の共同体をうそっぱちだと決めつけて暴力的に破壊しようとしながら、じつは自分たちも真の共同体を求めていることに原因があると思います。〔……〕だからアドルノのいうように、論敵を否定するときには「限定的な否定」である必要があります。つまり、相手の全てを即座に否定するのではなく、相手のどこがおかしいのか具体的に指摘し、自分と相手の違いと共に共通性を自覚することがたいせつなのです。そうでないと、相手と同じパターンの過ちを繰り返し、互いにエスカレートさせていく危険が高くなる。
     (pp. 268-271)

  • 宮台本でバランス的にもベストだと思う。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

1959年、仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。博士(社会学)。首都大学東京教授。専門は社会システム論。著書に『民主主義が一度もなかった国・日本』『日本の難点』『14歳からの社会学』『私たちはどこからきて、どこへ行くのか』など。

「2019年 『民主主義は不可能なのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮台真司の作品

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界を本棚に登録しているひと

ツイートする