日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

  • 双風舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784902465044

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  • § テーマ:選択可能性が無限大な再帰的近代において、我々は何をもとに意思決定・判断できるか?



    § 読書前の前提:自分のアクチュアルな課題に絡めた問い(解決したいこと)

    - 自己決定はできているか? 正しいか? そもそもする必要があるか?
    - 背景1:仕事(自社ソフトウエア開発)で自己決定が勧奨されている
    - スクラム、アジャイル開発、ティール組織
    - 背景2:プライベートでも自己決定が善とされている風潮
    - 「自分の人生は自分で決める」というクリシェ



    § 読書後の結論:自分の正義(超越)を問い、自覚していることを確認し続けることを思い出してみよう

    - 私は自己決定が善いから(内在)/しなければいけないから(超越)、するのか?
    - 超越の場合、根源を認識しているか? 共同体内での同調を求めていないか?
    - 自らの経験と思考に基づく実践(実部)を伴うか?
    - エクリチュール(虚部)による説明が可能か?



    § メモ - 現状理解:(たしかに)自己決定は要求されている

    † p.43
    - 我々は伝統・共同性・自己を超えるもの(以下、『超越』)の存在を「信じて」いる(と「信じて」いる)
    - 伝統・共同性・超越を前提として自己決定している
    - 自己決定(するであろうという)責任の信頼の連鎖のもとに成り立っている
    - ゆえに、主体は、自己決定「的に振る舞う」
    - ゆえに、全体は、主体に罪をなすりつけ、現状維持に貢献している
    ‡ p.103
    - 自己決定のためには『選択』が必要
    - 選択ができない者は、選択できる者にルサンチマンを持つ
    - 豊かな社会では、ルサンチマンを乗り越えられる
    - 結果、「なぜ選択肢が豊富なのに不安なのか」を考える
    - 自意識・自己決定の壁を越えられていないことに気づく
    ‡ p.202
    - 究極のルサンチマンへの対峙《生きていること自体が他者の迷惑である》
    - 自分の正義は誰かにとって不正義である
    - cf. デリダ「法の力」:競争力の無い者の権利は社会にとって無意味である



    § メモ - 問題提起1:エクリチュールのもたらす誤謬、複素数空間としての現実での振る舞い

    † p.27
    - 『言葉』は他人から与えられたものを媒介とする
    - 『言葉』は意思決定・判断に必要不可欠
    - しかし、他人にわかるように語られた時点で《体験そのもの》は死ぬ(=文字になる)
    ‡ p.29
    - 消失した経験を取り戻すために、再現前化=表象化しようとする(追体験の幻想)
    - ドゥルーズ的『反復』、ゆえに『差異』が存在する
    - 再現の不可能性(もう死んでいるから)にもかかわらず、我々は再現を希求し続ける
    ‡ p.46
    - 本来性(体験そのもの)は『虚数的』である
    - 「あるということにしておかないと、現にあるものまでなくなってしまい都合が悪い」
    - 一元論への回帰(=二元論《内在か超越か》への回帰ではない)
    ‡ p.55
    - ゆえに、自己決定とは虚構である
    - 近代の複素数空間性《現前している存在⇄虚数的存在のエクリチュール》を維持するのが大事
    - 「みんながこう言ってるからこうなんだ、という虚数」であることを、教養をもって認めること
    ‡ p.275
    - この複素数空間上での実践が問われる
    - 規定可能な前提(虚部ではなく実部)しか見えなくなると、錯誤・誤謬が起こる



    § メモ - 問題提起2:自己決定を阻むものたち──権限・共同体・責任

    † p.72
    - 権限を与えられたことで、自己決定した(できた)と思い込む
    - 国家権力・親・上司・・・が介入しないことで、自己決定したつもりになる
    - 大雑把な議論で無理に結論を出してしまう/出した気になる

    † p.85
    - 共同体に所属することで、自己決定した(できた)と思い込む
    - 「あなたはこう主張しなさい」と使命された前提があって、初めてXX主義が達成される
    - 実際はそんなことはない。ほとんどは文化的背景で決定される
    - 相対化して本当に「自由に」選択をして初めて自由な自己決定が実現される
    ‡ p.106
    - 「XX主義である」ことは不可能
    - 「自分がXX主義(的なものを)を選んだ(といえるのでは)と他者の前で自認すること」のみ可能
    ‡ p.184
    - 「自称XX」は無意味
    - 何を実践したかという事実性だけが問われ、それにより「何者であるか」が決定する
    ‡ p.135
    - しかし、共同体内での自己決定の共有は『滑稽』である
    - 例。三島由紀夫。自分をたやすく他者に投影して、皆も同じだと信じ込む様
    - 三島は愛国を強制しなかった(自己決定を尊重した)
    - 愛国した振りをする輩の蔓延を知っていたから
    - 自己決定が前提にないと、対立が存在しえない
    ‡ p.285
    「XXは伝統を破壊する」への反論。それは単なるあなたの思い出であって、XXこそ伝統を見いだせる可能性がある
    ‡ p.153
    - 我々は日本国民として存在している前提を自覚している
    - 宗教と同じ構造(ある程度の方針を支持せざるをえない)
    ‡ p.208
    - 例。ナチについてのドイツ民族の責任、日本人の戦争責任
    - 最大でも「現実的に責任があると言える」としか言えない
    ‡ p.214
    - 例。キリスト教におけるイエス
    -「彼は救世主で善人だから信じるのだ(内在)」から、「彼は苦痛に耐えているから信じるべきなのだ(超越)」へのシフト
    ‡ p.96
    - 自己決定せよ、という(共同体の)命令文にはアイロニーが含まれている
    - 命令文に従うという振る舞いは、自己決定ではない

    † p.198
    - 判断に伴う責任(共同体を簒奪し解体機能を果たしてしまう可能性)
    - 「彼らはこう自己決定したからXXだ」と他者に『決定』されてしまう余地がある
    - これこそが《共同体と自己決定を巡るアイロニー》である
    ‡ p.220
    - 自分が正義だと判断した事に対して、どのような基準で判断したのかという説明責任が発生する
    - 最低限の倫理として、『超越』に対する自覚が必要

  • とくにあれこれ言えることはありません。
    また読みます。

  • 宮台真司と仲正昌樹の対談。宮台真司が初めてで、理路整然と端的な言葉を使い論を展開する仲正と対極に、その言葉遣いから論の展開から面食らった。読み始めて二人のコントラストが激しくて、宮台が何言ってるのか、仲正のどの言葉を受けてその論理を展開しているのかわからなかった。しかしちょっと粘り強く読み続けていたら次第に慣れてきた。宮台はその接続詞なども含めて言葉遣いや、何言ってるのかも一見してわからないところも含めて引き付ける力を持っている。しかしその経験の濃密さも思考熟練度もそして思考の言語化能力もかなりぶっ飛んでいる。ふつうは表現の対象にならざる部分を言語化してくるような感覚で、その脂っこさが結構はまる。なかなかの読書体験だった。

    タイトルは「日常・共同体・アイロニー」となっていて、確かにこの概念について語っていたということはわかるが、結局その議論がどこに向かっていて、どこで結論づけられたのかが読後も分からない。もともとこういう議論はクローズエンドにはなるはずはないが、それにしてもという感じ。

    アイロニーという言葉が繰り返されていた。宮台の表現では「全体が部分に対応する」のがアイロニー。いってしまえばすべての事象や概念は再帰性をもって循環するので、そこに巻き込まれる私たちの姿勢はアイロニーにならざるをえない。それがわからずにどこかに特異点をおいて、そこに帰依するようなベタな生き方は損するぞ、ということだろうか。ただそれはわかる。損するかどうかは別として。「あえて」やる。「あえて」信じる、自己責任をもって。これかなと思う。


    17.6.9

  • 【目次】
    はじめに(二〇〇四年九月 金沢市平和町の公務員宿舎にて 仲正昌樹) [003-012]
    目次 [013-017]

    第一章 現代思想と自己決定 019
     一 エクリチュールと現代思想 020
      現代思想と主体性/市民社会の外部に生き生きとしたものを求める/エクリチュールのパラドックス /じっと待つのか、破壊するのか
     二 現代思想と自己決定 033
      内部と外部/万物学とメタ万物学/主体とは何か/ 主体性の限界か、主体性への無知か/現代思想のアイロニカルな構造/虚数と実数が錯綜する現代社会/自己決定が共同体と相反するとはかぎらない/議論の前提としての教養
     三 自己決定と共同体 056
      がらくたの集まりとしての現代思想/目くそ鼻くそと五十歩百歩/学生を懲戒する大学という組織/ふたつの見方を併存させる/公共善に関するコミュニケーションは可能か

    第二章 共同体と自己決定 083
     一 リベラリズムと共同体 084
      共同体主義の矛盾/主義と主義者/近代主義の一種としての伝統主義/生活実感を評価する物差し
     二 共同体とロマン主義 104
      真空状態で発言することはできない/ロマン主義とアイロニー/全体性に言及できる思考とは/アイロニカルな行動への自覚が必要/すっきりすれば、いいってものではない
     三 ロマン主義とアイロニー 129
      すべての事柄は、突き詰めると墓穴を掘る/牢獄を出ると、そこはまた牢獄/三島由紀夫のような振る舞いは必要なのか/「あえて」することの意味

    第三章 リベラル・アイロニストの役割 147
     一 自己決定と自己責任  148
      イラク人質事件とは何であったのか/本人不在でエスカレートした理由/誰が自己決定すべきなのか/右も左も「弱い犬ほど吠えたがる」/自己責任の本義
     二 自己責任と正義 170
      互換可能性への疑問/正義に対する責任/リベラル・アイロニストの役割/くどい語り口の意味/説得と取引
     三 正義と応答 193
      ぶら下がり大国・日本/恒久的な正義はあり得ない/過去の帰結への責任/思考の源泉としてのイエス/超越思考は有害か?

    第四章 日常・共同体・アイロニー 223
     一 日常と宗教 224
      日常性とは何か/『終わりなき日常を生きろ』再考/現代思想と統一協会体験の接点/すこしだけ超越している状況が危ない
     二 宗教と本来性 249
      パウロによる布教戦略の有効性/近代社会と身体性/「真の共同体」という幻想/資本主義社会における銭湯としての疎外論
     三 本来性とアイロニー 267
      「そもそも」の誤謬/日常性の枠を超えるためのアイロニー

    仲正昌樹氏は、佇まいにおいて、私たちを震撼させる――あとがきにかえて (二〇〇四年一一月二四日 宮台真司) [278-286]
    アンケートby編集部 [287]



    【抜き書き】
    仲正  脱構築は正義だという場合の正義は、いまはこのように分配しており、人びとはこのような権利をもっているが時代や地域などといった見方を変えると、その権利がとんでもない不正になっている可能性がある、ということを思考し、“もうひとつの正義”を探っていくことを意味します。だから正義をおこなうときには、どういう不正に対する正義なのか、どこの「権利」を制限して、どこに新たな「配分」することになるのか考えておく必要がある。新たな「権利」の資源をどこに求めるのか? 自分は弱者のために戦っているのだからといっても、その弱者以外の、“誰か”の権利を多少なりとも制限することになるのだから、「正義の闘い」だからといって、まったく無条件・無前提に正当化することはできません。 (pp. 204-205)


    仲正  アドルノは様ざまなところで、自分たちが本来性の隠語によって、いかにハイデガーに騙されたのか、ということをしつこく書きつづっています。とはいえ、アドルノはハイデガーを全面否定はしていません。それは本来性を全否定すると、さらなる本来性を探ることになり、袋小路に入り込んでしまうからです。本来性を批判しているお前も、結局は本来性を語っているではないか、ということになる。〔……〕スターリン時代のソ連にしろポル・ポト時代のカンボジアにしろ、マルクス主義が変な方向で暴力性を発揮してしまうのは、既成の共同体をうそっぱちだと決めつけて暴力的に破壊しようとしながら、じつは自分たちも真の共同体を求めていることに原因があると思います。〔……〕だからアドルノのいうように、論敵を否定するときには「限定的な否定」である必要があります。つまり、相手の全てを即座に否定するのではなく、相手のどこがおかしいのか具体的に指摘し、自分と相手の違いと共に共通性を自覚することがたいせつなのです。そうでないと、相手と同じパターンの過ちを繰り返し、互いにエスカレートさせていく危険が高くなる。
     (pp. 268-271)

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著者プロフィール

社会学者。東京都立大学教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。

「2021年 『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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