- Amazon.co.jp ・本 (642ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903063898
作品紹介・あらすじ
推薦
野中郁次郎 氏(一橋大学名誉教授)
「まさに『失敗の本質』と通底する」
大木毅 氏(『独ソ戦』(岩波新書)著者)
「連合国には物量以外にも勝つべくして勝った
要因があったことを証明した古典的研究」
連合国の勝因(日独伊の敗因)を
総合的に検証した、
第二次大戦分析の定番書。
図版40点以上収録。
感想・レビュー・書評
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日本敗戦の原因について考察する本はいろいろ読んだものの連合国側の書籍は読んだことがなかったので、パラパラ斜め読み。
多くの頁が、ドイツ戦について割かれてあり、大東亜戦争に関する部分は少なかった。
味方につけやすい大義を掲げられた方が有利、という意味では、月並だが、イデオロギー戦と情報戦に(も)負けた、ということか。
「勝てる見込みのなかった戦争」という整理が支配的だが、初期の実態としては、どちらに転んでもおかしくない紙一重の時期がそれなりにあった、と当のアメリカ人が思っている、というのはとても意外だった。航空機の生産能力自体は、一貫して日米比は1:5位だし、艦艇に至っては、1:10位ではあるが。。
スターリンを味方につけたのは、アメリカとしては毒を以て毒を制す、のお手本のようなものか。
ソ連は戦勝国なのにダントツの戦死者数20百万人。
ソ連の犠牲によって欧米の民主主義国家が生き延びたという逆説。
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翻訳され出版されたのは2021年だが、原著の初版は1995年、改訂版が2006年に出たというから、確かに古い作品ではある。
アップデートがあったり、すでに見知った内容が多いかもと思いながら読んだが、いやいやどうして。
まだこんな隠れた名著が未訳で埋もれてたなんて。
一見、勝った負けたに拘った、戦史好きや軍事オタクが喜びそうなタイトルだが、内容は組織改革や資源活用など政治や企業経営にも通じる話だし、戦争そのものが抱える道徳的パラドックスにも話が及んでいて、思想・哲学的な内容も含んだ読み応え十分な傑作だった。
歴史の後知恵による思い込みという呪縛も痛感させられた。
タイトルを反転させたとしても、"なぜ枢軸国は破れたのか"とはならず、おそらく"なぜドイツは破れたのか"となるほど、大戦における日本の影は薄い。
「ドイツの不運は、第二次世界大戦において、戦争の新技術を生み出し活用する能力が極端に限られた2つの国と同盟を結んだことだった」と書かれるほど、事実上この戦いは米英ソ対独という三対一のデスマッチだった。
「アメリカは日本との戦いには全体の15%の戦力しか投入していなかった。残りの85%をドイツ打倒のために費やしたのである」。
そもそもこの戦争は、民主主義世界が邪悪な独裁者を屈服させるための戦いなどではなかった。
それぞれの本拠地を包囲された民主主義の、生き残りそのものをかけた戦いだったのだ。
結果から見ると、戦争のおかげで、世界は共産主義にとって安全な場所になったようにも見える。
第二次世界大戦の一番の逆説は、共産主義の尽力によって民主主義が救われたことにあった。
連合国が勝ったのは圧倒的な物量のおかげというのも時期の問題を無視した議論で、1941年の夏の時点に立てば違った風景が見えてくる。
ミッドウェーでは、軍艦の保有数で日本のほうが圧倒していたし、大西洋の船団護衛戦では、ドイツのUボートに対してごく少数の海上航空機と限られた護衛艦で勝利した。
大きな資源格差が影響し始めるのは戦争後半になってからで、連合国はそれ以前に不足する資源を戦術と技術革新によって補っていた。
むしろ問われるべきは、なぜドイツは連合国よりもはるかに生産量が少なかったのか、だ。
枢軸国側は、自己の保有する資源を最大限に活用できなかった。
戦時中を通して、ドイツ経済が生み出した兵器の数は、保有する原材料、人員、科学技術、工場の床面積などを考えると、予想をはるかに下回るものだった。
実際、1943年まで、はるかに小さなイギリス経済が、主要な兵器はほとんどすべての生産量において、ドイツを凌駕していた。
「ドイツにとって近代戦争は、1939年から円を一周して、元の位置に戻ってしまったのである。連合国軍が年々、部隊の改革と近代化を進める一方で、ドイツ軍はゆっくりと非近代化が進んでいった」。
第一次世界大戦の苦い教訓から、戦争に勝利するためには国民の総力が欠かせないと考え、ドイツは1930年代から着々と戦争経済を準備していた。
しかし、全ヨーロッパから獲得した豊富な資源、大規模な軍需生産への強制労働によって、さらに軍事生産を増やせたはずなのに、達成した規模は開戦一年目と変わらなかった。
ドイツの大砲を調べた連合国軍が驚愕したほどの技術力を持ち、戦後のNATO軍に採用されるほどの数々の兵器を作っていたにも関わらず...。
しかしあまりにも高度な兵器を追求しすぎたため、標準品を大量に生産するのではなく、無計画に多種多様な兵器を小口で生産していた。
軍官僚に支配され、正しい優先順位で生産が計画されなかった。
伝統的に中小企業の熟練した職人が、頻繁な設計変更や技術的な困難を、なまじ克服できてしまうものだから、余計にタチが悪いことに...。
あのポルシェが戦時中はキャンプ用のコンロをつくり、オペルは何を作らせるか決まらず3年も放置されていたというのだから呆れる。
業を煮やしたヒトラーが、ソ連の工場の成功を見て、大量生産を命じたが、時すでに遅かった。
シュペーアが軍需大臣に就任することによって、ドイツの潜在能力はようやく解き放たれたが、それと同時に、本格的な爆撃が始まってしまった。
豊富な資源があり、多数の有能な起業家、技術者、高度な技能を持つ労働者がいたのに、ドイツは経済戦争に負け、虻蜂取らずに終わってしまう。
独米ソ、どちらが自国の工場をうまく活用しただろう?
アメリカはたった一年で、枢軸国全体の兵器生産量を追い抜いた。
軍事的弱小国から一気に軍事超大国へ変貌している。
アメリカはいかにして一年で軍事大国になったのか?
豊富な資源に恵まれ、戦場から遠く離れていたのも大きいが、一番は伝統的な強みである、創意工夫や活気ある競争精神の芽を摘まなかったことだ。
命令したり強制したりするのではなく、実業家たちに軍需品製造の志願者を募集するというアプローチを採った。
船の大量生産なんて無理だと思われていたのを打ち破ったのは元写真店主だし、気に入らなければ一切協力しなかったフォードも、強迫観念である合理化の極地を発揮させた。
戦時経済による予定外の利益や賃金上昇がアメリカ国民に火をつけたとしたら、ソ連国民に火をつけたのは必死な思いだった。
1941年に完全崩壊したソ連経済はいかにして復活を遂げたのか?
いかにして産業活力を回復したのか?
破壊された産業や資源ネットワークを修復させ、崩壊の翌年には、前年の生産量、さらには敵の生産量をも上回ることができたのはなぜか?
豊富な資源に恵まれていただけでない、生産効率においてもドイツを上回っていたという事実。
その裏には、ソ連の労働者の並外れた忍耐と自己犠牲、過酷な戦時労働の実態があった。
なぜ耐えられたのか?
それはロシア革命以前から続く日常だったから。
記述するのは容易だが、説明するのは難しいことが、そこにはある。
ソ連では戦時中、すべての女性や老人、若年者が、ドイツの4分の1、イギリスの5分の1の配給量で、1日16時間勤務を休み無しで続けていた。
毎日の出退勤は銃剣を構えた警備兵に見守れて縦列行進し、欠勤は脱走と同じで強制収容所行き。
日常そのものがあまりにも過酷で、収容所の内と外の生活は区別がつかなくなるほどだった。
しかし必ずしも上からの強制的な計画経済だったからと言えない側面もあり、物質的なインセンティブを用意し、栄誉欲や競争心を巧みに煽る仕掛けもあった。
もっと本質的なのは、ドイツの残虐行為が国民の闘志に火をつけたことが大きかった。
「ソ連の士気を維持することは、戦争中期の重大な時期にソ連の物質的力を復活させるためには不可欠だった。ソ連国民が覚悟し、耐え忍んだ犠牲には、並外れたレベルの精神的動員が必要だった。実際、いかにしてその決意が奮い起こされたのかは、今なおこの戦争の中心的問題の一つである」。
「ロシア人は、内在する死のとりこになっていた。彼らは戦闘中に死を求め、死を与え、死に立ち向かった。二千万人以上の犠牲者を出しながら、なお戦い続けることができた国民がほかにいただろうか?」
ターニングポイントになったスターリングラードの攻防戦しかり、ミッドウェー海戦しかり、ノルマンディー上陸作戦も決して勝利確実な戦いではなかった。
そもそもチャーチルは、作戦の1ヶ月前になっても承認を拒み続けていた。
戦略的利点が重視されて承認したのではなく、ローズヴェルトの騙し討ちと、スターリンからの半ば脅迫によって、しぶしぶ認めさせられた作戦だった。
奇襲は成功し、圧倒的制空権と制海権を確保し、欺瞞工作(ヒトラーは開始から2ヶ月も騙されたまま)もうまくいき、ドイツ軍の暗号は筒抜けだったが、侵攻から1ヶ月で膠着状態に陥る。
おまけに、700万年前に日本海でモンゴル軍を崩壊させた時のような神風によって、英米軍も百年に一度の強風に見舞われ深刻な損害を出している。
あと数ヶ月侵攻が遅れていたら、もっと言えば気象予報に従って数日ズラしただけで、結果は大きく異なっていただろう。
それは、ドイツ軍によるソ連侵攻の開始時期にも言え、ムッソリーニに泣きつかれてギリシャなどで時間を浪費しなければ良かったと、ヒトラーはしきりに悔やんでいるが、単なるタラレバを超えた歴史の恐ろしさを感じさせられる。
なぜ連合国が勝ったのかという本題よりも考えさせられるのは、第9章の「邪悪なもの、すばらしいもの - 道徳的な争い」で、戦争そのものの本質について深く考えさせられる。
勝利という大義の前には、道徳的な曖昧さや矛盾、葛藤などは脇に追いやられる。
自由と民主を標榜する一方で、敵の民間人を何十万も殺害しても、真摯なためらいは生まれることはなかった。
今後起こりうる戦争でも、形を変えて繰り返されることだろう。
「戦争は無法が自然な状態であるという認識、道徳的無関心は、被害者を加害者のように見せることにいつも成功していた」。