- Amazon.co.jp ・本 (385ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903619101
作品紹介・あらすじ
封印されてきたソ連の従軍女性たちの声を聞けば、現代史のなかにひそむ悪魔の顔が見えてくる。衝撃のインタビュー集。
感想・レビュー・書評
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いずれ読もうと以前から思っていたのだけど、『同志少女よ、敵を撃て』を読んで、今だなと。
読んでいる間にこんな状況になってしまうとは…。
対ドイツ戦時にロシア軍に加わった、あるいはパルチザンとなった何百もの女性たち。
一人一人聞き歩いた著者は、ウクライナにもルーツがある。
話は皆壮絶。
戦勝国となった側も、個々の人間がいかに体、心、その後の人生を破壊されたか。
今侵略されているウクライナの人々はもちろん、反対を表明して危険な立場にあるロシアの人々も、派兵されているロシア軍の人々も、回復できない苦痛を受けるいわれはない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第二次大戦時、ソ連では100万を超える女性たちが従軍した。それに加えて、パルチザン部隊や非合法の抵抗運動に参加した女性もいた。看護師や医師のほかにも、戦闘員として戦ったものも少なくなかった。その多くは、戦地では男性と変わらぬ任務に就き、同じように傷を負った。それもこれも「祖国のため」「大義のため」だった。けれど、戦後は「男ばかりの戦地で何をしていたのか」と侮辱の目に晒され、あるいは結婚することを諦め、あるいは勲章をしまい込み、あるいは従軍経験をひた隠しにして生きていた。
男性が証言した戦争の記録は少なくない。しかし、女性の、しかも戦争従事者としての証言は非常に珍しいのではないか。多くの女性が従軍したというソ連の特殊な事情もあるだろうが、著者、アレクシエーヴィチの丹念で粘り強い聞き取りがなければ、こうした証言が日の目を見ることはなかっただろう。
本作を最初に構想した1978年、アレクシエーヴィチは30歳代だった。証言者らは著者の母や祖母の年代になる。彼女らは、娘に、孫に語るように、戦争のナマの姿を語る。
それは戦略や兵站の話ではない。生身の人間が戦闘に参加するとはどういうことか、肌感覚の話である。
戦争は女の顔をしていない。女もまた、戦争に行くことを想定して育てられてきてはいなかった。そのためかどうか、彼女らは、日常のふとした小さな出来事に目を留めるかのように、繊細なまなざしで、戦場の過酷な現実を記憶する。
血で固まり、手が切れるほど硬くごわついた衣服。
死にゆく前に決まって天井を見つめる重傷者。
泥だらけで死んでしまった仲間の娘たち。
殺さなければ殺される白兵戦のすさまじさ。
飢饉に見舞われ、満足に食べるものもない地でのパルチザン活動。
1つ1つ、1人1人の証言が重い。
歴史の教科書には残らないような、些細な部分。誰も聞かなかった細部。証言者が最も隠したかった、同時に最も語りたかったエピソード。
そうしたそっと触らなければ痛みを伴うところに、アレクシエーヴィチは迫っていくのだ。
それは人間の「人間らしさ」を形作る部分なのかもしれない。
ある女性は、ある村で、無残にいたぶられた多くのパルチザンの遺体を目撃する。死体が転がる傍らで、馬が草を喰む。
「生き物の見ている前で何という恐ろしいことをしたんだろう」
平時ならばありえない風景は怖ろしいまでの絶望を誘う。それはまさに地獄なのだ。
戦闘員は完全な被害者とは言えない。だが同時に、彼らは完全な加害者とも言えなかったのではないか。
戦争は終わった。スターリンの時代も過去だ。
もう何を語ってもよいはずだ。
けれど、恐怖は残る。彼女たちは沈黙し、あるいは名字を伏せるように請う。自分のためというよりも、子どもたちに害が及ばぬように。
おそらくはもう、これらの証言者たちの多くはこの世にはいない。
けれど、著者がすくい上げたこれらの証言は残る。
彼女たちが、娘のために、孫のために、いや、もしかしたら、戦争に出かける前の自分自身に伝えたかったであろう、切実な慟哭がずしりと残る。 -
「У войны не женское лицо」の翻訳(2008/07/26発行)。
第2次世界大戦の独ソ戦に従軍したソ連の女性のインタビュー集。
当時、ソ連の女性がどのような気持ちでソ連軍に従軍し、戦地で何を見、感じたのかが良く判ります。
グロテスクな内容ではありませんが、個人的には心に重くのし掛かる衝撃的な内容でした。 -
第二次世界大戦時のソ連対ドイツで戦ってきた女性達から作者が話を聞き、書籍にまとめたもの。これを読んでいて、その感情を持つ人がまだ生きていて、あるいは数世代しか経っていないのに戦争がなんでおこなわれてしまうのかと思ってしまう…
男性向けの勝ったこと戦術やそこに向かう話ではなく、それぞれの女性の日常と辛さと当たり前とギャップがある。何を信じていてその先に何があると思っていたのか…
重たくて読み進めるのがつらくなるけどそれが現実だとするならば、平和な世界のありがたさをしっかり認識していたい -
「同士少女よ武器を取れ」を読んで、本書を知った。「独ソ戦」の影響からか、読書前の想像では戦争犯罪被害者の女性の物語だと思っていたが、独ソ戦に従軍した女性兵士のインタビューであった。
弓や刀での白兵戦と違い、銃や大砲などの近代兵器の時代では女性も兵士として戦えることは理解できるが、やはり精神的には相当キツイものがある。特に子供を産み、育てる役割を与えられている女性が、人を殺したトラウマに侵されると、復員後の養育に大きな影響があるだろう。社会も安定しないだろう。
それにしても、肉親や知り合いを殺されたとはいえ、本書に登場する女性のほとんどは熱意を持って従軍を希望したことは、当時はそれを是とする風潮を感じさせる。社会の大きな流れ、洗脳の恐ろしさを感じた。
とはいえ、インタビュー記事の内容は、こんなに熱意を持って私は志願しました → 戦場でも勇敢に戦いました → しかし、戦後はトラウマになりました。というパターンが多く、読み進むうちに著者や登場人物には悪いが、飽きを感じさせた。
たぶん、嘘は言っていないとは思うが、一定のバイアスに沿って言わされている感がある。なぜ、もっと本心を言わないのか、というもどかしさが本書に対する飽きを感じさせるのだ。
悪い本ではないが、最後まで読み進もうと思わなかった。 -
戦争は男達だけが戦地に行くのではなく、女も志願してる事実を、この本で知る。内容は、戦争を知るには大切で充実してはいるが、レポート的な作風が馴染めず途中で挫折
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"戦争はもう何千とあった、小さなもの、大きなもの、有名無名のもの。それについて書いたものはさらに多い。しかし、書いていたのは男たちだ。私たちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。
女たちが話すことは別のことだった。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。
その戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを。"
"人間は戦争の大きさを越えている。"
戦争はなんでも真っ黒よ。血だけが別の色……血だけが赤いの……
一九四一年の乙女たち……まず、訊いてみたいのは、ああいう娘たちはどこから現れたのかということ。ああいう行動をした乙女たちがなぜあんなにたくさんいたのか? どうして男たちとともに銃をとろうと決断をしたのか? 銃を撃ち、地雷をしかけ、爆破し、爆撃する……つまり殺すという選択を……
私、父、兄弟とも森のパルチザンの仲間になったんです。だれかに誘われたわけではなく、自分からそうしたんです。母と一緒に残ったのは 雌牛だけ……
戦争の本って嫌い……。英雄たちが出てくる本……。私たちはみな病人だった。咳をしていて、寝不足で、汚れきっていて、みずぼらしい身なり。たいていは飢えていて……。それでも勝利者なの!
想像できます? 身重の女が地雷を運ぶ……赤ん坊がもうできていたんですよ……。愛していた、生きていたかった。もちろん怖がっていました。それでも運んでいた……。スターリンのために行ったのではありません。私たちの子供たちのためです。子供たちの未来のためなんです。跪いて生きていたくなかったんです。
退却のとき、恐ろしかった。もう泥だらけであちこちで煙があがっていた。それなのになぜかハイヒールが買いたくなった。昨日のことのようにはっきり憶えているわ。
「幸せって何か」と訊かれるんですか? 私はこう答えるの。殺された人ばっかりが横たわっている中に生きている人が見つかること……
死というものがどんなにありふれたことで、しかも分かりにくいものだということをまだ知らなかった。死にお願いしたり、言いきかせても無駄。
"ここでも戦争は終わっていない、決して終わらないのだ。"
"この人たちがなぜやはり話すことにしたのか、今はわかる……"
あの人たちが死ぬときの顔……何という目で見ていたことか……あの目……
私は思いました、おかあさんは私のことを結婚には若すぎるけど、戦争には若すぎないって思ったのね、と。私の大好きなおかあさん
負傷者が叫んでいるのはものすごく恐ろしいけれど、撃たれた馬の悲鳴のいななきはもっと恐ろしいんです。馬はまったく罪がないのに。
憶えています……あの感覚を。雪の中では血の匂いがことさら強かったのを、はっきり憶えています
何でも燃えるんだ、とそのとき分かったの。血液だって燃えるって
晩秋に渡り鳥が飛んで来るでしょ? その列がとても長く伸びているの。味方の大砲もドイツ軍も撃っている。でも、小鳥たちは飛んで来る。どうやって知らせたらいいの?『こちらに来たら危ないよ。ここは撃ち合っているんだから』って。どうすれば?! 小鳥たちは落ちてくる、地面に落ちてくる……
今、すべてを思い返して、あれは自分じゃなかった、だれか他の女の子だったんだという気がします
"彼女たちと話していると、小さなことが大きなことに勝っていて、時にそれは歴史全体より勝ることもあった。"
ただひとつだけ恐れていたのは死んだあと醜い姿をさらすこと。女としての恐怖だわ。砲弾で肉の断片にされたくなかったんです。そういうのを自分の目で見ていたし、その肉片を集めもしたから
今でも思い出すと泣きたくなります。おしろいの匂い、螺鈿の蓋、ちいちゃな女の赤ちゃん、何かとても家庭的な、本当に女らしい生活……
戦争中どんなに美しい朝があったかご存知? 戦闘が始まる前……これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も……太陽も……
"私たちはいつも同じことを話すことになる……結局のところ話はそこに戻っていく……"
「地雷除去の工兵は人生で何回間違えることがあるか?」
「工兵はただ一度間違えるだけです」
戦争は私の一番いい時期だったの、だってあの時は恋をして、幸せだったんですもの
戦争はなんでも速い。生きていることも、死ぬことも。あの二―三年で一生を生きてしまった気がする。誰にも分ってもらえないけど、時間の速さが違うの……
スターリングラードには人間の血が染み込んでいない地面は一グラムだってなかった。ロシア人とドイツ人の血だよ
ねえ、あんた、一つは憎しみのための心、もう一つは愛情のための心ってことはありえないんだよ。人間には心が一つしかない、自分の心をどうやって救うかって、いつもそのことを考えてきたよ
"何千と起こってきた、小さく、大きな、有名無名の幾多の戦争。それについて書いたものはさらに多いが、書いていたのは男たち。私たちが知る戦争は全て「男の言葉」で語られてきた。同じ戦争でも、女たちが話すことは別のこと。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭い、光、気持ちが入っていた。"
拾いきれないほどの女たちの戦争体験。テキストとなり本となり、それを読んで彼女たちの戦争を追体験する時、あの戦争あの時代あの国の事をどんなに理解するのが難しいか、わたしたちは思い知るのだ。 -
独ソ戦で戦ったソ連女性たち(当時十代の半ばくらいからの若者)へのインタビュー。
この時は同じ国民として共に戦ったウクライナとロシアの間で、今は戦争が起こっている。今、読むべきと思って図書館で借りたが、思いのほか重く、少しずつしか読み進められなかった。
若さ、愛国心、お下げと断髪、白髪、女の身体であること、男物の下着、死や血、凄惨さの中の菫の花や朝の美しさ、恋、家族、人を殺すことと命を尊ぶ気持ち、勝利後の幸せへの憧れと戦後の従軍女性への蔑視。
ひとりひとりに割いている行数が短い、一冊で一体何人の証言を読んだのか、
いろんな立場のいろんな女性の差違ある沢山の声が重なってゆくのを感じる。
読み終えた時に色や音や、匂いさえするように生々しいものが残った。
心が動揺して纏まらないが、なにか凄い読書体験になった。
これはただのインタビュー集ではない、語り手と聞き手によって紡がれたひとつの優れた作品だと思う。
男性にも読んでほしいと思う。
(戦後、男性は英雄に、女性は夫の姉妹さえ嫁の貰い手がなくなると言われる。
先日、酒井順子著「処女の道程」という貞操観念についての本を読んだばかりだったので、女性に対するそういう目線についても考えてしまった) -
ロシアで戦争に行った女性を取材したものであった。すすんで戦争に行った人やパルチザンになった人の説明であった。単なる記録ではなく、その人がどのような考えで現在送っているかというところまで聞いたところがほかの歴史のインタビューと異なっている。
日本でもこうした記録を取るには遅すぎたのであろうか。ただ、本文の文字が小さく説明があるところでは読みづらかった。
すぐ読めると思っていたが意外と時間がかかった。 -
ソ連軍女性兵へのインタビュー集。引き込まれて一気に読み終えた。
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ノンフィクション
歴史 -
読んでいる途中で何度も本を閉じる。怖くて。怖さって色々な種類があるって思った。涙も同じ。悲しみだけじゃない涙もあるってこと。この本はもうすぐ岩波現代文庫になる。みんなが読まないといけない本だと思う。綺麗な小説ばかり読んでいたら駄目だ。世界は涙や死者や血の上に出来ている。
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途中で読むのをやめてしまった。
ノーベル文学賞受賞後に近くの図書館に配架されていたので借りた。「戦場にいた時はまだ若かった。背が伸びたくらい。」など印象的な言い回しはあるものの、基本的には従軍兵士の証言集なので、あまり起伏がない。そういうものであるということでしかないんだが、自分には合わなかった。 -
Reading now...
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ノーベル賞受賞で知って読んでみた。これは文学史に残り読み継ぐべき本であり、彼女がノーベル賞を受賞した意義を実感する。
若い(30代)作家による、第二次大戦で戦争に行った女性たちへのインタビュー集。作家が彼女たちに向ける眼差し、彼女たちが過去の自分を振り返る意識、戦時中と戦後に彼女たちに向けられた世間の目、戦争と女性を巡る複数の視線が非常に興味深い。
最前線で戦った人、医師看護婦、パルチザン、洗濯係、通信係など、立場は様々だが、皆リアルに戦争に接している。この本が優れてユニークなのは、まずは女性同志の会話の中から「女の顔をしていない戦争」が生々しくたちあがってくること、さらに「人間は戦争の大きさを越えている。そういうエピソードこそ記憶に残る。」という作家の意図がこめられているところだ。
インタビュイーと雑談しお茶を飲み心を開きながら聞いた話は膨大だったろうが、本書の一人ひとりのエピソードは短い。語られたのは凄惨な死や血であり、女ならではの思い出や経験であり、忘れられない/戦争中は消え去っていた花や鳥の声の美しさである。或いはありえないほど恐ろしく凄まじく、或いはささやかな人間の営みを感じるが、どれも非常にエモーショナルで、胸が詰まり、何度も立ち止りつつ読んだ。最前線に立った女性という存在自体が珍しいのではないか?当時のソ連では、20歳以下の少女たちが、国を守りドイツを倒すのだという純粋な愛国心を持って志願し、事務方や作業員はいやだ、戦いたいと主張した、その事実も刺さる。 -
首都大学東京推薦図書
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なんともすごいルポルタージュっていうんでしょうか。
これを読むと、本当のことは何も知らされてない感が一杯になります。
日本の戦争はどうだったんだろうか?と改めて、 -
第二次世界大戦 ソ連では、たくさんの女性(10代~)が戦場に出ていた事を知りました。
自ら進んで、親の反対を押し切ってまで。
戦勝は、その人たちにとってよかった事もあれば、悪いこともあった。
独軍に捕虜にされたり、西側を見た人たちは、ソ連の強制収容所にいったり、裏切り者扱いされたりする。
以前は、この本も許されなかったのに、ここまでまとめた作者はすごい。 -
女性の狙撃兵とか戦闘機乗りとかがいたのはなにかで読んでたけど、ハイティーンの女の子たちが志願して前線に行っていたとは知らなかったし驚いた。男でもそうだろうけど、多感な時期をそんなところでそんなことをして過ごしていたら、そりゃあその後日常生活に戻るのは苦労するだろうなあと想像に難くないし、実際戦後彼女たちがかつての同僚である男性のみならず、戦場にはいなかった女性たちからも蔑視されていたは、なんともやるせない。
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「ヴ」の音、いわゆるウ濁抜きで訳したという『チェルノブイリの祈り』ではスベトラーナ・アレクシエービッチだった名が、こちらはウ濁名になっている。
この本は、アレクシエーヴィチ自身がもっとも大切に感じている本だという。
訳者あとがきによると、ソ連では第二次大戦で百万人を超える女性が従軍し、その女性たちは他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員でもあった。だが、戦争が終わって、従軍した女性たちは、「男の中で何をしてきたやら」と侮辱されもし、自らの戦争経験を隠さなければならなかった。
女たちの戦争は知られないままになっていた。アレクシエーヴィチは、その女たちのものがたり、戦争の物語を書こうとした。1978年から女性たちを訪ねはじめ、20年以上をかけて話を聞いてまわっている。
執筆日誌の「はじめてのメモ」には、回顧についてこう書かれている。
▼回顧とは、おきたことを、そしてあとかたもなく消えた現実を冷静に語り直すということではなく、時間を戻して、過去を新たに産み直すこと。語る人たちは、同時に創造し、自分の人生を「書いて」いる。「書き加え」たり「書き直し」たりもする。そこを注意しなければならない。(p.15)
祖国への愛に燃え、自分たちも何か貢献したいと徴兵司令部へ乗り込んで従軍を希望し、前線へと向かった女性たち。私たちだって役に立ちたい、役に立てるというその思いの強さは、日本にもあったのだろうと思う。
人を殺した経験も語られる。「敵と言ったって人間だわ」と一瞬ひらめいて、でも引き金を引いたという女性。初めてのときは怖かった、私と関係のない人を殺したんだ!この人のことを全く何も知らないのに殺しちゃった、と泣いてしまったけれど、しばらくしてそういう気持ちはなくなったと語る女性。
軍曹(高射砲指揮官)だった女性はこう語る。
▼…私たちは18歳から20歳で前線に出て行って、家に戻ったときは20歳から24歳。初めは喜び、そのあとは恐ろしいことになった。軍隊以外の社会で何ができるっていうの? 平和な日常への不安……同級生たちは大学を終えていた。私たちの時間はどこへ消えてしまったんだろう? 何の技術もないし、何の専門もない。知っているのは戦争だけ、できるのは戦争だけ。(pp.148-149)
二等兵(土木工事担当)だった女性はこう語る。
▼…戦争では橋が真っ先に壊されます。…いつも思ったものです。これをまた新たに建造するのにどれだけの年月がかかるだろう、と。戦争は人が持っている時間を潰してしまいます、貴重な時間を。父はどの橋の建設にも何年もかかっていたのを私は憶えていました。何日も夜遅くまで図面とにらめっこして、休みも返上でした。戦争で何よりもったいなかったのは時間です…父が費やした時間… (p.213)
戦場でさまざまな役割を担った女性たちが、それぞれの経験した出来事をとおして「戦争」を語る。
ソ連は、大祖国戦争(1941-1945、ドイツ側では東部戦線とよばれる)でヒットラーのナチスドイツと戦い、勝利のために4年間で2千万人の犠牲を払った。そんなことも、私は知らなかったなと思った。
(9/9了) -
嘗て大祖国戦争に従軍した女性将兵達へのインタビュー集。1人1人の証言は短めですが、どれも重く心に突き刺さるような話ばかりです。どの証言も断片的なものなので、大祖国戦争の背景や経過を予め頭に入れておくと良いかもしれません。
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日野図書館で借りた。
重かった…
ロシアとドイツの話だからまだ冷静に読めたが
日本と朝鮮・中国・東南アジアの話だったら
しんどすぎて読めなかったかも…
この著者の他の本も読みたい -
○池