良い支援?: 知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援

著者 :
  • 生活書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903690285

作品紹介・あらすじ

「大変な人」の支援はタイヘン?当事者主体って?意思を尊重するって?「見守り」介護って?"たいへんな人"??の自立生活を現実のものとしてきた歴史と実践のみが語りうる、「支援」と「自立」の現在形。

感想・レビュー・書評

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  • 理論・学問などでなく、実際に障害のある人たちと生活の中で深くかかわった人にしか気づけない「介護」「介助」「支援」の本質というものが存分に語られている。

    生半可な知識なんかでは到底たどり着けない境地。
    介護だ法律だ自立だなんだかんだといろいろ世間では言われているが、結局は、たとえ相手が重度の身体障害者であれ知的障害者であれ、つまるところ生身の人対人がどうやってお互いを補完し合いながら暮らしを営んでいくかということなのだ。それが「ピープルファースト」であり「セルフアドボカシー」ということにもつながっていくのだろう。

    多摩市の市民団体、たこの木クラブ代表の岩橋誠治氏の章はことに魅力的で、別にお涙頂戴のストーリーでもなんでもないのに、泣けて泣けて仕方がなかった。きっと本当は日本中でこれができたら理想なのだろうな。
    でも、現実は理想には程遠い。

    障害者支援(という言葉も、本書を読んだ後ではいかにも胡散臭く思えてしまうという妙)に興味があるなら必読の書。

  • 以下引用

    新しい自立概念は自己決定という考え方を持ち込むことでその対象を拡大することに成功したが、同時に自己決定できない障害者を排除してしまったのだ

    介入を避けようとすると、物言わず、当事者の手足として切り離しいわれたことだけを行うようになる。もちろん、そうした支援の在り方が支持される場合もあるが、できることはとても少ない

    制度が整えば整うほど、当事者の暮らしが輪切りにされているように感じます

    制度が整うことで、それぞれの役割分担が売前、役割意外のことはやらない、手が出せないという状況が生まれているように感じます。

    支援の中身や在り方を考える前に生活者としての当事者が存在しているという実感が大事

    ことばを発することのできる人であっても、周囲を納得させるだけの想いを組み立て、訴えるのは非常に厳しい

    親が限界でも、彼の将来の限界ではない。また地域の人たちの限界でもない

    親はこどもを限界ぎりぎりまで抱え込み、想いがはじけるように、自分の本意とは関係のないところで、施設入所や入院という選択をしてしまいます

    できないことと、しないことも区別がつきにくい。実は何らかの問題があって、できないのかもしれない。けれどもどっちなのかわからない。できないことって本人にもまわりにもよくわからない

    単に頼むのがうまいとか下手だというのではなく、そもそも頼む頼まれるという行い自体が難しい

    そうしたさまざまなことが私には不思議に思えた。でもそのことをいちいち評価したり否定したりせず、むしろ楽しみ、ただつかった、そうすると少しずつ、Mさんのことがわかってきた

    原因をあれこれと探っていって、それがわかることもあるけれどもわからないこともたくさんある。それよりも、日々の生活の中では、その都度まわりがある程度適切な対応ができれば、原因そのものは解決しないけれども、パニックや不機嫌や気分の上下をやりすごすことはできる

    ★止めないといけないでもなく、ただ好きなようにでもなく、ていねいに説明するでもなく、まずその人がどう考えているかを、まずは介助者が理解していく

    ★利用者らしい部屋を維持していくためにはどのように介護をすればいいのか。利用者のいう通りに整理したり掃除したりしれいれば、そうなるのでしょうか?

    ★生活の主体は利用者であるという第一原則を守るために、介護者は単に利用者に依拠して物事を進めるというだけでは足りません。介護者一人ひとりが、自分の個性を立ち上げてそこから部屋の整理や掃除の仕方について考えて、そのうえで、その利用者の個性を大事にできる方法について考えないと実現できない

    ★介護者が自分の個性を消す考えないようにする、我慢することによって利用者の個性を守るのではなく、介護者が自分の個性を出す、考えながらやる、できるだけ我慢しないことによって、利用者の個性を守っていくという方法、これが、利用者と介護者という違う個性を持った二人の人間が一緒にいるということ

    ★大切なのは、こちらからあまり利用者に聞かないこと。これは個の引き出しにしまっていいかな?というような聞き方だと、ついはい、と言ってしまう。そういうやり取りは、だんだんと介護者のペースになってしまうので、反対に、一見利用者に聞かずに作業をしているように見えても、利用者の視線を意識しながら、利用者がすぐに口を出せる形で作業を進めた方が結果的に利用者のペースが守られる
    →きけばいいというわけではない。


    利用者のペースで時間が流れているか、介護者のペースで流れているか、心地よさそうか、そうでないか。

    どちらかといえば、介護者のペースで時間が流れているが、二人の関係を見ても嫌な感じはない。

    ★嫌なのは、一見利用者に聞きながら、利用者を満足させているように見せて、実は言葉巧みに介護者が利用者を自分のペースに突き合わせているような場面

    介護者が何かを提案することが問題なのではなく、介護者が利用者を誘導してしまうことが問題

    一緒にいる関係というのは、お互いを尊重しながら、一緒に時間を過ごせるという関係

    利用者が自分で何かをできるようにすることが、介護者の専門性だと考えている人もいるが、それは指導や誘導に過ぎない。そうではなく、一緒に長い時間を過ごし、互いが心地よい時間を7過ごせているとしたら、それこそが専門性

    利用者の生活や場合によっては人生に関わっていく介護者pという仕事にとって、他者に開かれているというあり方が非常に重要。

    その日の介護がどうなるかは、行ってみなければえあからない。一緒にテレビを見たり、お風呂に入ったり、タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、時には近くで寝ていたり、という一見ダラダラした時間の流れの中でも、常に次に利用者がどうなるか何を求めてくるかわからないという緊張感を持ち続ける

    運営していてどんな状態か、いつみパニックです。先のことを考えていたら、何もできないから、その場その場で考えるんです。すると不思議となんとかいく

    しかしいいかげんさはみじんもかんじられない。むしろ、入所者に表現や行動ひとつひとつもないがしろにせず、それに誠実に応えようとする緊張感が感じられる。そっrは一定の決まりを押し付けることによるルーティンな業務をこなしていくような施設には感じられないもの。またいこれと反対に、何でも自由で許されるといった弛緩した雰囲気ともまったくちがっていた

    常識から予想されることを先取りするのではなくmその場その場状況に即して対応すること、

    最初からなんらかの決まりを押し付けることは簡単で、それは相手の行動をあらかじめ封じることにつながっていく、ところがそれをなくしたとたん、相手に応答するためには、相手の次の行動を慎重に観察せざるをえない

  • 369.28-ヨイ 300072113

  • たこの木の自立生活、自立支援の現場の話。
    おもしろかった。岩橋さんの章がよかった。いい本。

  • 実習教育センター Iさん

    知的障がいのある人の、自立生活をめぐる話だが、多くの示唆があります。
    「良い支援」とは、いったい誰にとっての「良い支援」なのか。
    これからの社会福祉士相談援助実習で、障害領域に行きたいと考えている方に、ぜひお勧めしたい一冊です。

    資料ID:W0169803
    請求記号:369.28||Y 73
    配架場所:本館2F書架

  • とても考えさせられる本。小手先の支援ではなく本質をしっかりとおさえないといけないと気づかされる本。
    地域支援者におすすめ。

  • 『良い支援』は、出たころから、ときどき借りては少し読み、全部は読みきらずに返しては、また借りて…というつきあいをしていた本だった。このたびようやく、てっぺんから最後まで、通しで読んだ。

    「私たちに関することは私たちが決める」、言い換えれば「私たち抜きで私たちのことを決めるな」という、自己決定や当事者参画の流れ、そして「地域で生きる」というノーマライゼーションの流れが、障害者の「自立生活」運動にはある。

    その大きな勢力だったのは「青い芝」なのだろう。「自立」とは、誰の助けも借りず自分でなんでも全部やるとか稼いでナンボということではなくて、自分で自分の暮らしや生き方を決めていくことなのだ、自己決定なのだと、つぎつぎに「自立」した人たちの姿は、自立の考え方をゆさぶり、広げたところがある。

    ▼他方、そうした自立観=自己決定する自立という考え方においては、能動的な意思/意志と、それを伝える力が当事者本人に求められます。もちろん障害当事者同士の価値観の共有や力づけ(エンパワメント)が目指されるといったことはありましたし、いろいろな形での支援によって、あるいは経験の不足で失った能力や感情を取り戻すことによって、意思/意志を発見し伝えられるようになる。それは確認されるべきだと思います。ただその考え方が、現実には、知的障害/自閉の人たち─特に意思/意志を表明しにくい、「重度の」と言われる人、そして一般的な社会のルールにのれないために生きていくのが「大変になっている」人─が自立生活を始めることを難しくしている面もあるのではないでしょうか。(p.8、寺本晃久)

    この本は、「既存の知的障害者福祉(つまりハコを前提とすること)ではなく、自立生活運動の延長にある支援・介助とも重なり/けれども必ずしも同じではないような、「何か」を打ち立てられないか」と考え、これまでやってきたこと、言ってきたことを振り返り、次へつなげていくために一緒に考えたい、と書かれている。

    どの章も、行きつ戻りつ、ゆっくりゆっくり読んだ。とくに6章の「当事者に聞いてはいけない─介護者の立ち位置について」(末永弘)が私にはおもしろかった。

    「当事者主体だから当事者にきく」ということはどうなのか。「人に質問して考えをきく」というコミュニケーションの取り方のよしあし、その難しさ。あるいは、利用者・介護者の双方が介護制度という金銭を媒介として選んでいく、「時間で介護を買う/売る」という関係のあり方はいいのか。本人と介護者とコーディネーターとの関係。

    こないだ『カニは横に歩く』を読んだときにも、介護とお金のことは、もやもや~と考えたが、やはり、お金が結ぶ関係のことをもやもや~と考える(これは働くこととお金として考えてもいいのかもしれない─私はお金があるから働くのか?とか)

    「地域で生きる」というときの「地域」ってどこなん?というのも、久しぶりに思いだした。8章では障害者自立支援法にからんで、こう書かれていた。
    ▼…もし「福祉」を測り「自由」の配分を決める「基準」をどうしても作らなければならないというのだとしても、それはやむを得ず、用心しながら、限定して、使われるものではなくてはならないといことでもある。そして、「話し合い」が成立する範囲というのが、「地域(コミュニティ)」のそもそもの定義であり、だから、これからは「地域福祉」、ということであったはずである。(p.256、岡部耕典)

    私にとって、「話し合いが成立する範囲」は、どこらへんになるかなあと思う。そして、その範囲で、ともに生きる人たちは誰なのか。

  • 当事者主体と介助の関係や、介助労働の問題など、ときどきすっきりさせたいと思っていることに触れていた。問題意識はど真ん中だが、投げ返された投球は当然のごとく直球ではない。

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