介助者たちは、どう生きていくのか: 障害者の地域自立生活と介助という営み

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  • 生活書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (420ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903690674

作品紹介・あらすじ

障害者の地域生活に根ざした介助という営み、その歴史と現状をつぶさに見つめつつ、「介助で食っていくこと」をめぐる問題群に当事者が正面から向き合った、これぞ必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 渡邉琢『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』 arsvi.com:立命館大学生存学研究所
    http://www.arsvi.com/b2010/1102wt.htm

    介助者たちは、どう生きていくのか | 生活書院
    https://seikatsushoin.com/books/介助者たちは、どう生きていくのか/

  • 「介助が仕事として成立したのはごく最近のことだ」(p.15)という冒頭のところで、頭が混乱する。介護保険ができて、支援費制度ができて、それで、「運動」か「ボランティア」か「家族」か「施設」だったのが、「仕事」になったということのようだが、じゃあ2000年以前のは何なのかな~と思ったり。

    労基法とか最低賃金とか、そんなんでいうと、胸を張って「仕事」という感じではなかったかもしれないけど、「仕事」あったよなーと思う。

    ただ、その冒頭のところで「?」と思ったあとは、大きく引っかかることもなく読んだ。こないだ講演会「しょうがいの重い人の今後のケアホーム」を聞いたあとでは、「24時間の介護保障のためには単純計算で月に744時間必要」とか、国本さんが言うてはったのはこういうことかとよくわかった。介護報酬の流れも、知らなかったところが、そんな風になってるのかとわかった。「代理受領」という仕組みがあって、「ダイレクトペイメント」という話もあるんやろうなと思った。

    介護保障における「労働」という課題(5章)は、ずっともやもやしてるところで、じっくり読んだ。「24時間の介護が必要」ということと、「1日8時間労働」とか「9時から5時まで」ということとは、うまくかみあわないところが絶対ある。

    介護ではないけど、「どこまでが"仕事"か、線引きむずかしいなー」と私もよく思うので、そんなのもなぞらえて考えたりした。"仕事"と割り切るからできることもあるし、"仕事"と思ったらやってられへんこともある。でも、そう思うときの"仕事"って、どんなんか?? 私にとって、そう思うときの"仕事"って、何やろ??

    「自立生活」と、当事者の責任・当事者管理というところ(6章)も、いろいろと気になるところで、こっちにナルホドと思っても、あっちでハアそれではアカンかと思ったり、ぐるぐるした。

    ▼通常の自立生活センターにおいては、介助の責任を当事者にもたせていく。それによって当事者管理を遂行できるからだ。介助者の側に責任をもたせることは、当事者の生活の束縛を招くと考える。自分の責任で介助者に指示を出し、行動する。介助者にイニシアチブをとらせない方法である。…施設の場合は、障害者はまったく責任のとれない存在とされ、常に問われるのは施設の管理責任となる。…それを脱するためには当事者が自らイニシアチブをとって、自分の生活と行動に責任をもっていかねばならない。…
     (中略)
     しかし知的障害者の介助に入るときは、それでは通用しない。当事者にすべての責任をもってもらい当事者の指示に従って介助をするというのでは、行動障害のある障害者は生きていけないだろう。駅のホームにある警報器を鳴らさないと気がすまない人の介助に入るとき、どうしたってその人の行動を制限することになる。糖尿病のおそれのある人の介助に入るとき、止めないと命にかかわることになる。そういうとき、当事者にすべて責任をとってもらうというわけにはいかない。けれど、当事者にだって何らかの責任はあるだろう。当事者の責任はどのくらいで、介助者の責任はどのくらいか。(pp.360-370)

    障害者の責任と介護者の責任は、50対50ではなく、100対100だ、どちらもちゃんと責任をもって事にあたらないといけない、介護者は利用者[障害者]の主体性や責任、利用者の人としての存在を100%認めながら、同時に自分も責任もって判断しながら相手と関わり介護に入らないといけない、という。いわば「人間関係にもとづく介護」。

    でも「関係にもとづく介護」がベストかというと、そうでもないだろう。下手をすると「限られた関係のなか」に閉じられてしまう(そんな風になったら、「施設」とどこが違うだろう)。それなら、時給制でもなんでも、入れる人が誰でもじゃんじゃん入ったらオッケーかというと、それもきついだろう。(こんなことを考えるときも、どんな人を思い浮かべるかによって、話はずいぶん変わる。あたりまえだが「障害者」も一括りにはできない。よく"障害者マーク"にされがちな「車椅子」のユーザーだって、ほんまにいろんな人がいる。)

    こないだの講演会で、国本さんは「相互主体性」ということを言っていた。その人にとって何がベターかを、関わるみんなが寄ってたかって考えるというようなこと。

    介護保険は「介護を社会全体で支え合う仕組み」という。人と人とのあいだにある介護/介助、そのことをなるべく寄ってたかって考えていけたらと思う。そう思うと、介護/介助が仕事になった、というのは「仕事をしてる人のこと/そのサービスを受ける人のこと」にかえって絞られていきそうな気もして、パラドックスのようにも思える。

    この本を読んでたら、『カニは横に歩く』や、『良い支援?』、『母よ!殺すな』、『「健常」であることを見つめる』なども、また読みたいと思った。

    *p.56の3行目がタヌキ「腰がもたなくなっときのことを」→「腰がもたなくなっ【た】ときのことを」

  • 当事者ではなく、介助者サイドのもの、興味深く読みました。
    なかなか言いづらいことも「あー同じ(考え)なんだー」とほっとしたり。
    お金のリアルな話もとてもよかった。

  • 始めの方に介助者の思いや考えがいろいろ書かれていて、とても興味深く読み進めました。そういうこと、思ってもいいよなぁ、と介助者の本音が垣間見えてよかったです。

  • 369.27

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著者プロフィール

1975年名古屋生まれ。京都大学大学院文学研究科修士課程修了(西洋哲学史専修)。2000年、日本自立生活センター(JCIL・京都)に介助者登録。2004年、JCILに就職。京都市における24時間介護保障の実現に尽力。2006年、仲間とともに「かりん燈~万人の所得保障を目指す介助者の会」を結成。現在、自立生活運動の事務局員、介助派遣部門のコーディネーター、ピープルファースト京都の支援者として活動中。著書に『介助者たちは、どう生きていくのか』(生活書院、2011年)。

「2013年 『障害者介助の現場から考える生活と労働』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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