街場の教育論

著者 :
  • ミシマ社
4.03
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本棚登録 : 1311
レビュー : 150
  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908106

作品紹介・あらすじ

学びの扉を開く「合言葉」。それは……?

「先生、教えてください!」


教育には、親も文科省もメディアも要らない!?
教師は首尾一貫していてはいけない!?

——日本の教育が「こんなふう」になったのは、われわれ全員が犯人。

——教壇の上には誰が立っていても構わない。

——学校はどの時代であれ一度として正しく機能したことなんかない。

——「他者とコラボレーションする能力」の涵養こそ喫緊の課題。

学校、教師、親、仕事、宗教……
あらゆる教育のとらえ方がまるで変わります!!

はっと驚く、感動の11講義!

全国の先生方 必読です!!

感想・レビュー・書評

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  • 講義録をもとにしているということと、2007年の教育改革に言及しつつ本論に入っていくので、少し蛇足がある。斜め読みしたけれど、部分的に参考になるところがいくつかあった。

    例。
    「使える専門家」というのは、誤解している人が多いように思いますけれど、自分が何をできるのかを言い立てる人のことではありません。そうではなくて、自分は何ができないのかをきちんと理解していて、「自分ができない仕事」、それに支援されなくては自分の専門的知見が生かされない仕事について、きちんとしたジョブ・ディスクリプションが書ける人のことです。そうしないと必要な専門家の「リクルート」ができませんからね。
    (104ページ)



    初登録13.12.10 読了14.03.05 

  • 「学び」とは、それまで自分を「私はこんな人間だ。こんなことができて、こんなことができない」というふうに規定していた「決めつけ」の枠組みを上方に離脱すること。

    成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」。

     教えることよりも、自分の学ぶ姿勢について再確認できたように思います。

  • 2007年に著者が神戸女学院大学の大学院で行った「比較文化・文学」の講義録を編集したもの。街場シリーズ第四弾。

    第一次安倍内閣で「教育再生」が進められていたこともあってか、教育問題を取り上げている。面白かったのは、第8講「「いじめ」の構造」と、第9講「反キャリア教育論」。あと、第11講「宗教教育は可能か」での宗教や霊性に関する著者の考え方に賛同。

    著者は、80年台から深刻化した「いじめ」問題について、その元凶は、国策的に社会全体をグローバル資本主義に移行させたことだとしている。子供には本来、最初に集団行動・他者との協調心を身につけさせるべきところ、グローバル資本主義に適合した「自分らしさ」イデオロギーの下で、他者を打ち負かすことをよしとする個人主義的な考え方を植えつけられ、「集団形成をすることに対する忌避と「集団を作らなければならない」という強制が絡まり合って、非常に不安定な集団的な心理状態になって」しまったため、と分析している。消費拡大策としての家族解体と個人消費の促進(自己表現としての「自分らしい消費生活」の推進)も、同じグローバル資本主義化の文脈なのだという。

    そういえば、マスコミ等でいじめ問題がクローズアップされることは少なくなってきたような気がするが、改善してきているのだろうか。それとも、スマホとネットでより陰湿ないじめが跳梁跋扈している?

  • ガツンと頭を叩かれる衝撃を感じる。ネタも豊富で講義、セミナーを企画する時の参考になる。考え方が変わることで行動の質も変わるキッカケになり得る素晴らしい本である。

  • 新聞の書評で「おもしろい」と紹介されていたので読んでみたが、これは「おもしろい」ではなく「すばらしい」ものである。
    職業柄、本はたくさん読むが、今までに出会った本の中でもしかしたら一番かも知れない。(読んだものをすべて記憶している訳ではないので確信は持てないが)
    星は5つまでしかないが、10個はつけたい。
    内田先生は「学校の先生たちが元気になるような本」として書いたそうである。ここで言う先生はおそらく小中高教員を想定していると思われるので、厳密には私は対象に当たらないとは思うが、間違い無く元気はもらえた。
    そして、これからも教育を自分の仕事として続けようという思いを新たにした。
    大学教員には真の教育者が居ない(少なくとも今まで出会ったことがない)と思っていたが、それが間違いだと分かった。
    内田先生の授業を受けられる神戸女学院の学生たちは幸せだと思う。

  • とても人気のあるシリーズのようで驚いたが、確かにおもしろい指摘が説得力のある形で語られている。

    個人的には、4点印象に残った。

    一点目は、競争は学力を上げるのではなく、周りを下げて、自分を一人を浮き立たせることに力を注ぐことに繋がるという指摘や、その個人競争に浸り、慣れきった学生が、それとは根本的に異なる仕組みの採用試験や仕事に直面して、適応できなくなっているということである。

    自分も確かに学年での順位というものに動かされた。しかし、どう動くかまでは、コントロールできない。著者のいう動き方だけではないと思うが、自分の肯定感を高める方法は教員側の狙うものとは異なる可能性はいくらでもある。競争さえすれば、「学力」は上がるという素朴な論調に、一矢報いることのできる指摘だと感じた。


    二点目は、教育は商品を速く、安く提供して消費してもらうビジネスモデルには当てはまらず、オンライン大学という通販形式の大学はうまく行かないという指摘だ。
    著者は、耐えざる変化が求められる商品の消費行動とは異なり、自分が受けたものが同じまま残ることを求めるという点で教育は大きく異なると言う。

    始めはピンと来なかったが、参加した自分の職場の中高大の一貫教育を受けた卒業生の話を聞く会に参加したところ、その一人がやはり、教員が変わって行く中で、どうやってーらしさを保てるのか考えてほしいという問題提起をしていた。ずばり、著者の指摘通りの事例に出会って考えると、自分が高校の同窓会に行って母校の話しを聞くとうれしいのは、同じことなのかもしれないと思った。

    3点目に、教師をそうたらしめているのは、その人の知識でも話しの内容でもなく、教壇を挟んで対峙している立場だという指摘を挙げたい。

    確かに、こんな話聞きたくもないと感ずるものでも、教室なら授業、礼拝なら説教になるだろう。逆に、素晴らしい話しでも飲み屋ですれば、飲んだくれがくだをまいていると思われる。私は状況に重きを置いて理解している。

    最後に、人間は生者と遺体の間に死者を見出し、聞けない声を聴こうとする努力こそに、「礼」の意義があるという指摘は胸を打った。

    当然、死者の声をわかったふりをして、とうとうとかたることは礼を失していること、また、靖国参拝に対する怒りが、それらの国の死者が冒涜されたと感ずる遺族のものとつながっているという指摘は、アメリカの博物館に展示されるエノラゲイに対して感ずる日本人の違和感をアメリカの人は理解できないことにも重なる。

    上記に挙げた著者の論点は、全て思考の産物であり、普遍性のあるものとは思えないが、自分が取ることはできなかった視点であり、興味深かった。

  • 「街場シリーズ」の4作目。タイトル通りの教育論だ。筆者の主張は、ここでもきわめて首尾一貫している。すなわち、「教育はビジネスではない」の一点に尽きるとも言える。「個性を尊重する教育」と言えば、一見正論であるかのように聞こえるが、その実は個的消費を煽るために過ぎなかったりする―筆者特有の切れ味の良さだ。グローバル教育やキャリア教育―これらも、ちょっと見には魅力的に映る。しかして、その実態は…。なお、教員は基本的には反権力というのは、たしかにそうあるべきだろう。文部科学省の顔色を窺っているようではだめなのだ。

  • 教育はどうあるべきかー。
    今の若者の感覚についても鋭く切り込まれていて、目からウロコでした。
    どういう教員になって、どう教育していくのか、考えさせられる一冊になりました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「考えさせられる一冊になりました。」
      どの著作も唸ってしまいますが、特に教育に関するコトは素晴しいです!
      「考えさせられる一冊になりました。」
      どの著作も唸ってしまいますが、特に教育に関するコトは素晴しいです!
      2013/06/10
  • 内田先生の教育論を読みました。これは2007年に内田先生の大学での講義を基に執筆したものです。街場のとありますから、(内田先生はいつも街場からものを言う方ですが)現場主義というか、政治家や評論家が教育問題をここがいけないと指摘しているだけとは、まるで訳が違います。特に教育に関しては目の前に子どもたちがいる限り一時的に停止できない。改革するから学校を閉鎖する・・というようなことはできない。惰性の強い制度である。との前提を強調しています。これはこと、常に人を四六時中相手にする仕事、教育だけでなく医療や福祉・介護関係の業界に共通する原理ではないかと思い当たりました。これらの業界も常に改革が叫ばれ問題がメディアで取り上げられるのですが、じゃあ誰が解決するの?誰が実行するの?となると、誰かがやるだろうと他人事で自分に火の粉が飛ばないと実感がわかないというのが世間の大方です。その間にも、現場では刻々と事態が悪化、火の粉を振り払う役目をするのは、まさにその場にいる人たちです。「手持ちの資源」を無視して改革はあり得ないということは共通していると思いました。
    ここでは教育に必要なのは教師と子どもだけ、「教えるものと学ぶもの」の出会いの場が「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ」に繋がる回路が開く奇跡的なスポットとビジネスの世界とは次元が異なることがよく分かります。
    教育論とありますがこの本には生きていくためには、どんな力が必要かということが示されています。普段あまり意識していないことでも、内田先生にあらためて示されるとそうなんだよねえと腑に落ちます。引用したい言葉があまりに多すぎて書ききれないので省略しますが、最後の方に書かれていた霊的メンターとの出会いという部分が心に残りました。
    結局のところ、そういえる人との邂逅も幸運なことではありますが、内なる他者と繋がることができる。目にみえないものの声を聴くことができるという実感は、現実に起こる様々な不条理をも透過してしまうのではないかと思いました。

  • 市場原理を教育に持ち込むのは駄目。教育は惰性の大きいもの。故にすぐに解決させるような特効薬的なものはない。学生と先生の2者がいれば教育は成り立つ。元々教育は子どもを親や社会からの搾取から守るためにあった。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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