街場の教育論

著者 :
  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908106

作品紹介・あらすじ

学びの扉を開く「合言葉」。それは……?

「先生、教えてください!」


教育には、親も文科省もメディアも要らない!?
教師は首尾一貫していてはいけない!?

——日本の教育が「こんなふう」になったのは、われわれ全員が犯人。

——教壇の上には誰が立っていても構わない。

——学校はどの時代であれ一度として正しく機能したことなんかない。

——「他者とコラボレーションする能力」の涵養こそ喫緊の課題。

学校、教師、親、仕事、宗教……
あらゆる教育のとらえ方がまるで変わります!!

はっと驚く、感動の11講義!

全国の先生方 必読です!!

感想・レビュー・書評

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  • 「学び」とは、それまで自分を「私はこんな人間だ。こんなことができて、こんなことができない」というふうに規定していた「決めつけ」の枠組みを上方に離脱すること。

    成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」。

     教えることよりも、自分の学ぶ姿勢について再確認できたように思います。

  • 正直思想家が何言っているのかよく分からないと思いながらいつも読んでいましたが、今回のこの本はとても良かった。
    教育というものについて幅広く述べていますが、結局の所、国や組織はあまり口を出さずにしっかり金を出し、現場サイドは悩みながら人間臭い所をしっかり子供に見せながら、指導していくべきだという事だと思いました。
    特に面白かったのが葛藤が無いといけないという事でしょうか。確かに大人のいう事が首尾一貫していなくて困惑した事が山のように有りましたが、自分が大人になると首尾一貫している訳も無く、毎回言っている事が違うに決まっています。それによって子供が葛藤を覚えると。これは非常に面白かったです。

  • 講義録をもとにしているということと、2007年の教育改革に言及しつつ本論に入っていくので、少し蛇足がある。斜め読みしたけれど、部分的に参考になるところがいくつかあった。

    例。
    「使える専門家」というのは、誤解している人が多いように思いますけれど、自分が何をできるのかを言い立てる人のことではありません。そうではなくて、自分は何ができないのかをきちんと理解していて、「自分ができない仕事」、それに支援されなくては自分の専門的知見が生かされない仕事について、きちんとしたジョブ・ディスクリプションが書ける人のことです。そうしないと必要な専門家の「リクルート」ができませんからね。
    (104ページ)



    初登録13.12.10 読了14.03.05 

  • 内田先生の教育論の代表作と言って良いか。

    「先生、教えてください」が学びの扉を開く。と帯に書いてある。
    先生の役割の再定義が必要とされる時代になって、そもそも「先生の役割の果たし方」の本質は何かを語っている。

    以下、共感を含む所感。

    1 教育論の落とし穴
    ・「「教育を改革する」ということは、学校への信頼と、教師たちの知的・情緒的資質への信頼を維持しつつ、それと並行して「学校制度の信頼するに足らざる点+教師たちの知的・情緒的な問題点」を吟味するということ」つまり、制度上の極めて難度の高い、深刻な問題であるということである。
    ・教育論の落とし穴というのは、普通に考えれば、誰もが自分の経験をもとに論じてしまえる点にある。他方、筆者は、制度上の問題が深刻になればなるほど、市民ひとりひとりの責務が曖昧になるということを落とし穴としている。深刻な問題であれば、個人の努力ではどうにもならないから。
    ・なので、ムーブメントを起こしていくことにも一定の意味がありそう。

    2 教育はビジネスではない
    ・教育はビジネスかといえば、そうではない。が、教育サービスはビジネスである。つまり、「収支を黒字にするために、どういう教育をすればいいか」を考えることになる。
    ・これは「私たちがやりたい教育をするためには、財務内容をどうやって健全化すべきか」を考えるのとは異なる。
    ・教育は「おせっかい」の延長で支援を集めるべき。
    ・「今ここにあるもの」とは違うもの(場所、時間、人)に繋がること。それが教育というものの一番重要な機能。

    3 キャンパスとメンター
    ・「「学ぶ」というのは「お買い物をする」ということとは違います。外形的に似て見えるところもありますが、本質的にはまったく別物です」
    ・「「すでにはじまっているゲームに巻き込まれる」という学びのダイナミズム」・・・『ハチミツとクローバー』『もやしもん』
    ・「どうしていいかわからないときに、どうすべきかの目鼻をつける」
    ・「私たちをゲームに巻き込む人、それがメンターです」「学ぶものに「ブレークスルー」をもたらすのがメンターの役割」
    ・「「巻き込まれ」が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければいけません」
    ・ということで、キャンパスもメンターも同じ機能を果たす。

    4「学位工場」とアクレデーション
    ・「教育活動のコンテンツは「教育商品」であり、教師はその商品のサプライヤーであり、保護者や生徒は顧客である、と。そういうモデルで教育を語る人間がおります。でも、私はこれは絶対に教育者が口にしてはならない言葉だと思っています」
    ・教育が「属人的であるが故に、「誰が誰から受けたか」が決定的に重要である。

    5 コミュニケーションの教育
    ・「自分の身体をどこまで細かく分節できるか。・・・それが課題となります」
    ・「教養教育というのは、要するにコミュニケーションの訓練」「専門教育というのは「内輪のパーティ」のこと」
    ・「本来、子どもたちに最初に教えるべきなのは、「このこと」のはずです。どうやって助け合うか、どうやって支援し合うか、どうやって一人では決して達成できないような大きな仕事を共同的に成し遂げるか」

    6 葛藤させる人
    ・「言うことが矛盾しているのだが、どちらも言い分も半分本音で、半分建前である、というような矛盾の仕方をしている教師が教育者としてはいちばんよい感化をもたらす。・・・成熟は葛藤を通じて果たされるから」
    ・教師の役割は、これに尽きる。

    7 踊れ、踊り続けよ
    ・「学びにおいて、人を操作的に学びに巻き込む主体は存在しない」「教師というのは、・・・教師自身が「学ぶ」とはどいうことかを身を以って示す。それしかないと私は思います」
    ・「ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです」
    ・つまり、弟子のポテンシャルを引き出すということに他ならない。
    「人間は自分が学びたいことしか学びません。自分が学べることしか学びません。自分が学びたいと思ったときにしか学びません。」「ですから、教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです」「そしてそのためには、教師自身が、「外部の知」に対する烈しい欲望に現に灼かれていることが必要である」・・・これが、吉田松陰、或いは玉木文之進の話であろう。
    ・学びのシステムは存在するか、と言われれば、学びを渇望している者が、ロールモデルというかメンターになる仕組みを作ればよい。

    8「いじめ」の構造
    ・「大きな仕事というのは人からもらっている給料分以上の仕事をしなければ決して達成できません。ひとりひとりが自分に期待されている仕事の何倍、何十倍ものオーバーアチーブをしたときにだけ、集団的なブレークスルーは達成される」

    9 反キャリア教育論
    ・大学でキャリア教育をするのはどうなのか。

    10 国語教育はどうあるべきか
    ・音楽性の欠如が問題。
    ・「日本語の音韻やリズムにも「真名」的なものと「仮名」的なものがある」
    ・「私たちはまず言葉を覚えます。意味がよくわからない、何を指すかわからない。それでいいんです。言葉を裏打ちする身体実感がないというその欠落感をずっと維持できているからこそ、、ある日その「容れ物」にジャストフィットする「中身」に出会うことができる」
    ・「自分の固有の経験を語る固有の言葉なんか誰も持ってはいない。そもそも持つ意味がない。「固有の言語」というのは定義上「誰にも通じない」もののはずですから」

    11 宗教教育は可能か
    ・「私自身は宗教性ということをこんなふうに考えています。自分を無限に広がる時間と空間の中のわずか一点にすぎないという、自分自身の「小ささ」の自覚、そして、それにもかかわらず宇宙開闢以来営営と続いてきたある連鎖の中の一つの環として自分がここにいるという「宿命性」の自覚」・・・自分の小ささの自覚と宿命の自覚が宗教性
    ・「人間というのは必ず葛藤のうちにある」・・・動的均衡の重要性

  • 2007年に著者が神戸女学院大学の大学院で行った「比較文化・文学」の講義録を編集したもの。街場シリーズ第四弾。

    第一次安倍内閣で「教育再生」が進められていたこともあってか、教育問題を取り上げている。面白かったのは、第8講「「いじめ」の構造」と、第9講「反キャリア教育論」。あと、第11講「宗教教育は可能か」での宗教や霊性に関する著者の考え方に賛同。

    著者は、80年台から深刻化した「いじめ」問題について、その元凶は、国策的に社会全体をグローバル資本主義に移行させたことだとしている。子供には本来、最初に集団行動・他者との協調心を身につけさせるべきところ、グローバル資本主義に適合した「自分らしさ」イデオロギーの下で、他者を打ち負かすことをよしとする個人主義的な考え方を植えつけられ、「集団形成をすることに対する忌避と「集団を作らなければならない」という強制が絡まり合って、非常に不安定な集団的な心理状態になって」しまったため、と分析している。消費拡大策としての家族解体と個人消費の促進(自己表現としての「自分らしい消費生活」の推進)も、同じグローバル資本主義化の文脈なのだという。

    そういえば、マスコミ等でいじめ問題がクローズアップされることは少なくなってきたような気がするが、改善してきているのだろうか。それとも、スマホとネットでより陰湿ないじめが跳梁跋扈している?

  • ガツンと頭を叩かれる衝撃を感じる。ネタも豊富で講義、セミナーを企画する時の参考になる。考え方が変わることで行動の質も変わるキッカケになり得る素晴らしい本である。

  • 新聞の書評で「おもしろい」と紹介されていたので読んでみたが、これは「おもしろい」ではなく「すばらしい」ものである。
    職業柄、本はたくさん読むが、今までに出会った本の中でもしかしたら一番かも知れない。(読んだものをすべて記憶している訳ではないので確信は持てないが)
    星は5つまでしかないが、10個はつけたい。
    内田先生は「学校の先生たちが元気になるような本」として書いたそうである。ここで言う先生はおそらく小中高教員を想定していると思われるので、厳密には私は対象に当たらないとは思うが、間違い無く元気はもらえた。
    そして、これからも教育を自分の仕事として続けようという思いを新たにした。
    大学教員には真の教育者が居ない(少なくとも今まで出会ったことがない)と思っていたが、それが間違いだと分かった。
    内田先生の授業を受けられる神戸女学院の学生たちは幸せだと思う。

  • とても人気のあるシリーズのようで驚いたが、確かにおもしろい指摘が説得力のある形で語られている。

    個人的には、4点印象に残った。

    一点目は、競争は学力を上げるのではなく、周りを下げて、自分を一人を浮き立たせることに力を注ぐことに繋がるという指摘や、その個人競争に浸り、慣れきった学生が、それとは根本的に異なる仕組みの採用試験や仕事に直面して、適応できなくなっているということである。

    自分も確かに学年での順位というものに動かされた。しかし、どう動くかまでは、コントロールできない。著者のいう動き方だけではないと思うが、自分の肯定感を高める方法は教員側の狙うものとは異なる可能性はいくらでもある。競争さえすれば、「学力」は上がるという素朴な論調に、一矢報いることのできる指摘だと感じた。


    二点目は、教育は商品を速く、安く提供して消費してもらうビジネスモデルには当てはまらず、オンライン大学という通販形式の大学はうまく行かないという指摘だ。
    著者は、耐えざる変化が求められる商品の消費行動とは異なり、自分が受けたものが同じまま残ることを求めるという点で教育は大きく異なると言う。

    始めはピンと来なかったが、参加した自分の職場の中高大の一貫教育を受けた卒業生の話を聞く会に参加したところ、その一人がやはり、教員が変わって行く中で、どうやってーらしさを保てるのか考えてほしいという問題提起をしていた。ずばり、著者の指摘通りの事例に出会って考えると、自分が高校の同窓会に行って母校の話しを聞くとうれしいのは、同じことなのかもしれないと思った。

    3点目に、教師をそうたらしめているのは、その人の知識でも話しの内容でもなく、教壇を挟んで対峙している立場だという指摘を挙げたい。

    確かに、こんな話聞きたくもないと感ずるものでも、教室なら授業、礼拝なら説教になるだろう。逆に、素晴らしい話しでも飲み屋ですれば、飲んだくれがくだをまいていると思われる。私は状況に重きを置いて理解している。

    最後に、人間は生者と遺体の間に死者を見出し、聞けない声を聴こうとする努力こそに、「礼」の意義があるという指摘は胸を打った。

    当然、死者の声をわかったふりをして、とうとうとかたることは礼を失していること、また、靖国参拝に対する怒りが、それらの国の死者が冒涜されたと感ずる遺族のものとつながっているという指摘は、アメリカの博物館に展示されるエノラゲイに対して感ずる日本人の違和感をアメリカの人は理解できないことにも重なる。

    上記に挙げた著者の論点は、全て思考の産物であり、普遍性のあるものとは思えないが、自分が取ることはできなかった視点であり、興味深かった。

  • 「街場シリーズ」の4作目。タイトル通りの教育論だ。筆者の主張は、ここでもきわめて首尾一貫している。すなわち、「教育はビジネスではない」の一点に尽きるとも言える。「個性を尊重する教育」と言えば、一見正論であるかのように聞こえるが、その実は個的消費を煽るために過ぎなかったりする―筆者特有の切れ味の良さだ。グローバル教育やキャリア教育―これらも、ちょっと見には魅力的に映る。しかして、その実態は…。なお、教員は基本的には反権力というのは、たしかにそうあるべきだろう。文部科学省の顔色を窺っているようではだめなのだ。

  • 教育はどうあるべきかー。
    今の若者の感覚についても鋭く切り込まれていて、目からウロコでした。
    どういう教員になって、どう教育していくのか、考えさせられる一冊になりました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「考えさせられる一冊になりました。」
      どの著作も唸ってしまいますが、特に教育に関するコトは素晴しいです!
      「考えさせられる一冊になりました。」
      どの著作も唸ってしまいますが、特に教育に関するコトは素晴しいです!
      2013/06/10
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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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