街場の教育論

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  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908106

感想・レビュー・書評

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  • <今度はウチダが教育を斬る!>
    信者か言うぐらい内田の文章に陶酔してます。もう少し中道にならねばなりませんな。例えノンポリと呼ばれようとも。
    5章は内田さんの思想が全開ですね。


    ・教育は成果が検証できるのが大分先。だからみんな好き勝手言える

    ・教育制度改革は、故障している自動車に乗ったまま故障を修理するようなアクロバシー

    ・義務教育の意義は「親から子を守ること」というのが歴史的事実

    ・教育の本質は時間的空間的「外部」との通路を開くこと

    ・一単位=45時間のワーク

    ・学びは過去の価値観からの上方離脱

    ☆教養―東洋六芸(礼楽射御書数)、西洋七科。
    礼:死者とのコミュニケーション
    楽:音楽を通じての時間意識の涵養
    射:弓道で身体意識の向上
    御:馬術によって他者とのコミュニケーション
    書数:読み書きそろばん「浮世の勧行場」でのやりとりの技術

    ・教養教育は突き詰めたら他者とのコミュニケーション。「自分に出来ないこと」をきちんと理解して「自分の出来ること」にリンケージさせる。

    ・先生は建前でいい。葛藤が成熟を促すから。

    ・どう振舞っていいか分からん時に適切に振舞う能力が教養

    ・「祖述者」になることで信用される

    ・問題を一気に解決できる方法などないと心得よ

    ・問題解決のオーバーアチーブはトップダウンでは成立しない

    ・「モジュール化」

    ☆集団形成をすることに対する忌避と「集団を作らなければならない」強制が絡まりあって、非常に不安定な心理状態になっている。その均衡が崩れると集団になじまないor過剰適応している個体いずれかがいじめの標的になる

    ☆共感力の喪失は消費拡大のための「自分らしさ」礼賛で繁盛したグローバリズムのつけ

    ・「会って五秒」で合格者は決まるby大手出版会社

    ・ファシリテイトする人間が受ける

    ・能の基本はエイトビート

    ・表意文字と表音文字は記号を処理する脳の部位が違う。失読症で、片方だけ読めなくなる日本人の例

  • 教育の話のみならず、組織の話など興味深い。何度も読んでみたい本。途中から3色ボールペンで線を引きながら読んでみた。

  •  フランス現代思想などを専門とする著者による教育論です。著者による『下流志向』でも教育については論じられていますが、本書ではまるまる1冊、テーマが教育に絞られています。具体的には、2007年度の神戸女学院大学の大学院「比較文化・文学」の講義録がもとになっているとのことです。11回にわたって、教育に関する様々なトピックについて、受講生の報告(この部分は未収録)に対するコメントのかたちで、著者の教育論が縦横無尽に語られています。
     読後感としては、「なるほど論理一貫した鋭い指摘だ」と首肯できる箇所と、教育学者の端くれ(一応の専門家)としてはとうてい首肯できない(したくない)箇所と、その両方があります。また、もともと録音された講義録に加筆修正したものなので、当然ながら話の流れや勢いが重視されていおり、典拠やネタ本を丁寧にあげたりはしていません。読者の側に予備知識がないと、オリジナル(ユニークな主張)な部分と定説(オーソドックスな主張)の部分とが判別できません。ただし、これは本書の欠点として言っているのではなく、講義録なのでその点に注意して読みましょう、ということです。舌足らずな部分や、論理的な整合性にやや欠ける部分も、ある程度は仕方のないことでしょう。自分の講義を振り返ると、とても人のことはいえません・・・。
     いずれにせよ、ストレートに教育に関する自説を提示しているので(専門家ほどそうしたことには躊躇します)、賛否いずれに感じるにせよ、自分の考えを深めたり議論の素材としたりするのには、なかなか良い本であると思いました。

  • 世の中はヤバい!
    みんながみんなそう思っているのに、誰も解決策を出してくれない。
    混乱した問題が複雑に絡み合っていて、我々は思考停止状態。問題を先送りして、とりあえず働いたり遊んだり。

    そんな世の中に一石を投じる内田樹氏。

    複雑化した世の中を、「教育」をテーマに分かりやすくほどいて解説してくれる。最高の指南書であると思う。

    教育までもがビジネスの一環としてとらえられている、そのために若者の非正規雇用や早期離職などが起こりえる。子供たちの行動が理解できなくなっている。
    これらの解決策は、「現場」の先生方にお任せすること。完璧ではない、一人の人間としての先生が子供たちに体当たりでぶつかって、「葛藤」を与えることで、子供たちは人間的に成熟する。
    「メンター」と出会うことの必然性。
    「個性を伸ばす教育」が教育現場で近年主なテーマとなっていた。
    しかし、教育とは、コミュニケーション能力を高めること。他の専門家とのコラボレーションを実現させる能力の涵養である。

    こんな世の中を作ってきた責任は、政治家たちだけではなく、まぎれもない「私たち」にある、という、厳しくも当たり前の提言が盛り込まれている。

  • ・それは教育の本質が「こことは違う場所,こことは違う時間の流れ,ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにあるからです。「外部」との通路を開くことだからです。「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というものの一番重要な機能なのです。
    ・「どうしていいかわからないとき」に適切にふるまうことができるかどうか,それがその人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間です。
    ・教養教育とはコミュニケーションの訓練,専門教育というのは「内輪のパーティ」のことです。
    ・他の専門家とコラボレートできること,それが専門家の定義です。他の専門家とコラボレートできるためには,自分がどのような領域の専門家であって,それが他の領域とのコラボレーションを通じて,どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させなければなりません。
    ・逆説を弄しているように聞こえるかもしれませんが,人間は学んでいるときには,自分が今,何を学んでいるのかよくわかっていないのです。自分がどこに向かっているのかわからない。それでいいんです。その無知と不能の覚知に基づいてはじめて「自分がやっていることをわかっている視座」というものを想像的に設定できるからです。その想像的な視座から,自分がいるところを俯瞰する。それが「マッピング」ということです。
    ・自分をマップする地図は自分で作らなくてはならない。
    ・「使える専門家」というのは,誤解している人が多いと思いますけど,自分が何をできるかを言い立てる人のことではありません。そうではなくて,自分は何ができないのかをきちんと理解していて,「自分ができない仕事」,それに支援されなくては自分の専門的知見が生かされない仕事について,きちんとしたジョブ・ディスクリプションが書ける人のことです。
    ・成熟は葛藤を通じて果たされる。
    ・わからないことがあれば,わかっていそうな人に訊く。それが「学び」の基本です。
    ・教えるということは,非常に問題の多いことで,私は今教卓のこちら側に立っていますが,この場所に連れてこられると,すくなくとも見掛け上は,誰でも一応それなりの役割が果たせます。無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り,その人が役に立たないということなど決してありません。(ジャック・ラカン「教える者への問い」)
    ・「あんたもできるだけのことをやらなくちゃいけない。じっと座ってものを考えているだけじゃ駄目なんだ。そんなことしてたって何処にもいけないんだ。わかるかい?」
    「わかるよ」と僕は言った。「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?
    「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら,もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう」(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

  • 書かれていることは至極全うなことばかりなのだけど、自分が普段感じていて言語化できてない事をわかりやすい言葉で語ってくれている。
    惰性がついて急に方向転換できないのが教育、というのはまさにその通りだと思う。人が学ぶという事についての解釈も興味深い。
    改めて教育の難しさを認識させられた。

  • 内田樹氏による教育論。

    同じく内田氏著書である「先生はえらい」が子供に向けた教育論であるのに対して、
    本書は教師をはじめとした大人向けの教育論であった。

    僕が本書を特に薦めたい相手は、日頃ビジネス本を呼んでいる人。
    本書を読むと、現在主流になりつつある「自己実現」、「自己責任」、「効率主義」という考え方が、
    もしかすると大きな間違いなのかもしれないという考えを持つと思う。

    「人生は長く、時間の経過を考慮しないと解決しない問題も多い。」ということを、ひしひしと感じさせてくれる本。

  • 教育とビジネスとの相違は、教育は時間がかかることに価値がある。すぐに結果が出ない。また、ビジネスはいくら何が売れたかが重要で誰に?はあまり問題にならないが、教育は何がより、誰に?が最も重要である。
    古典を学ばなくてはいけない。なぜなら、現実にあることの「外部」にさらにすごいものがあることを実感しそれを自分で認めた時、自分で学ぶスイッチが起動するのだ。古典にその「外部」のすごさがあるのだろう。教師はそのスイッチを押すだけでいい。私も子供に学びのスイッチを押してあげたい。

  • 著者の教育者としての実感と、論理のアクロバットが絡み合う展開。「人間的成熟は葛藤を通じて果たされる。」
    教育論とありますが、広く一般に面白い本だと思いました。私たちは教育と無関係ではいられないのですから。
    第5、7章あたりが読みどころです。これから社会に出る人には第9章もおすすめします。

  • 教育の問題は今の仕組みや今教育を担っている人を批判することで解決しない。代わりがいないのだから、実際に今教育を担っている人を入れ替えることはできない。だから、現場と外部が問題を共有することで現場の環境がかわっていくことでしか、問題解決はなされない。医療も同じ。担っている人に問題があるとしても、そう簡単に別の人やシステムに変えられない。

    中国の歴史では、王朝がかわるとすべて官吏も学者も入れ替えているが、日本では前の時代のものを一掃しない。一掃するだけの人材の余裕がないこともある。将棋の様に敵ですら、使わないとやっていけないのだ。人口・国土広さによるのか。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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