小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

著者 :
  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908328

作品紹介・あらすじ

『移行期的混乱』で、「有史以来初めての人口減を食い止める方策は、経済成長ではない。
それとは反対の経済成長なしでもやっていける社会を考想することである」と指摘した著者。
本書では、その社会のあり方として「小商いの哲学」を提示する。
「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けることだけが、この苦境を乗り越える第一歩になる」
短期的ではなく長期的な視点での復興策を、血の通った言葉で書きつづった感動的な論考!

感想・レビュー・書評

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  • 「いま・ここ」に責任をもつ。地に足をつけて、互いに支え合い、ヒューマンスケールで考える。
    帯にも書かれている主張に心から共感する。
    一方で、経済成長を完全に否定している点には違和感を覚えた。確かに「消費と欲望の拡大再生産」は不毛で持続可能でないかもしれないが、これは方向性を誤っているからであって、経済成長(GDPの増加と定義しておく)そのものが否定される理由にはならない。
    むしろ、あるべき経済成長とは何かをヒューマンスケールで考えるべきだと思う。

  • 震災の翌年に出版された本だけど、その後の日本は熊本での地震、いくつもの天災、そして新型コロナウイルスの蔓延と、まさに予期せぬ出来事に遭遇している。
    けど振り返れば、どれだってその予兆はあったはずで、わたしたちはもっと地球と向き合わなければいけなかったんだ。(もちろん自己責任を論じたいのではない)

    経済の発展ばかりに目を向けてきた世界に日本だけど、それももう、どう見ても縮小傾向。
    拝金主義はやめて、丁寧に向き合って、つくって、「いま・ここ」に責任を持つ。小確幸の世界へシフトチェンジしませんか。

    ものが溢れ返っている日本のような場所がある一方、世界にはまだまだ文字通り今を生きるのに必死な人が溢れ返っている。これを発展と言っていいのか。
    わたしは早く、世界が平和になってほしいよ。

  • ミシマ社さんの本。小商いとは何で、どうやればいいのかというノウハウではなく、なぜ著者が小商いが今の日本に必要だと感じているのかを語る内容。スモールビジネスやポスト資本主義的な様々な取組みの潮流の走りの方の本なのかな。小商い、ヒューマンスケールという方向性的には読む前から賛同しているのだが、本書の内容自体は著者のノスタルジー的な感覚優先で論拠を飛ばした文章には素直についていきにくい部分もあった。名著と言われてますし著者と時代を共にしてきた同世代の方にはスッと読めるのかもですね。

  • ものは充足し、すてに人口減少が始まっている中で、パイの奪い合いによる拡大均衡・自社の成長でなく、正しく長い目で見てバランスすることなのかも。でもそれでいいのか、とも迷うところ。
    2022.04

  • 「田舎のパン屋が見つけた腐る経済」の著者である、
    パン屋タルマーリーの渡邊格さんが著者内で強く勧められていたので読んだ。


    所謂ビジネス書と言うよりは、
    人生哲学の部類に近い本かと思いますが、
    日本の経済発展の歴史を踏まえ、今日本人にとって必要な生き方とは何かを考えさせてもらえるとてもよい本でした。

    小商いとは、小さな商売のことではない。
    東日本大震災をきっかけにいっきに筆を進めて書き上がったという本著では、震災の時の一連の流れをみる中で、これからの社会で必要なのは、今、身の回りにある小さな問題を全て自分ごととして引き受け、責任を持つ。即ち、一人一人が大人になることが苦境を乗り越える第一歩になるという。

    帯にある
    「日本よ、今年こそ大人になろう」という一言がとても身に沁みる。
    確かに昨今の疫病にはじまりワクチン騒動を見ても、自分の頭で考えず、責任を他者に負わせようとするこの傾向は、大人になりきれない子どもばかりなのではないかとうんざりする。

    かつて、無償で地域のため、社会のためと損得顧みずに仕事をしていた日本の大人たち。確かに、あの当時の大人の在り方があれば、他責にせず自責で生きる、プロの大人集団の集積で未来は変わりそうな気がする。

    タイトルから興味がわかなくても一度読んでいただきたい一冊。

  • 田舎のパン屋が見つけた腐る経済、など好きな人におすすめ。

  • 「縮小均衡」とは魅力的な響きをもつ言葉で、みんなが本気でこれを受け入れたら、現代の様々な社会問題はほとんど解決してしまう。実際、一人ひとりが人間としての認知や行動の限界(本書では「ヒューマンスケール」と呼んでいる)をわきまえ、カネと科学技術の力を借りてそれを大きく超えるようなことをしなくなれば、色々な局面でもっと「楽」に過ごせることが確信できるんだよね。ところがみんなヒューマンスケールを軽々と越えて、(一見)楽しそうだったり贅沢をしたり充実している素振りを見せつけるものだから、ヒューマンスケールでつつましく生きている僅かな人も煩悩を刺激されて嫉妬で苦しむことになってしまう。今の世の中で、ヒューマンスケールに徹して生きるには相当な勇気と覚悟が必要だし、その生活に耐えるのも並大抵のことではない。やはり人生はいつの時代も四苦八苦なのか。

    【川崎市立宮前図書館 332.1】

  •  知人に勧められて読みました。
     確かそのときは村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる言葉「文化的雪かき」とか、本書に出てくる小商い的なことについて話しいていたように思えます。

     以下、本文の目次です。
    目次
    ビジネス書ではない
    本書は何についての本なのか
    資本主義の否定
    小商いのすすめ
    「当事者の時代」と本書
    同意できない点
    資本主義の否定
    三丁目の夕日への郷愁
    これからのコミュニティ
    最後に

    目次

    第1章 経済に蚕食された社会
    第2章 街角のフォークロア
    第3章 ちいさいことの意味
    第4章 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ――東日本大震災以後
    第5章 小商いのすすめ

    ビジネス書ではない

     まず、まえがきから著者が断っていますが、本書は「小商い」という言葉から想像されるようなスモールビジネス、起業、商店といったことに関する指南書でもハウツーでもありません。

    本書は何についての本なのか

     では、本書はどういった本なのか。
     僕は本書はライトな現代批評の本だと思っています。

     「小商い」という言葉を軸に、日本の過去現在未来を見通し、世界の事例を引っ張ってきてリーマンショック、東日本大震災、空前の円高。そして、政治の機能不全。誰もがシステムとしてうまくいっていないことは分かりながらも、どうしたら良いのか分からないという今の状況に対するひとつの答えを提示しているのです。

     但し、あくまでライトに。本格的な批評の本のように難しい表現なんて抜きで、分かりやすく、どちらかというとエッセイに近いような書き方で、読者に「小商い」的な生き方を提示しているのです。

    資本主義の否定

     本書は資本主義を否定します。利潤を求めることが第一の資本主義的企業体を否定します。
     それは拡大均衡の時代でしか通用しないと述べているのです。
     ところが、今は縮小均衡の時代であり、その流れに逆らって不自然に経済を拡大させようとするとどこかで必ずツケがくる。それがバブルであり、リーマンショックであったとしています。
    (拡大均衡が起きる条件は本書に書いてありますが割愛します)

     現在の日本を囲う諸条件がこれからの経済の縮小を指していることは人口動態から指摘されていることです。それでも拡大があり得るならば、それはシリコンバレーのようなものを目指すことになるのでしょうが、シリコンバレーによる拡大は「オキュパイウォールストリート」を生み出しました。

     シリコンバレーにしろ、ウォールストリートにしろ、資本主義によるグローバリゼーションは大きな格差を生みました。
     多国籍企業はより安価な労働力を求め、先進国に向かいます。その結果、より高い賃金の労働者は解雇されます。新しい職についたり、起業すれば良いのでしょうが、職が簡単に見つかるわけはありませんし、誰もが起業できるわけでもありません。
     こうして、人々を豊かにするための資本主義は逆に格差を生み出し、人々を不幸にする結果を招いているのです。

    小商いのすすめ

     そこで、著者が考える縮小均衡の時代の生き方として勧めるのが「小商い」なのです。

     「ヒューマンスケール」とも言っていますが(というか「ヒューマンスケール」を著者が日本語に訳したものが「小商い」なのですが)、「小商い」とは何か。本書では以下のように表現しています。

    「いま・ここ」にある自分に関して責任を持つ生き方

     本来は何の責任もない生まれた時から帯びている自分が属する環境について、積極的に責任を持つという生き方。

     グローバリストのいう「自己責任」との違いはこの「本来は何の責任もない」という点にあります。
    「自己責任」とは自分のしたこと。してしまったことに対して、責任を取るという考え方です。逆に言えば、自分のした行動の範囲までしか責任が問われないということです。
     それに対して、「小商い」では、本来は全く責任のないことに対して、責任を持ちます。例えば、自分以外の地域の子どもの世話をしたりすることです。
     ここで、冒頭に書いた「文化的雪かき」という言葉が出てきます。
    (「誰にも感謝されず誰もやりたがらないが、誰かがやらねばならない仕事」 村上春樹「ダンスダンスダンス (上)より)

     合理的に考えると損をする役回りをする人があって、はじめて共同体に血が通うことになるのです。
    (僕は不勉強ながら未読ですが、レヴィ・ストロースの言う「贈与と返礼」の「贈与」にあたるようです。)

     余談ですが、政(まつりごと)を行う人というのはそういう贈与をする人かもしれませんね。「みんなのために働く人」という意味で。

    「当事者の時代」と本書

     ところで、本書を読んでいて感じたのが、佐々木俊尚さんの著書「当事者の時代」における「当事者」という考え方です。
     「当事者の時代」は、日本の今のマスコミ言論が劣化している理由を、戦後、1960年代、現在と歴史を遡って考察し、では今の僕たちの心を打つ言論とは何なのかについて論じた本です。
     佐々木俊尚さんは、その答えとして「自分が当事者になるしかない」と述べていました。
     マスコミを題材としていますので、その「当事者」とは当然、事故の被害者であったり、東日本大震災の被災者であったりします。

     ですが、この「当事者」という言葉は「「いま・ここ」にある自分」と言い換えることはできないでしょうか。

     僕たちは誰でも自分の人生の当事者です。「自分という人生の主人公(笑)」とかそういう感傷的な解釈ではなく、事実として誰でも息をして日々の出来事を体験してそれを自分なりに解釈して記憶して、そうやって生きているのですから、人生の当事者であることから逃れることはできません。

     だから、そういう意味では、本書「小商いのすすめ」における「「いま・ここ」にある自分に関して責任を持つ生き方」は、まさに「当事者」であるということではないかと思うのです。

     但し、違いはあります。先に述べたように、「当事者の時代」はマスコミ言論についての本です。ここでいう「当事者」というのはもっとネガティブなことの体験者であり、だからこそ意味のある言葉を書ける人のことです。
     ですので、以下のような文脈の違いから来る差異があります。

    ・これから発信者としてどうあるべきか→「当事者の時代」
    ・これからの時代に適した生き方とは→「小商いのすすめ」

     しかし、ここで僕が言いたいのは両書に通底する価値観のようなものがあるのではということです。僕はあると考えています。

    同意できない点

     ここまで、本書のまとめを優先して書いてきましたが、最後に同意できない点が2点ありましたので、挙げたいと思います。

    ・資本主義の否定
    ・三丁目の夕日への郷愁

    資本主義の否定

     まず、第一点「資本主義の完全否定」からですが、本書では歴史的な必然というよう表現をしています。

     「行き過ぎた進歩は身を滅ぼす」といった言葉には、今の時代状況からして特に説得力を持って聞こえますが、本当にそうなのか。ある程度のコントロール(特に金融業界)が必要だとは思いますが、そこまで否定するようなものなのか。
     本書の「小商い」とは、震災、原発事故と起こった後における、「今までと違うやり方」の一つとして、著者が勧める生き方です。
     僕はこの「小商い」的生き方が全てだとは思いません(本書でも絶対そうしろとは書かれていません)。
     ですが、何にせよこれからはコミュニティを志向するにせよノマド的な方向にせよ「個人」がキーワードになるのではと感じています。

    三丁目の夕日への郷愁

     もう一点。本書では昭和30年代ごろの生活について、大きな思い入れを持って書かれています。
     著者も若かったときこの頃の閉鎖的な環境が大嫌いだったと書いているように、単に好きだからではなく、相半した感情を持ちながらも強く惹かれるものとして描かれています。

     その理由を「小商い的生き方が自然に実践されていたから」だとしています。そして、同時に閉鎖的でありながらも居心地の良かった空間。「おとな」と「こども」という価値観がしっかりあったこと。などを挙げています。

     本来の「ヒューマンスケール」=「小商い」に則った生き方をしていたと。

     僕もそれはそうなんだろうな。と何となく納得はできます。閉鎖性はあったかもしれませんが、経済が右肩上がりだったので、全体として明るく価値観を共有できた時代。
     それは幸せだったのでしょう。希望が持てたのでしょう。

     しかし、本書が考えるこれからの時代は「縮小均衡の時代」です。右肩上がりではない時代です。著者も「単純に当時の様になればよい」と言っているわけではありません。それだけでは郷愁に過ぎないとも言っています。
     大事なのは、当時の「小商い」的な商売のあり方であり、それは現在の短期的な利益を追い求める商売のやり方ではないこと。

    小商いとは、さまざまな外的な条件の変化に対して、それでも何とか生きていける、笑いながら苦境を乗り越えていけるためのライフスタイルであり、コーポレート哲学なのです。 本書p.221より

     では、なぜ当時の地縁共同体的な閉鎖的環境をわざわざ本書で描いたのか。そういう閉鎖的な環境が嫌だったからこそ「個人」という考えが浸透してきたし、「しがらみ」が否定されてきたのではないのか。著者もそれが嫌いだったのではないのか。
     著者は明言していませんが、どうも「小商い」と言ったときにこの地縁共同体的なものを想定しているように思えるのです。

     僕はそれが嫌なのです。いえ、「これからの時代」を考える上で不適切だと思うのです。
     地縁とか血縁とかそういったものから自由になろうとしてきたのが近代の歴史です。本書も近代の進歩の歴史を否定はしていません。ただ、それがこれからの「縮小均衡の時代」では適していないと言っているだけです。
     だからといって「縮小均衡の時代」における「小商い」的生き方が、近代以前の、資本主義以前の時代と同じという考えは違うのではないか。
     これから訪れる時代では、近代以前の時代とは様相が違ってくるのではないのか。

     僕にはそう思えてならないのです。

    これからのコミュニティ

     本書でも「当事者の時代」でも、これからの時代における個人の、資本主義的な生き方ではないオルタナティブな生き方を表現しようとしているように思えます。
     しかし、本書では個人についてしか語っていない。
     個人が直接社会と向き合うのはしんどい作業ですが、何かしらの繋がりは必要です。そこで、必要とされる個人と社会の間に立つような共同体について語っていないのです。

     佐々木俊尚さんはそれを中間共同体と呼び、近代以前はムラがそれを担い、近代以降は会社がそれを担ってきたと言います。(どちらも同質性・閉鎖性の強いムラ的共同体でした。)
     しかし、バブル崩壊とともに、終身雇用によって支えられた会社という中間共同体が崩れてしまった。

     僕たちは、社会と適度に繋がるために新しい中間共同体を必要としますが、それは昔の居心地の良かったムラ的共同体ではないと思います。インターネットという存在もありますし、「個人」という考え方が、近代以前とは比べ物にならないくらい浸透してるでしょう。

     だから、これからの小商い的生き方をしている個人が必要とするだろう中間共同体も、ムラ的な閉鎖的共同体ではなく、個人が個人として自立しつつも緩やかに連携しているような新しい絆の形なのだと思います。

     それがどんな形なのかは、色んな人が考えているとは思います。山崎亮さんの「コミュニティ・デザイン」やスタンダード・ブックストアでの10時間ぶっ続けトークショー(まだ全部は視聴していないのです。いい加減観ないと!)でも、論じられています。

     僕も少しずつですが考えていきたいと思うのです。

    最後に

     何だか思ったより長文となってしまいましたが、本書はこれからの生き方について考える上で必読の書であると思います。
     特に、年収とか社会的立場とかそういうことに拒否感がある人に。オルタナティブな生き方に興味がある人に。愚にもつかないビジネス書に飽き飽きしている人に。
     是非読んで欲しい一冊です。

  • ヒューマンスケール、自分の問題として引き受けること、共同体、「雪かき仕事」の大切さを説く本。
    昭和30年代への郷愁が筆者のベースになっており、その時代を知らない世代にはそこがあまりに感傷的にすぎるように映ると思う。しかし、グローバリゼーションの殺伐さに疲れた20ー30代で、その思想の暖かみに共感する人はきっと多いだろうな。
    自分の問題として、直接自分に責任のないことを引き受ける。そういうことって本当に大事。そういう働き方をしている人は常に憧れだった。自分もそんなおとなでありたいです。

  • 同著者の『共有地をつくる』という新刊本が気になっていたところ、こちらを見つけた。「共有地」にしろ「小商い」にしろ、私の志向するところと近いように感じていたが、期待はずれだった。2012年刊行ということなので、その当時であれば多少目新しさはあったのかもしれないが、その10年後の今となってはどこかで聞いたような話ばかりの上、言葉に対する鋭敏さに欠け、母性礼賛のような古い価値観も見られる。
    「わたしの書く本は、きまって長いまえがきが付いています。」という前置きがあって、どれほど長いのかとページをめくるとたったの13ページで、思わず笑ってしまった。その「長いまえがき」には「物語的エッセイとしてお読みいただければ」とあったので、エッセイに対して言葉の使い方の厳密さを求めるのも無粋なものかとも思うが、まあやはりもっと読むべき本は別にあるので次に行きましょう。

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著者プロフィール

1950年、東京・蒲田生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。2014年、東京・荏原中延に喫茶店「隣町珈琲」をオープン。著書に『小商いのすすめ』『「消費」をやめる』『21世紀の楕円幻想論』、『移行期的混乱』、『俺に似たひと』、『株式会社の世界史』、『共有地をつくる』『「答えは出さない」という見識』他多数。

「2024年 『ひとが詩人になるとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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