女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

著者 :
  • ミシマ社
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本棚登録 : 55
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908878

作品紹介・あらすじ

恋愛しない男女、不機嫌な夫婦、見失われる人間の本能…に活を入れ、
若者の可能性、受け継ぎたい知恵、外国で見つけた希望の芽…を言祝ぐ。

ミサゴ先生の、耳にイタく、心にあたたかい話。

こんなタイトルにしてよかったのだろうか。女がおかしいって、いちばんおかしいのはおまえだろう、と言われるむきもあろうし、本人もおかしい、という自覚もある。お許しを乞う次第だが、でも今の女たちはやっぱり、自分を含めてなにかおかしい。この本をお読みくださったあなたは、同意くださるのではないか、と思っている。 ――あとがきより

感想・レビュー・書評

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  • 『オニババ化する女たち』という著書が物議を醸した、三砂ちづるさんによるエッセイ。
    うーーーむ…。
    やっぱりモヤモヤとした気持ちが湧き上がってしまうなぁ。

    「いったいわたしたちはなにを得て、なにを失ったのだったか。」
    全体の空気感としては、「姑」(ご本人いわく「おせっかいおばさん」)による説教と昔話(昔は良かった、昔はちゃんとしてた、云々)、「嫁」(後世代の女たち)へのダメ出しといった感じか。実に保守的で懐古主義的。ありがたく聞く人あれば、さらっと聞き流す人もあるでしょう。私としては、興味深く読んだ箇所もあり、深く頷いた箇所もあり…、しかし多くは耳が痛くなるというか、聞かなかったことにさせてほしいというか、全速力で逃げ出したくなってしまった。ある意味、聞き流せずに反応してしまう自分が苦しい。

    「人間、それなりに年を取ってくると、時間をかけてつくり上げられてきた「形式」というものはそれなりに合理的な理由もあるのだ、ということがわかってくる。
    (…)
    形にこだわらず、自分たちで進行し、自分たちの言葉で行う、それはそれですてきな結婚式に出たことがあるが、花嫁は途中で感極まってしゃべれなくなってしまい、気の毒だった。花嫁はきれいにしてそこにすわっていればいい、というのはそれなりに理由があるわけだ。伝統がすべてよきものであるはずもないが、その中には、時間を経て形にされてきた忘れないほうがよいものもある。
    このように考えることを、「保守化する」と言う。まともな保守などいない日本の政治とは別の次元の話だ。
    人間、新しいものや、破壊や革命にはいつも憧れるけれど、人間というのは所詮だらしないものであるから、それらの「革新的発想」は長続きしない。飽きたり、自制心の足りなさのために内部から崩壊したりする。だからそんな革命的高揚に身をまかせるより、人間が長い間ずっと大切にしてきたことのほうに、真実があるだろう、という一歩引いた態度が「保守」なのだ。
    それでもあらゆる変革にはいまだに憧れてしまうし、人間はいつか理想郷をつくり上げられるのではないか、という幻想からものがれられないから、偉そうなことは言えないのであるが。」(p. 182〜p. 183)

    自分の言葉で伝えたいという花嫁の気持ちは決して制されるべきではないし、感極まって途中でしゃべれなくなってしまったとしても、それを気の毒と捉える老婆心もあれば、ただその姿に心を動かされる人もいるでしょう。「保守化」した、しないの話ではなくて、感性の問題ではないかと。
    形の話でいえば、「保守」か「変革」か、ではなく、変えられるところは変えつつも、しっかりのこすというような方法ではいけないのでしょうか? 様々な伝統文化・芸能も、その時代時代の新しいものを取り入れ、それまでの形をいわば少しずつ崩しながら守り、受け継いできたのではなかったのか?

    「うすうす、気づいていた。女たちが、なにか、おかしい、ということ。
    言いたくないけど、フェミニズムと某大手新聞社系週刊誌にあおられた「女の自己実現イデオロギー」と、家事と子育てと人の面倒を見ることへの忌避。
    (…)
    家族の安寧への祈りと献身、は死語である。確かに、女たちの「銃後の祈り」が数多の男たちを国のためにあの戦争で死なせた。その反省から、戦後民主主義のもと、女たちは祈ること自体を捨ててしまった。滅私奉公と家族への献身は同義であると理解し、「人が見えないところでわたしが支える」ことがあらためて機会費用を減少させる、と考えるようになった。
    悪いけどこういった態度がどれほど日本の男たちの足をひっぱってきたか、子どもたちをしんどくさせていった可能性があるか、もう、言うのも疲れるが、自戒をこめて言わねばならないのが、おせっかいおばさんの仕事かとも思う。
    女たちよ、愛する力をとり戻そう。愛と祈りは女の仕事だ。
    男は、わたしたちなしには幸せになれない。そして、わたしたちも男たちなしには幸せにはなれない。古今東西、ずっとそうだったし、これからもだいたい、そうである。
    「対」の幸せが、やっぱり幸せの基本である。いつかみんなひとりになる、だから、「対」を大切にしなくていい、というわけでは、決してないはずである。」(p. 210〜p. 212)

    「献身」…ですか。フツーに「助け合う」や「協力し合う」の方が健全だと思いますけど。
    個人的に、「とり戻す論」や「愛と祈りのイデオロギー」には胡散臭さしか感じません。何年か前に「ニッポンを、とり戻す!」とか言っていた政治家と、その周辺のボキャブラリーに妙にリンクしている感じがして気味がわるい。
    愛する力をとり戻すと言うけれど、そもそも現代の女たちは愛する力を失ったのでしょうか? 私のまわりの女性たちは、同年代でも年上でも年下でも、「対」の人もそうでない人も、仕事をしている人もそうでない人も、愛する力に溢れた人ばかりです。

    「対」の幸せ。それはもう、まったくもって大賛成です。みんな大切にしているし、したいと思っているはずです。ただ、「対」であることが「幸せ」なだけなら良いのです。だけど現実はそんなに美しいことばかりではないですよね。いろいろ妥協していることも多いだろうし、相性によっては「幸せ」よりも「悲しみ」や「苦しみ」のほうが大きくなってしまうこともある。「憎しみ」が生まれてしまうかもしれない。お別れするほうが確実にお互いのためになる、というようなケースは少なくない。
    そうした時、やはり経済的に自立していない女は不利です。
    現実問題として「愛と祈り」だけではどうにもならないし、他にも心がけておくこと、想定しておくこと、準備しておいたほうがいいことはたくさんある。「愛と祈り」とか、そういう一見美しげな呪文で女たちを無力化し、従属的な立場に縛り付けようとするのは、本当に本当にやめてほしい。「愛と祈り」は、裏を返せば「執着と呪い」になってしまうこともあるし、それこそ男と女、お互いの足をひっぱり、子どもたちをしんどくする可能性のある「呪縛」にもなり得ることを忘れてはならないと思います。


    女たちは、だれも、なにも、おかしくありません。
    みんな、それぞれの時代の風に吹かれながら、女として与えられた命を、自分の人生を、ただ一生懸命に生きているだけです。

  • 概ね面白く読みましたが、最近の奥さんは家事をしないというくだりは納得できませんでした。
    乳児のいる20代主婦です。
    本当に何もしない昔の男性より手伝ってくれる男性は増えたとは思いますが。
    周りをみても奥さんは家事をちゃんとしているし、男性も休日はともかく平日は基本的に何もしない人が多いと思います。どこ情報なんだろうと思いました。
    それ以外は、興味深く読ませていただきました。

  • 納得できるところもあったけど、多くは、あまり共感できなかった。書き方も、あまり好みではない。どうしてかな…

  • 特段変わったことを言っているわけではないけれど、心の奥深くに響いた。
    忘れかけていた大切なことを思い出させてもらった。
    とてもいい本だなと思ったら、出版社がミシマ社だった。
    やはりミシマ社好き。

  • 40代に足を踏み入れる今、実感と痛感をもって。
    祖母、母を始めとして年上の女たちから言い聞かされてきた言葉は忠告でもあり、呪縛でもあり。
    母たちの世代の理想を生きてるはずの私たち、なぜこんなに苦しいのだろうかという自問に、そっと方向性を示してもらった。

  • おおむね、仰ることごもっとも、と思う。

  • タイトルに惹かれて読んでみようと思ったら以前読んだ「オニババ化する女たち」を書かれた三砂(みさご)ちずる先生の最新刊だった。エッセイ集なんだけど、これまで自分では考えたことのない考え方に接することができてなんか驚いた。「見えているもの」や「働く人」の章は、けっこうカルチャーショック!そんな考え方があったんだって、勉強になったというのか、一皮向けたっです。

  • 読了。キューバの様子が書かれており、共産主義国で、唯一成功している国かなと思った。出産の話は、経験することができないので、いいなと思う。「とつきとうか」、子供をからだで育てるはどんな経験なのかなとうらやましく思う。出産はたぶん階段を一段上がるような急激な自分自信の成長を感じるのではと想像する。男は、結局、仕事をすることでしか成長できないのかなと考える。スーダンの割礼の話、酷いと思ったが、男女のなかが凄くいいとうのは、結局文化の違いなのかと考える。

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著者プロフィール

1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』(光文社新書)、『昔の女性はできていた』(宝島文庫)、『月の小屋』(毎日新聞出版)、『女が女になること』(藤原書店)、『女たちが、なにか、おかしい』(ミシマ社)、『死にゆく人のかたわらで』(幻冬舎)、『五感を育てるおむつなし育児』(主婦の友社)、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)、共著に『家で生まれて家で死ぬ』(ミツイパブリッシング)他多数。

「2018年 『少女のための性の話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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