うしろめたさの人類学

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  • ミシマ社 (2017年9月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784903908984

作品紹介・あらすじ

市場、国家、社会…

断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。



その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。

強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある!

「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。



京都大学総長・山極壽一氏推薦!





世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。

――「はじめに」より

みんなの感想まとめ

社会の複雑さや窮屈さに対する疑問を掘り下げ、新たな視点を提供する一冊です。著者は「構築人類学」という手法を用い、私たちの現実がどのように形成されているかを探求します。特に「うしろめたさ」という感情に焦...

感想・レビュー・書評

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  • 文体がすっきりしていて、詩集のような余白のある美しさ。著者によるエチオピア滞在記。
    そのなかで「うしろめたさ」について内省していくような仕立てでもある。だが、主観も多く、著者固有の体験から導き出されるオリジナルな言葉のため、必ずしも共感し納得できるものではない。それでも、こうした考え方があるのだという発見を、著者の視点を通じて得ていく。

    構築主義の立場から、本書は「現実」や「性質」と呼ばれているものが、最初から本質として存在するのではなく、社会的な作用や制度、言葉の働きのなかで形づくられてきたものだと捉える。ジェンダーや「男らしさ」の例のように、人の属性や感覚さえも社会的に構築される。「ストレス」という言葉が普及したことで、かつては漠然としていた不快感が一つの経験として定着したように、概念は私たちの感じ方そのものを編成し、「ずっとそこにあった現実」をつくりあげる。構築主義ともいえるし、相対主義ともいえそうだ。

    例えば、日本とエチオピアのどちらが「強力な国家」かという問いは、単純な統制の強さでは測れない。制度が生活の隅々まで内面化・身体化されはじめて感覚として馴染む。

    さらに、制度と個人の倫理の関係も問われる。貧困や病、格差といった不均衡に対し、国家が制度的に対応する必要はある。しかし制度が整うほど、「国がやるべきことだ」という発想が強まり、個人が責任や感情を引き受ける余地が縮小する危うさも生まれる。そこで重要になるのが、自らのなかにある「うしろめたさ」への自覚だという。

    たまに海外に行くと、子供たちや貧しい大人が施しを乞うような場面に遭遇する。小金でも良いから渡してしまえばよい。だが、そこに我々はあれこれと理由をつけ正当化してお金を上げるようなことはせず、少しだけ「うしろめたさ」を感じるのだ。

    でも、これは何か著者がいうような理屈があるものではない。単に、そのような国で財布を広げるのが嫌なのだ。お金を渡した後にそれでは足りないだとか、私にも欲しいだとか、もしかすると目をつけられて後を追われたり、ということが怖いのだ。「うしろめたさ」は、私には持つ者としての自信、つまり「傲慢さ」がどこかに潜む言葉なのかもしれない。

  • 実は、いい本だったかもしれない。
    どこが好きかというと、
    自身の高説を上からぶつのではなく、
    人類学を知らない読者の遅い歩みに
    合わせて論を進めてくれている感じが。
    (結局、私はおいていかれたけど笑)

    学生時代の日記を必ず挿入して、
    学生時代の著者を読者の歩く速度に
    想定した構成がよかったです。

    授業の現場は市場ではなく贈与と考えて臨むという
    著者の熱を感じる授業を受けてみたい。
    熱がまだ残っていることを祈ってます。

  • 著者が「まだ賛同者はいないけど…」と謙遜しながらもその思想に基づいて書かれた『構築人類学』の本。と書くと何だか難しそうだけど、文章は読みやすく、そこでの著者の思考は誰でもが共感を抱くものだろうと思う。
    章末ごとに、初めてエチオピアを訪れた大学生の頃の思い出が挿入されているのもとても良い。

    小難しい屁理屈や理論は横に置いておいて
    第4章 国家
    第5章 市場
    第6章 援助
    で語られる著者の視点は、読む者に共感を呼び起こし現在の世界を観る新しい視線を与えてくれる。
    そして、その『共感』こそが重要なのである。
    『うしろめたさのの人類学』と題されたのは、人間が普遍的に抱く《うしろめたさ》=普段は様々な言い訳をして無かったが如く扱っているその感情。

    著者が望むのは《『公平』な世界》である。
    最終章では、そこに至る道を論理や理想で済まさずに、「私」や「あなた」にも出来る形で提唱する。

    公平は自由・平等・博愛や平和のように世界を一つにするような壮大な意図ではないかも知れない。
    しかしながら、大上段に振りかぶらず「もっと公平な世の中を」と呟くような気持ちはとても身近で、目の前にいつも転がっている。

    こんな世の中もうどうにもならないよ…と考えてしまう自分のような人間には、清々しい世直しに感じた。
    サッと読める本なので是非とも一読を!

  •  自分が生きている社会について考えようとすると、おそらく、若い人が学校とか、ちょっとした専門書とかで学ぶ「世界」というのは何とか主義とか、何とかシステムとか、読んでいる自分を「世界」から遠ざけていく言葉や概念が溢れていて、実感というか、自分がその世界の一員であることが、限りなく記号化するのが、今風な気がするのですが、松村さんは、おそらく、そこを突破するために「うしろめたくない?」と問いかけているんじゃないかと思いました。
     「おっ、エチオピアか」という、まあ、観光気分という感じで読みながら、松村圭一郎という愚直な文化人類学者の本を、もう少し読んでみようという気になったのは、そのあたりの「工夫(?)」が、すくなくとも、若くないぼくには功を奏したわけです。
     ほんと、こういう生真面目さ、ぼくは好きですね。ブログでも紹介しました。よろしければどうぞ。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202112270000/

  • 1747夜『うしろめたさの人類学』松村圭一郎|松岡正剛の千夜千冊
    https://1000ya.isis.ne.jp/1747.html

    資料紹介 うしろめたさの人類学 - アジア経済研究所(JETRO)
    https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2018_09.html

    みえないもの | みんなのミシマガジン
    https://www.mishimaga.com/books/chiisakimono/002132.html

    松村圭一郎先生に訊く「先生、文化人類学ってなんですか?」(前編) | みんなのミシマガジン
    https://www.mishimaga.com/books/oshietekudasai/002176.html

    株式会社ミシマ社 | うしろめたさの人類学 | 原点回帰の出版社、おもしろ、楽しく!
    https://mishimasha.com/books/ushirometasa.html

  • 『はみだしの人類学』が良かった松村さん、本書はエチオピア滞在の経験を絡めて、市場・国家・社会=交換・贈与・再分配についてが語られる。
    構築人類学は、元来存在するのではなく構築されたものを批判するだけではなく、構築し直すこともできるはず、ではどうしたら、という試行錯誤が感じられる。
    面白いけどちょっとふんわりしてるな、という印象だったが、帰結部分でははっきりとした主張になっていて、一冊を通して思考が深められていったのだろうと思う。
    その道を追いかけることで、私もただ結論を聞くよりも、自分の内側で言葉を感じられたのが良かった。
    下記引用が特に胸に残った。

    「まず、知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの「うしろめたさ」を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる「うしろめたさ」という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。そこに、ある種の倫理性が宿る。」
    「労働が社会への贈与(会社への贈与ではない)にもなりうる」
    「誰になにを贈るために働いているのか。まずはそれを意識することから始める。「贈り先」が意識できない仕事であれば、たぶん立ち止まったほうがいい。」

  • 途上国、新興国を訪れた時に
    きれいだ汚いだとか、便利だ不便だとか、以外の
    もやもやとした感情を持ち帰ったことがある人のために
    「あのときのもやもや」を解説してくれる一冊。

    12歳。家族と一緒に行ったフィリピン。
    街を歩いていたら、路上で生活する同じくらいの歳の女の子が、私に「money, money」と言ってきた。
    おなじくらいの歳、おなじ女の子。その子と私。
    これってなんなんだろう。

    18歳。初めて自分で飛行機のチケットを買って訪れたインド。
    日本の小学生が集めてくれた鉛筆の寄付を、コルカタ郊外の農村の小学校で配った。
    鉛筆を渡した時、喜んでくれると思ったら、目の前の子はぽかーんとした表情。
    急に外国人が現れて、鉛筆を渡してきた。
    「自分は持っていない側の人間で、この外国人は持っている側の人間なのかな」
    そう思わせてしまっただろうか。
    これってなんなんだろう。

    21歳。知り合いの紹介で行き着いた、カンボジアの水上村。
    そこで暮らす人々は経済的には貧しいけれど、一緒に過ごすととても幸せそうで。
    なんだ。お金って関係ないのかな。
    外の人間が良かれと思って何かを与えることは、彼らの今ある幸せを壊してしまうのかな。
    しかし帰国2週間後。その村に住む14歳の女の子が、生活に困窮して自殺をしたと聞いた。
    これってなんなんだろう。

    エチオピアでの実体験から社会を読み解く作者の言葉に
    自分の実体験、「あのときのもやもや」が思い出された。
    丁寧に解説をしてもらえたことで、「あぁそういうことだったのか」とやっと自分の気持ちが理解できて、漠然とした罪悪感から救ってくれた1冊。

    感染症の影響で、社会のあり方が見直されている今だからこそ学ぶことがある1冊でもあると思います。
    出会えて良かったです。本当にありがとうございます。

  • 日本の社会とエチオピアの社会との「ズレ」から世界の仕組みを読み解いていく。

    エチオピアではとにかく毎日感情が揺さぶられるほど物事がうまくいかないらしい。しかしその大変さは人間が生きるために必要なことなのかもしれない。
    日本はとにかく便利すぎる。何でもかんでも至れり尽くせりの社会だ。この快適さが逆に感情を揺さぶる機会を減らし、表情を失った人が多い原因なのかもしれないと、この本を読んで感じた。

  • エチオピアの農村での生活から、私たちが当たり前に内在化している市場、国家、社会への深い洞察がすごく面白い。

    貧困や不平等にバランスを取り戻す鍵となるのが、うしろめたさ。

    日本では、「自分が稼いだ分は自分のもの」と思って、貧困や不均衡に無感覚であることが正当化されてしまっているんだと、うしろめたく感じる。

    自分の当たり前の境界をずらして、バランスを取り戻す一歩にしたい。

  • マルセルモースの贈与論から始まり、堅い話を柔らかく解説していくのかと思っていたが、予想より抽象的な内容だった。

    「税金を払っているのだから、あとは国がなんとかすべきだ、となる。政治に口を出したければ政治家になれ、と言われる。その閉塞した論理が、ぼくら一人ひとりに公平さを取り戻す責任や能力があることを覆い隠す。 「自分には関係ない」。そんな無関心が、ぼくらのバランス感覚を麻痺させる。」

    「わたし」という個人の行動が社会を少しずつ変えていくと書かれていたが、日本とエチオピアを対比しながら話が進む中で、少々日本の仕組みが悪いように書かれている印象を受け、結果「わたし」ではなく社会や国に注目が行ってしまうように感じた。

  • P.17
    構築主義には、視点を転換する力がある。でも、その核心は「批判」そのものにはない。もっと別のところに可能性があるのではないか。
    いまここにある現象やモノがなにかに構築されている。だとしたら、ぼくらはそれをもう一度、いまとは違う別の姿につくりかえることができる。そこに希望が芽生える。その希望が「構築人類学」の鍵となる。
    いまの世の中にどこか息苦しさを感じたり、違和感を覚えたりしている人にとって、最初から身の回りのことがすべて本質的にこうだと決まっていたら、どうすることもできない。でもそれが構築されているのであれば、また構築しなおすことが可能だ。
    これまでの「構築されている(だからそんなものに正当性はない!)」という批判から、「どこをどうやったら構築しなおせるのか?」という問いへの転換。それがこの本の目指す「構築人類学」の地平だ。

    P.60
    「笑う犬」という表現に「おかしさ」があるのは、ふつう犬が人間のように顔全体の筋肉を使って「笑い」を表現できないからだ。それはまさに「身体的」に制約されている。
    霊長類学者の山極壽一さんによると、ゴリラなど人間に近い霊長類でも、ほとんど白目がない。これは相手に感情を読みとられないようにするためだ。人間は進化の過程で、あえて白目の部分を大きくし、瞳の動きを相手にさらすことを選んだ。そうして互いに感情を示しあい、共感が生じる可能性を身体的に保証することで、社会的な存在となってきた。

    P.76
    男女が恋愛関係になったとき、最初に「呼び名」を変えることは、今後ふたりが親密になるための大切なきっかけになる。ふたりの仲が深まったから呼び名が変わるのではない。呼び名を変えることで、これから別の深い関係に切り替わることを確認しあっているのだ。
    相手との関係がどういう性質なのか。ぼくらは日々、互いに微妙な調整をしあいながら、その距離を感じとり、行為している。そして、こうした行為の繰り返しが、人と人との「関係」というひとつの現実をつくりだしている。(略)
    「親友」や「恋人」、「家族」といったカテゴリーは、その一時的な「かたち」にあとから説明を加えるために持ち出されているにすぎない。だから、「関係」はもろいし、移ろいやすい。でもだからこそ、「関係」は互いの行為によって変えることができる。

    P.104
    日本では、子どもが生まれると名前をきめて国に届け出ることがあたりまえになっている。エチオピアには、その仕組みがない。税金を徴収するための世帯主や事業主の登録は進んできたが、国は国民全員の出生や死亡の情報をほとんど把握していない。
    当然ながら、親はすぐに子どもに名前をつける必要もない。両親や祖父母は、生まれた子どものことを、それぞれ好き勝手な名前で呼ぶこともある。(略)
    さらに地域によっては、成人ないし結婚した男女に、生まれたときの「幼名」とは別の名前がつけられる。(略)
    「名前」は、その人のアイデンティティーとイコールではない。むしろ、社会的な関係や状況に応じて呼び方が変わったり、同時に複数が併用されたりする。相手を度の名前で呼ぶかによって、その人との関係が示される。(略)
    一方、ぼくらは、幼いころからひとつの固定した名前を前提に育ってきた。テストの答案用紙や自分の持ち物、いろんな書類などに、出生後に親が国に届けたひとつの名前をくり返し記入してきた。複数の名前を使いわけるなんて、思いも寄らない。(略)
    日本とエチオピア、はたしてどちらの国家のほうが「強力」なのだろうか。
    エチオピアと日本の国のあり方にみえるねじれ。国家の「支配」とか、「権力」というと、とかく表向きの統制の強さだけが想起される。けれど、それは内面化/身体化の度合いと深く関わっている。その制度があたりまえであればあるほど、国家が関与する密度は増す。
    だから日本人が、エチオピア人よりも国家から自由であるとはいえない。戸籍にしても、他のいろんな制度にしても、日本人のほうがはるかに国家の存在を欠かすことのできない前提として生きている。

    P.142
    エチオピアには先進国などから提供される開発援助は、年間三九億ドルに達する(2013年)。これはエチオピアの国家予算を超える額だ。長年、エチオピアに通っていると、政府や国連が出す緊急援助のアピールは、毎年の恒例行事のような感覚すらある。(略)
    そして、この世界の食糧援助の大半をアメリカ一国で拠出している。さすが世界の超大国、太っ腹…というわけでもない。
    アメリカには、国内農業を保護するための農産物の価格維持政策がある。豊作で市場価格が低迷すれば、政府が買いとって価格を支える。買いとり量が増えれば、それだけ備蓄コストが高まる。かといって、それを市場に流せば、また価格が下落してしまう。
    そこで「食糧援助」が使われるのだ。(略)
    かならずしも貧困があるから、食糧援助がなされているわけではない。それは、食糧不足の有無にかかわらず、穀物価格が高騰すれば、アメリカの援助拠出量が減ることからもわかる。
    P.147
    ところが残念なことに、エチオピアの多くの農民は英語を読めない。田舎で聞いてみたら、星条旗がアメリカの国旗であることすら知らなかった。みんなエチオピア政府が食糧を配っていると考えているようだった。(略)
    アメリカ国民の善意から寄贈されたことになっている食糧が、現地では誰がどんな意図で配っているのか、まったくわからず、まるで違った扱いを受ける。相手のことをあまり考えずに一方的に贈られた援助穀物は、ちゃんと贈り物としては届いていないのだ。

    P.153
    これまで人類学は、西洋近代の国民国家や市場経済といった巨大な力を批判してきた。でも、「わたし」という存在から切り離された力を批判するだけの時代は終わりつつある。「わたし」が行為している、その同じ地平で国家や市場といった「世界」が同時に生成している。「世界」は、「社会」を越えた先にあるのではなく、そのすぐ横にある。

    P.182
    実際はほとんど届いていないかもしれないし、贈ったつもりのないものが届いているかもしれない。教員の側には、つねに「届きがたさ」だけが残る。教育とは、この届きがたさに向かって、なお贈り物を贈り続ける行為なのだと思う。大学という学びの場を市場の論理からずらす。それがスキマづくりのためのささやかな抵抗だ。
    たぶん、世界を根底から変えることはできない。まったくあたらしい手段をみつけて、すべてをつくりかえることはできない。おそらくそれはより良い方向に近づく道でもない。
    ぼくらにできるのは「あたりまえ」の世界を成り立たせている境界線をずらし、いまある手段のあらたな組み合わせを試し、隠れたつながりに光をあてること。
    それで、少なくとも世界の観方を変えることはできる。「わたし」が活きる現実を変える一歩になる。その一歩が、また他の誰かが一歩を踏み出す「うしろめたさ」を呼び寄せるかもしれない。その可能性に賭けて、そろりと境界の外に足を出す。それが「わたし」にできることだ。

  • 時々参加させてもらっている榎本英剛さんの勉強会で、松村圭一郎さんの本が紹介され読んでみた一冊。松村さんとはどういう人なのか?なぜ社会や哲学を学ぶと文化人類学という分野が浮上してくるのか?という問いを持って読了後に本を概観してみた。

    まず松村さんという方は「構築人類学」という分野を立ち上げている。その中身は本書を読んでいただければと思うが、松村さんは市場や国家に頼るのではなく、私たち自身の構築力に目を向けよと熱く説く。そのために既存の枠組みからいかに「はみ出せるか」が重要であり、そのために「うしろめたさ」の感覚に鋭敏になろうという視点はとても新鮮だった。

    「うしろめたさ」はネガティブな感覚ではなく、自身が恵まれている(贈与を受け取っている)からこそ生まれるサイン。受け取った贈与を次の人にペイフォワードする機会を教えてくれる。だからこそ「うしろめたさ」が起動しやすい状態を作っていこうという論はとても面白い。
    同時に贈与は相手にめんどくさい関係性をもたらすのでとても難しい行為。それもとてもよくわかる。特に日本人は贈与が苦手。(昔は普通だったはずなのに・・・)

    そして、この本を読んで、マルセル・モースやレヴィ=ストロースといった偉大な学者も人類学者だし、そもそも文化人類学という分野がなぜ必要なのかということも何となくわかった気がする。人類学は、前時代の未開の地や発展途上の国を知ることによって、現在の社会(例えば資本主義社会とする)と過去の社会との「ズレ」に気づくことによって、その文化から学びつつ、既存社会をアウフヘーベン的に変えていくことを目指す学問とも言えるのだと思う。つまり社会や文化のリトリートとしての人類学なのだろう。

    総じて読みやすく面白い一冊でした。次は、松村さんの「くらしのアナキズム」も読んでみよう。最後にミシマ社はとても良質な本を出しているなぁと実感。ミシマ社の積読が増えてます。

  • 世界は、社会は、ちょっとした後ろめたさからの行動で変わっていくんでないか

    世界、市場、自分とをつなげて考えられる視点をくれる

    易しい言葉で、でも想像力を必要とするし
    自分に落とし込むのはまだ時間が
    かかりそう

    決められた枠組みの中で、どうしようもないと嘆くのでなくて
    自分のできることをしていく

    エチオピアとの比較で、
    日本がとても枠に押し込まれて、大切なものを見失ってる気がした

  • 日々の生活の中で後ろめたいなーと思うことはたくさんある。
    重層的にしきつめられたルールの中で生きているから、そこを逸脱して誰かに声をかけたり手助けをしたりするのは、はばかられる。
    もしかしたら余計なお世話になるかもしれない。
    最初に感じる「うしろめたさ」から世の中をとらえなす試みは面白いと思う。

    ただ自分はどちらかというと、うしろめたくて助けたくもない人を助けてしまって自分の首をしめるタイプ。

    生きていく上でどごに重きをおくか、難しいなと思う。

  • 内容自体は知見に溢れて面白いものの、タイトルから自分が求めていたものとは違ったという点で、少し期待外れ。筆者の言う「うしろめたさ」って、もちろん社会の歪みを埋めるために必要なものではあるけれど、実際の生産社会においてはそれを搾取されることの方が多いのではないかと思うので、これに関する言及がなかったのが心残り。例えば「他の社員が残っているから残業しなきゃ」「部下が困っているから何を犠牲にしてでも解決に動かなきゃ」と思わせられる環境において、筆者の言う「うしろめたさ」は他の誰かの思う壺に人を導く道具になっているし、そう思う本人にとってはただ辛いものにしかならないのではないか。「うしろめたさ」は今自分の生きる世界において、そんなふうに利用目的がはっきりしたものとして写ることが多いので、ただ慈善的な動きを促すものとして描く姿勢には違和感があった。

  • 前提として当事者意識を持って自分を変えれば社会、世界を再構築できる。で、理想的な社会を再構築するには「うしろめたさ」が作り出す国境や格差を超えた「人と人とのつながり」が重要になってくるというような話だった。

    そもそも人類学がどういうものか知らなかったので、それが知れてよかった。

    そこまで世界のこととか歴史とか全然知らないから、とても主観的な話になってしまうけど。
    国間間の格差や国内の貧困差については、「かわいそう」などの感情的な話ではなく、もっとその人たちの気持ちになって、どんな事を考えているのか?なんでそうなったのか?などを論理的に考えることが差分を無くすことだと思っていて、なぜならば感情はその一瞬だけで持続性がないし感情はコロコロ変わるし信用ならなくて、知的作業は変化ないと思ってた。ので、新しい考え方だった。

    でも、わたしが本当の意味で貧困というのを知らないだけなのかもしれない。現実は思ったより残酷で複雑だから、そういう風な考え方になるのかもしれないなって思った。

    あとあと、この本を読んだ以外にもいろいろなことから、結局論理って感覚的に選んだことを自分で納得感持つためだけのツールだなって思いつつある(私生活においては)。実は最初からなんとなく答えが出てて、それを頑張って正当化してるだけなのかもねーってね

    また、資本主義的な思想だったので市場主義だったけど贈与もいいところがあって、今の世の中が贈与を軽視しすぎているということも感じた。会社で働くこともお金だけでなく、もっと他に目的があるし、それをより多くの企業や働く人が理解すればもっとみんな生きやすくなるかもねって

    あと、アメリカの物資支援が実は国内の農産物の価格維持政策だったとは…全然知らなくて勉強になった!世界には自分の知らないことが本当に多くあるんだなって思いました。

    あととかまたとかいっぱいで雑記な文章になってしまった。。。とほほ

  • 生きづらい。世の中が窮屈だ。その原因は国の政策のせいであり、市場のシステムのせいである。私たちを支配する巨大なシステムと私たちの暮らしには大きな隔たりがあり、そうしたシステムが変わらない限り私たちにはどうすることもできない。

    ・・・本当にそうですか?という問いかけをしているのが、本書だ。

    「社会」と聞くと、まるで自分たちの手の届かない大きな存在のように思えるけど、本当は人やモノや言葉が行き来する「関係性」のことだと言う。つまり、私とあなたという二人が入ればそこに「社会」は生まれ得る。
    市場も、国家も、世界も、結局はその関係性の延長であり、すべては連結しあっている。「国家権力」や「市場原理」という言葉に惑わされているだけで、本当はそれぞれ依存し合っていて、その依存の輪の中に「わたし」もいるのだ。まずはそれを読者に理解してもらうことに本書の大半は割かれている。

    私たちが目指すべき「よりよい世界」を規定するとしたらどんな世界か?それはきっと、ひとりひとりの努力が適切に評価され、結果が出ずとも穏やかに暮らせ、誰もが好きなことに没頭できる世界。つまりは「公平=フェア」な世界だろう、と著者は言う。

    つまりはアンフェアを改善しバランスを取り戻すことが求められているわけであり、そこには国の政策を根底からひっくり返すような革命的な手法が必ずしも求められているわけではないのである。

    では私たちにできることは何なのか?その鍵がタイトルにもなっている「うしろめたさ」だ。
    電車で自分が座っているのに対しお年寄りが立っている時。知人から身に余る贈り物をもらってしまった時。被災地のつらい生活をTVで見た時。
    そうした自分と他者との間に格差を感じた時、人は「うしろめたさ」を覚える。それは「公平さへの欲求」と言うこともできる。

    けれど私たちはそうした「うしろめたさ」を、いろいろな理由をつけてなかったことにしがちなわけで。しょうがないよね。どうしようもないし。自分には関係ないし。国の問題だよね。
    例えば、Youtubeで違法アップロード動画を観る人は、小さなうしろめたさをどこかでなかったことにしてないだろうか。

    そうやって自分を正当化することに、まず自覚的にならなければいけない。そして「うしろめたさ(=公平さへの欲求)」に素直に従うこと。例えばそれが震災なら、ボランティアをする。義援金をおくる。他にもいろいろあるだろう。

    そうしたことが「わたしとあなた」という小さな社会をフェアにし、市場をフェアにし、国家をフェアにし、世界をフェアにしていく。僕らにできる「生きづらさ」を変える最大のアクションなのだ。

  • 手軽に手に取れるサイズだけど、フィールドワークという地に足のついた手法でだけど、そして素朴な語り口だけど、何だか随分と野心的な思索をめぐらせ、読者に新たな視界を与えんとする一冊。

    いまの世の中に何らかの閉塞感や違和感を日々感じている人は多いと思われる。しかし、その立ち向かうべき"社会"や"国家"とやらは非常に巨大で確固たるもののようで、この違和感を我々はどう解消すればよいのか分からない。
    そこに著者は「構築主義」の考え方---すなわち、「何事も最初から本質的な性質を備えているわけではなく、さまざまな作用のなかでそう構築されてきた」ものとして物事をとらえ直す視点を持ち込む。
    社会や国家すら、色々な経緯のなかで構築されてきたものにすぎず、必ずこうでなければならないという訳ではない。つまり「再構築」することが出来るはずのものだと捉える。

    ならば、いま我々のうえに伸し掛かる社会や国家は、いかに構築され、いかに再構築しうるのか?

    その手掛かりを、モースの『贈与論』を下敷きにしたうえで、日本とはまっっっっったく異なる社会・生活を送るエチオピアでのフィールドワークで得た知見を通して、見出していこうとする一冊である。

    ここまで書くと何だかとても大それた書物のようだ。
    だけど、実際は、エチオピアでの生活に基づいた、手触り感のあるとても読みやすい文章であり、生活に基づいているからこそ馴染みやすい考察である。
    「経済」「感情」「関係」「国家」「市場」「援助」「公平」という7つの切り口で、日本の社会における人間関係が単に構築されたもので絶対的なものでないことを示しつつ、本来人と人との関係で構築されたものである経済や国家等の諸制度が、資本主義的効率のためにいかに感情を排するような仕組みとして出来上がっているかが平明に説かれており、非常に興味深い。

    これらの社会制度は人が作り上げ、そして人々の生活を規定するが、しかし人々が必ずしもその制度のとおり動くものではない。
    このズレの中に、我々が社会の再構築に関わっていく余地があるのではないかと著者は見る。
    そして、そのキーとなるのが、人と人との共感であり、恵まれているものが感じている「うしろめたさ」から目をそらさず、社会が封殺してきた感情に根差した関係性を大切にすることにあると主張する。

    非常に刺激的な論考であるが、すっかり腑に落ちたわけではない。
    この素朴な、手の届く範囲での行動が、本書冒頭の問いに果たして応えきれているのか。
    著者の論理は十全だったのか。
    読みやすいゆえに、なるほどなるほどと最後までするっと読んでしまったが、もう一度ゆっくり、各章の論理展開を追いかけながら、自分の中に落とし込んでいきたい。
    そう思わせる、実りある一冊であった。

  • 日本(特に都心部)ではシステム化され徹底的に排除されている傾向にある"わずらわしさ"。しかし人と人の関わりをなくしていき、限りなくノンストレスな社会にしていった結果、今多くの人が孤独を抱え、社会に疑問を持っている。
    過去に立ち返れという話ではないが、どうやって人間的触れ合い、人間的コミュニケーションをこの社会の中で増やしていくかということと受け取った。
    そしてそれは制度の問題ではなく、私たち一人一人の日々の行動で変えられるのだというのが希望だと思う。

  • うしろめたさやエチオピアに関する話はとても興味深いが、男女二元論の異性愛前提で語られるのはしんどい

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著者プロフィール

1975 年、熊本市生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。所有と分配、市場と国家の関係などについて研究。著書に『うしろめたさの人類学』『くらしのアナキズム』『小さき者たちの』(いずれもミシマ社)、『旋回する人類学』(講談社)、『これからの大学』(春秋社)など。

「2024年 『人類学者のレンズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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