うしろめたさの人類学

著者 : 松村圭一郎
  • ミシマ社 (2017年9月16日発売)
3.86
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  • レビュー :15
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908984

作品紹介・あらすじ

市場、国家、社会…
断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。

その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。
強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある!
「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。

京都大学総長・山極壽一氏推薦!


世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。
――「はじめに」より

うしろめたさの人類学の感想・レビュー・書評

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  • 題名から想像した内容と違っていて、読む気力がぐんと下がった本。
    とは言え、読みきれないほどじゃなく無事読了。
    でも内容を人に伝えられるほど、理解出来なかった。あまり、じっくり読めなかった。申し訳ない。

  • 「ぼくら一人ひとりに公平さを取り戻す責任と能力がある」けれども、それはさまざまなフィルターによって覆い隠され、忘却ないし無視されがちである。
    現在の社会の形は、今ある概念により構築されているものであるため、反対に新たな価値観や概念を生み出すことによって新たな社会を作り出してゆくことも可能である。
    そのための取っ掛かりとして、まず自分が不公平や不均衡に際して感じるうしろめたさに対して敏感になること。
    うしろめたさを素直に受け止め、誠実にアクションを起こすことによって、不公平や不均衡の中に繋がりが生まれ、その繋がりの積み重ねにより新たな社会が構築されうる
    ....ということなのかな。

    まず前提として、この世界には違いや多様性はあるもののそこに本質的な優劣はなく、「うしろめたさ」という感情として今表現される感情も実際のところは差異への気づきや驚きであり、それを自分の驕り高ぶりであり汚い部分だとしてごまかしたり無視しなくても良いんだっていう考えを常に思い浮かべとかないと、「うしろめたさ」という言葉がなんだかしっくり来なかった。
    ただ、それも現時点で自分が属している社会における優劣の価値観に毒されすぎているからだろうけれど。

    最後に、受け取る側の「負い目」についても少し触れられていたけど、できればそちらの視点からの「負い目の人類学」についても読んでみたい。

  • 文化人類学者である著者により、これまで国家・市場・社会という概念に構築されてきた境界線を越境(再構築)し、公平な社会をつくる試みとして「構築人類学」というアプローチが検討されている。

    不均衡を覆い隠しているままでは、どんなに物理的に近くても「私たち」と「彼ら」は異なる世界に存在している。
    どうしようもない格差を目にしたとき、「持つ者」に生じる「うしろめたさ」が倫理的な行動を誘発し、「持たざる者」との間につながりができる。そのつながりが共感の輪となり、社会をつくりだす。

    ……この言説に触れたとき、改めて社会は変えるものではなく創るものなのかもしれないと感じた。つながりのないところにそもそも社会はなく、人と人との感情がつながりあったとき初めて、社会が創られるように思う。

    各章の文末に、著者が大学生の頃に長期フィールドワークで訪れたエチオピアでの日記が掲載されている。本文との関連をあまり意識しないまま読み進めてしまい、いま少し後悔している。著者が本書で結論に至るまでに拾ったヒントが、その日記には隠れているのかもしれない。

  • 私たちが生きる世界のシステムは、どのように成立しているのか?
    私たちは互いに影響を与え合いながら生きている。文化人類学は、他者の傍らに立ち、その姿を見つめ、その人の目から見る世界の姿を想像する学問だ。
    私たちの思う「ふつう」の人、「ふつう」の世界は、異質な他者を孤立させることで維持されているのではないか。

    私たちは今生きる現実を構築する作業に、どのように手を貸しているのだろう?
     コミュニケーション

    構築主義 視点を転換する力
         構築人類学

    自分が生きる社会への無責任で無関心な態度が、私たちのバランス感覚を崩させる。

    感情って、そんなにたくさんの種類があるのかな?
    全ての感情の根源には、自分が生きていることだけ見つめるとき、自分の存在だけをただ見つめているときに、湧き上がるエネルギーがあるように思える。そのエネルギーは、状況によってさまざまな形になる。そのさまざまな形に固有の名前を付けることで、いろんな感情があるように感じているだけじゃないのかな。
    ああでも、そのエネルギーが失われる事に対する「恐怖」という感情は独立してあるのかも。

    イアン・ハッキング
    マルセル・モース 『贈与論』
    ピエール・ブルデュ
    メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』
    アーヴィング・ゴッフマン
    マルクス『資本論』
    ピエール・クラストル
    ダグラス・ラミス
    フェルナン・ブローデル
    イゴール・コピトフ
    中村元
    ニーチェ 『道徳の系譜』
    松嶋健

  • うしろめたさから目をそむけないこと

  • 生きたくても生きることが出来ない人、学びたくても学べない人などに出会った時、強く「うしろめたさ」を感じる。先進国は国家や市場を介在することで、そうした「うしらめたさ」を覆い隠し、その結果格差が広がっていく。僕が直面する「うしろめたさ」に対し、どんな「贈与」ができるだろうか。どんな「つながり」を生み出せるだろうか。

  • 18/01/27。

  • 2017.12.20 読了
    冒頭の病を持つ方や、繰り返しでてくる物乞いの描写にどきっとした。
    「知識」として、そういった方がいることはわかっていても、同じように生活していることからは目を背けてきたし、社会構造として見えないようにされてきた。
    普段は見ないようにしてきたせいで、突然目の前に現れると、どういった行動をすべきなのか、自分はどう対応したいのか、わからなくなるときがある。
    それが私の中のうしろめたさで、つながりを構築できる手掛かりなのかなと思った。
    劇的な救いにはならなくても、そのつながりによって生きていけることもあるんだと知った。

  • 世の中どこかおかしい。息苦しい。生きづらい。
    そんなふうに感じる人は多いのに、でも、それを変えられずに、国家や市場といった巨大なシステムを前に立ち尽くしている。

    社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされている。
    個人や企業は市場で稼ぎ、国は税金をとって再分配を行なう。世の中はそうして回っているのだと。
    だから自分には直接関係ない、何もできない、と考えてしまう。

    知らず知らずに色々な理由をつけて不均衡を正当化していないか?
    ぼくらの中にわきあがる「うしろめたさ」の感情をエネルギーにしたい。
    ぼくらの中には、公平さへの欲求が眠っている。

    最貧国・エチオピアと日本を行き来する文化人類学者の著者の手によって、目を開かれる。
    市場(商品交換)、社会(贈与)、国家(再分配)の境界は、ぼくらひとりひとりの手で引き直せる。きっと。

    説明に「バレンタインデーのチョコレート」がたくさん登場したけれど、いまの時期なら「クリスマスプレゼント」だろうな。

    A very Merry Xmas
    And a happy New Year
    Let’s hope it’s a good one
    Without any fear...

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