うしろめたさの人類学

著者 :
  • ミシマ社
3.82
  • (65)
  • (111)
  • (62)
  • (15)
  • (7)
本棚登録 : 1992
感想 : 136
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908984

作品紹介・あらすじ

市場、国家、社会…
断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。

その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。
強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある!
「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。

京都大学総長・山極壽一氏推薦!


世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。
――「はじめに」より

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  自分が生きている社会について考えようとすると、おそらく、若い人が学校とか、ちょっとした専門書とかで学ぶ「世界」というのは何とか主義とか、何とかシステムとか、読んでいる自分を「世界」から遠ざけていく言葉や概念が溢れていて、実感というか、自分がその世界の一員であることが、限りなく記号化するのが、今風な気がするのですが、松村さんは、おそらく、そこを突破するために「うしろめたくない?」と問いかけているんじゃないかと思いました。
     「おっ、エチオピアか」という、まあ、観光気分という感じで読みながら、松村圭一郎という愚直な文化人類学者の本を、もう少し読んでみようという気になったのは、そのあたりの「工夫(?)」が、すくなくとも、若くないぼくには功を奏したわけです。
     ほんと、こういう生真面目さ、ぼくは好きですね。ブログでも紹介しました。よろしければどうぞ。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202112270000/

  • 1747夜『うしろめたさの人類学』松村圭一郎|松岡正剛の千夜千冊
    https://1000ya.isis.ne.jp/1747.html

    資料紹介 うしろめたさの人類学 - アジア経済研究所(JETRO)
    https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2018_09.html

    みえないもの | みんなのミシマガジン
    https://www.mishimaga.com/books/chiisakimono/002132.html

    松村圭一郎先生に訊く「先生、文化人類学ってなんですか?」(前編) | みんなのミシマガジン
    https://www.mishimaga.com/books/oshietekudasai/002176.html

    株式会社ミシマ社 | うしろめたさの人類学 | 原点回帰の出版社、おもしろ、楽しく!
    https://mishimasha.com/books/ushirometasa.html

  • 日本の社会とエチオピアの社会との「ズレ」から世界の仕組みを読み解いていく。

    エチオピアではとにかく毎日感情が揺さぶられるほど物事がうまくいかないらしい。しかしその大変さは人間が生きるために必要なことなのかもしれない。
    日本はとにかく便利すぎる。何でもかんでも至れり尽くせりの社会だ。この快適さが逆に感情を揺さぶる機会を減らし、表情を失った人が多い原因なのかもしれないと、この本を読んで感じた。

  • 途上国、新興国を訪れた時に
    きれいだ汚いだとか、便利だ不便だとか、以外の
    もやもやとした感情を持ち帰ったことがある人のために
    「あのときのもやもや」を解説してくれる一冊。

    12歳。家族と一緒に行ったフィリピン。
    街を歩いていたら、路上で生活する同じくらいの歳の女の子が、私に「money, money」と言ってきた。
    おなじくらいの歳、おなじ女の子。その子と私。
    これってなんなんだろう。

    18歳。初めて自分で飛行機のチケットを買って訪れたインド。
    日本の小学生が集めてくれた鉛筆の寄付を、コルカタ郊外の農村の小学校で配った。
    鉛筆を渡した時、喜んでくれると思ったら、目の前の子はぽかーんとした表情。
    急に外国人が現れて、鉛筆を渡してきた。
    「自分は持っていない側の人間で、この外国人は持っている側の人間なのかな」
    そう思わせてしまっただろうか。
    これってなんなんだろう。

    21歳。知り合いの紹介で行き着いた、カンボジアの水上村。
    そこで暮らす人々は経済的には貧しいけれど、一緒に過ごすととても幸せそうで。
    なんだ。お金って関係ないのかな。
    外の人間が良かれと思って何かを与えることは、彼らの今ある幸せを壊してしまうのかな。
    しかし帰国2週間後。その村に住む14歳の女の子が、生活に困窮して自殺をしたと聞いた。
    これってなんなんだろう。

    エチオピアでの実体験から社会を読み解く作者の言葉に
    自分の実体験、「あのときのもやもや」が思い出された。
    丁寧に解説をしてもらえたことで、「あぁそういうことだったのか」とやっと自分の気持ちが理解できて、漠然とした罪悪感から救ってくれた1冊。

    感染症の影響で、社会のあり方が見直されている今だからこそ学ぶことがある1冊でもあると思います。
    出会えて良かったです。本当にありがとうございます。

  • エチオピアの農村での生活から、私たちが当たり前に内在化している市場、国家、社会への深い洞察がすごく面白い。

    貧困や不平等にバランスを取り戻す鍵となるのが、うしろめたさ。

    日本では、「自分が稼いだ分は自分のもの」と思って、貧困や不均衡に無感覚であることが正当化されてしまっているんだと、うしろめたく感じる。

    自分の当たり前の境界をずらして、バランスを取り戻す一歩にしたい。

  • マルセルモースの贈与論から始まり、堅い話を柔らかく解説していくのかと思っていたが、予想より抽象的な内容だった。

    「税金を払っているのだから、あとは国がなんとかすべきだ、となる。政治に口を出したければ政治家になれ、と言われる。その閉塞した論理が、ぼくら一人ひとりに公平さを取り戻す責任や能力があることを覆い隠す。 「自分には関係ない」。そんな無関心が、ぼくらのバランス感覚を麻痺させる。」

    「わたし」という個人の行動が社会を少しずつ変えていくと書かれていたが、日本とエチオピアを対比しながら話が進む中で、少々日本の仕組みが悪いように書かれている印象を受け、結果「わたし」ではなく社会や国に注目が行ってしまうように感じた。

  • 前提として当事者意識を持って自分を変えれば社会、世界を再構築できる。で、理想的な社会を再構築するには「うしろめたさ」が作り出す国境や格差を超えた「人と人とのつながり」が重要になってくるというような話だった。

    そもそも人類学がどういうものか知らなかったので、それが知れてよかった。

    そこまで世界のこととか歴史とか全然知らないから、とても主観的な話になってしまうけど。
    国間間の格差や国内の貧困差については、「かわいそう」などの感情的な話ではなく、もっとその人たちの気持ちになって、どんな事を考えているのか?なんでそうなったのか?などを論理的に考えることが差分を無くすことだと思っていて、なぜならば感情はその一瞬だけで持続性がないし感情はコロコロ変わるし信用ならなくて、知的作業は変化ないと思ってた。ので、新しい考え方だった。

    でも、わたしが本当の意味で貧困というのを知らないだけなのかもしれない。現実は思ったより残酷で複雑だから、そういう風な考え方になるのかもしれないなって思った。

    あとあと、この本を読んだ以外にもいろいろなことから、結局論理って感覚的に選んだことを自分で納得感持つためだけのツールだなって思いつつある(私生活においては)。実は最初からなんとなく答えが出てて、それを頑張って正当化してるだけなのかもねーってね

    また、資本主義的な思想だったので市場主義だったけど贈与もいいところがあって、今の世の中が贈与を軽視しすぎているということも感じた。会社で働くこともお金だけでなく、もっと他に目的があるし、それをより多くの企業や働く人が理解すればもっとみんな生きやすくなるかもねって

    あと、アメリカの物資支援が実は国内の農産物の価格維持政策だったとは…全然知らなくて勉強になった!世界には自分の知らないことが本当に多くあるんだなって思いました。

    あととかまたとかいっぱいで雑記な文章になってしまった。。。とほほ

  • 生きづらい。世の中が窮屈だ。その原因は国の政策のせいであり、市場のシステムのせいである。私たちを支配する巨大なシステムと私たちの暮らしには大きな隔たりがあり、そうしたシステムが変わらない限り私たちにはどうすることもできない。

    ・・・本当にそうですか?という問いかけをしているのが、本書だ。

    「社会」と聞くと、まるで自分たちの手の届かない大きな存在のように思えるけど、本当は人やモノや言葉が行き来する「関係性」のことだと言う。つまり、私とあなたという二人が入ればそこに「社会」は生まれ得る。
    市場も、国家も、世界も、結局はその関係性の延長であり、すべては連結しあっている。「国家権力」や「市場原理」という言葉に惑わされているだけで、本当はそれぞれ依存し合っていて、その依存の輪の中に「わたし」もいるのだ。まずはそれを読者に理解してもらうことに本書の大半は割かれている。

    私たちが目指すべき「よりよい世界」を規定するとしたらどんな世界か?それはきっと、ひとりひとりの努力が適切に評価され、結果が出ずとも穏やかに暮らせ、誰もが好きなことに没頭できる世界。つまりは「公平=フェア」な世界だろう、と著者は言う。

    つまりはアンフェアを改善しバランスを取り戻すことが求められているわけであり、そこには国の政策を根底からひっくり返すような革命的な手法が必ずしも求められているわけではないのである。

    では私たちにできることは何なのか?その鍵がタイトルにもなっている「うしろめたさ」だ。
    電車で自分が座っているのに対しお年寄りが立っている時。知人から身に余る贈り物をもらってしまった時。被災地のつらい生活をTVで見た時。
    そうした自分と他者との間に格差を感じた時、人は「うしろめたさ」を覚える。それは「公平さへの欲求」と言うこともできる。

    けれど私たちはそうした「うしろめたさ」を、いろいろな理由をつけてなかったことにしがちなわけで。しょうがないよね。どうしようもないし。自分には関係ないし。国の問題だよね。
    例えば、Youtubeで違法アップロード動画を観る人は、小さなうしろめたさをどこかでなかったことにしてないだろうか。

    そうやって自分を正当化することに、まず自覚的にならなければいけない。そして「うしろめたさ(=公平さへの欲求)」に素直に従うこと。例えばそれが震災なら、ボランティアをする。義援金をおくる。他にもいろいろあるだろう。

    そうしたことが「わたしとあなた」という小さな社会をフェアにし、市場をフェアにし、国家をフェアにし、世界をフェアにしていく。僕らにできる「生きづらさ」を変える最大のアクションなのだ。

  • 後ろめたさが公平さを取り戻す一つの手段、確かになと思う。そこまで積み上げてきた話からはあっさりな感じではあったが、わかりやすく具体例を出しながら説明してくれているので、人類学に疎い自分でも内容がよく分かった。

  • 人間の心と体は、バランスのとれた公平さを希求している。災害被災者の苦しみを、何不自由なくくらしている自分がうしろめたく感じ、それをフェアにするために自分なりのボランティアを行ったりするコミュニケーションも、そう。人類をどんな視点で見るか、また、それをどう新たに構築していくか?格差や分断の時代にヒントになる。

全136件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

松村 圭一郎(まつむら・けいいちろう):1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『くらしのアナキズム』『小さき者たちの』『うしろめたさの人類学』(第72 回毎日出版文化賞特別賞、いずれもミシマ社)、『旋回する人類学』(講談社)、『これからの大学』(春秋社)、『ブックガイドシリーズ 基本の30冊 文化人類学』(人文書院)、『はみだしの人類学』(NHK出版)など。共編著に『文化人類学との人類学』(黒鳥社)がある。


「2023年 『所有と分配の人類学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松村圭一郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
國分 功一郎
瀧本 哲史
エーリッヒ・フロ...
劉 慈欣
ヴィクトール・E...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×