もういちど 村上春樹にご用心

著者 :
  • アルテスパブリッシング
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本棚登録 : 295
レビュー : 39
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903951379

作品紹介・あらすじ

『1Q84』やエルサレム・スピーチをウチダ先生はどう読んだのか?
ハルキ文学の読み方がもういちど変わる!
新たなテクストとともに『村上春樹にご用心』を再構成=アップデートした改訂新版、待望の刊行!

感想・レビュー・書評

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  • 村上春樹の魅力がもっと近くにやってくる本。
    だからわたしはこんなに夢中になっていたのか、と思うような的を得た内容です。
    壁と卵のスピーチや、それぞれの作品の一部分が抜き出されていて、そうそれイイよねって思いながら読める。

    なにより内田樹と村上春樹が好きな人にはたまらないです。

  • 司馬遼太郎と村上春樹 p41
    二人とも「地獄の釜の蓋」が開いた時の出来事に反応しているからです。破局的な場面で、既存の価値観が崩落して、すべてが無意味になった状況において、それでも人間的なものを失わないで生きようとする人間を描こうとしている。政治的正しさに基づいて断罪することも、宗教的な境位に持ち込むこともどちらも自制して、人間はかくあるべきという一般的真理を開示するものが誰もいないときに、なお私はこうありたいという人間的希望を語る。

    p125
    村上春樹は、私が知り、経験できるものなら、他者もまた知り、経験することができることを証明したせいで世界性を獲得したのではない。私が知らず、経験できないものは、他者もまた知り、経験することができないということを、ほとんどそれだけを語ったことによって世界性を獲得したのである。
    村上春樹はその小説の最初から最後まで、死者が欠性的な仕方で生者の生き方を支配することについて、ただそれだけを書き続けてきた。

  •  前作「村上春樹にご用心」から約3年後に発表された「改訂新版」。
     実は全くの「続編」と思って購入したのだ。
     ブックオフで「村上春樹にご用心」「もういちど村上春樹にご用心」と棚に並んでいたら、全く知らなければ「ほうほう続編もあるのか」とほくそ笑みながらレジに行ってしまうではないか……ブツブツ。
    「改訂新版」とは言っても、前作と被っているのは全32編のうち18編。
     これは前作発表後に書かれた記事だけだと一冊には足りず、かといって前作の全ての記事に新しい記事を追加したらかなり分厚い本になってしまう、ということでこういう形になったとのこと。
     内田氏本人は「でも、レコードでも『ベスト盤』が何種類もあるときって、同じ曲がダブって収録されているけれど、このベスト盤にしか入ってない曲もあるからって買うこともあるじゃないですか。できれば、そういう太っ腹な態度をお示しいただけると私どもとしてはありがたいです」と書いている。
     うんうん、おっしゃる通りです。
     まぁ、僕の場合、知らないで買った訳だし、しかも「中古」で買っているから、文句は言えないですね、はい。
     前作発表後の記事としては、「1Q84」に関する記事と、例の壁と卵の「エルサレム・スピーチ」の記事が特に面白かった。
     それと柴田元幸氏との対談なんていうのが収録されていて、これは嬉しかった。
     難しいことが書かれていて、完全に理解出来た訳ではないが、やはりこの人の文章はとっつきやすくて好きだ。

  • ファンを自称する内田樹の村上春樹に纏わる硬軟両面のおしゃべりである。内田による村上春樹の小説総括は、結局、「実は存在しないけれども皆がそのその存在を前提としている父権的なもの(規範、秩序等)がないと分かった時に人はどう生きていくのかをごく一般の人が試される冒険小説」といったところか。自分自身は自分が村上春樹に魅力を感じるのは必ずしもその部分ではないと思うのでその総括の当否はさておくとする。とはいえ、村上春樹が、労働、日々の営みに価値をおき、その中で「公正であること」、誰もがするわけではないけれども世界を支えているかもしれない「雪かき」を行う誠実さを尊重しているとの指摘はそのとおりだし、大いに共感する。柴田元幸との対談も面白く、改めて柴田は頭、勘の良い人だと思った。

  • 「村上さんが性描写に力を入れるのは、実は「作家的技術を見せている」という要素が多分にあると僕はみているんです」(p.39)

  • 2015年20冊目「もういちど 村上春樹にご用心」読了。

    最近ぱったり村上春樹も内田樹も読まなくなったので手に取った。村上春樹を読んだあとのモヤモヤした感じの原因が何となく理解できた気がする。(にしても内田樹さんは村上春樹大好きだなと)

    ----(以下抜粋)------

    「外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである…この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。とりあえず「日本の50―60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。おそらくそれらのテクストを貫流している「熱いもの」が非日本人には「よくわからない」から「なんか気持ち悪い」の間あたりに分布しているのである。言い換えれば、「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来るもの」はきわめて国際共通性に乏しい何かだということである。むろん、この「おじキュン」的なものが日本人のきわだって個性的な心性をかたちづくっている。それは外国の人だってわかっているし、できることなら、それについて知りたいとは思っているのである(たぶん)。「何を考えているのかよくわからない人」というのは隣国民としても、商売の相手としても不安だからである。けれども、それを知ろうとして、踏み込むと、「何かベタっとして気持ち悪いもの」に触ってしまうのである。困った。この世界の人々の困惑を解決したのが村上春樹である、というふうな仮説も「あり」ではないかと私は思う。」

    「村上文学がそのローカルな限界を突き抜けることができたのは、存在するものを共有できる人間の数には限界があるが、存在しないものを共有する人間の数に限界はないということを彼が知っていたからである。」

    「あるメッセージがダブル・ミーニングをもつためには、それが「ダブル・ミーニングをもつメッセージであること」が表面的には決してわからないように書かれていることが必要である。それは暗号が暗号として機能するためには、それが暗号であることは外見的にはわからないことが条件であるのと同じことである。「いまから私が書くことには『裏の意味』がありますから、注意して読んでくださいね」というようなおめでたいアナウンスをしてから暗号的メッセージを送信する作家はいない。シンプルに、ストレートに、ただそこにあるものを「それ」と指示し、記述するだけの機能しか託されていないようなセンテンスからのみ「倍音」は生成する。」

    「すぐれた作家というのは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」といういぶかしげな問いを向けられる。どうして私だけしか知らない私のことを、あなたは知っているんですか?というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。」

  • 僕は中学生の時以来の村上春樹ファンです。
    そしてこの本は僕が私淑している内田先生がファンの立場で書いた村上春樹論。

    なんで村上春樹だけが心のある部分に触れるんだろう、という謎が内田先生の言葉で腑に落ちました。
    それはなぜ村上春樹が世界中で読まれているのかという問いの答えでもあるんですが。

    われわれは、存在するものを共有するんじゃなくて、存在しないという欠落感を共有することによって結ばれる…
    うーん、深い。

    さて、明日からも「雪かき仕事」をせっせとやろうと思いました。

  • 村上春樹という作家について語るのは難しいらしい。

    あまりに多くの部数を売り上げる人気作家であるがゆえに、非常に浅薄で軽いものだととらえられがちだ。

    じっさい、僕も「ノルウェイの森」あたりからしか読んでいなかったのだけれど、それは書店で手に取るのが気恥ずかしかったからだ。流行に乗っかってるものはどうせ大したものじゃないだろうという、それこそ浅はかな思い込みのせいだった。

    その後、初期の作品も読み、エッセイなどはかなり愛読しているのだけれども、本来の長編作品になると不思議と印象が薄い。決してつまらないのではなく、かなり引き込まれて一気に読んでしまうのだけれど、後から内容が思い出せないのだ。

    おそらくどの作品にも共通する「喪失感」のようなものが、僕の記憶に働きかけているのじゃないかと思う。

    「ぼく」の前に突然現れたもの(たいていは女性だ)が「ぼく」の平凡な日常を壊し、引きずり回し、なにかを残してまた突然にふっと消えてしまう。

    なぜ彼はそんな物語を書き続けるのか。

    内田センセイの分析はそれを「ライ麦畑のキャッチャー」になぞらえて説明する。私たちが暮らす平凡に見えるこの世界は、いとも簡単にその平和を破られる。邪悪なものが予告もなく理不尽に現れる。そうしたときにそれ
    から世界を守るのは、アクション映画のようなヒーローではなく、平凡な、市井の人々が、日常をきちんと丁寧にくらすこと。その「正しさ」を貫く勇気だけが世界を破滅から守っているのだと。そうして物語を、村上春樹は繰り返し書いている。

    書きにくい、と書いた村上春樹についてだが、しかし書き始めると止まらなくなる。またその文体はけっこう影響力が強くて、ついつい似てしまうことがある。(基本的に「ていねいにものを説明しようとすると、ちょっと似てくるような気がします。)

    楽しい分析。文学論というのも批評するばかりじゃなくて、こうして楽しみ方を教える、というのがけっこう大切なんじゃないかと思う。

  • 村上の物語の基本構造の1つは、ある危機的状況に立ち入った主人公が自己の中に眠っている潜在的なポテンシャルを生かして、一揆に自分の殻を破ってブレークスルーを遂げ、それによって生き残り、自分の周囲のささやかな世界を守る抜くというのも、それはほとんどビルドゥングロマンスと変わらない。

    村上はずっと一貫して人間の弱さを描いてきていた。人間は弱く、間違いを犯す、弱いゆえに、間違いをおかし、間違いによってさらに弱くなる。そういう存在なのだ。

    村上は自分の本についての書評は一切読まないと宣言している。

  • あまりに激しく欠落していて、我々が日本社会に欠落の影としか認識できないもの

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プロフィール

東京大学フランス文学科卒業。武道家。凱風館館長。専門はフランス現代思想、ユダヤ文化論、映画論。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞。第三回伊丹十三賞受賞。

「2018年 『待場の読書論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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