もういちど 村上春樹にご用心

著者 :
  • アルテスパブリッシング
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本棚登録 : 343
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903951379

作品紹介・あらすじ

『1Q84』やエルサレム・スピーチをウチダ先生はどう読んだのか?
ハルキ文学の読み方がもういちど変わる!
新たなテクストとともに『村上春樹にご用心』を再構成=アップデートした改訂新版、待望の刊行!

感想・レビュー・書評

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  • 「村上春樹の小説に出てくるファンタジーなキャラクターは一体何を意味するのか」
    「どうして物語の中に性描写のシーンが多いのか」
    「なぜここまで世界で読まれているのか」

    というような問いを、村上春樹ファンの内田樹さんが考え、文章にしたもの。元々書籍化するために書いた文章ではなく、色々な媒体に寄せた原稿をまとめた本なので、おんなじような論が何度も何度も反復されてたりする。

    内田樹さんは村上春樹作品の中でも「羊をめぐる冒険」が特に好きらしく、とにかく引用でもそこからの文章が多かった。
    個人的に「羊」は村上作品の中で一番苦手だったこともあり、なかなか内田さんの言っていることに共感できない自分がいた。内田さんは本当に村上作品が好きなんだなあと思うと共に、あまりにもそれが読み手に伝わりすぎてきちゃって、冷静な第三者の分析を読みたかった自分からしたらちょっと冷めてしまった。

  • 村上春樹の魅力がもっと近くにやってくる本。
    だからわたしはこんなに夢中になっていたのか、と思うような的を得た内容です。
    壁と卵のスピーチや、それぞれの作品の一部分が抜き出されていて、そうそれイイよねって思いながら読める。

    なにより内田樹と村上春樹が好きな人にはたまらないです。

  • 「なぜ村上春樹作品には、ご飯を作ったり掃除をしたりするシーンが多出するのか? 独自の視点で村上文学の世界性を浮き彫りにする。」

  • 村上春樹に対するエッセイの集大成

    村上春樹の小説に「父」が出てこなかったこと。
    「父」=絶対なるもの、したがっておけばよい価値観
    その父が不在のときに、どのように自分の世界を確立するか。
     小さな日常のステップ、料理や洗濯を行うことによって、自分の周りの地図を作成する行動
    作成された地図に基づいて、自分の周りの小さな世界の秩序を取りもどすこと

    羊男的な存在感に対する、死者の弔いの方法について

  • ファンを自称する内田樹の村上春樹に纏わる硬軟両面のおしゃべりである。内田による村上春樹の小説総括は、結局、「実は存在しないけれども皆がそのその存在を前提としている父権的なもの(規範、秩序等)がないと分かった時に人はどう生きていくのかをごく一般の人が試される冒険小説」といったところか。自分自身は自分が村上春樹に魅力を感じるのは必ずしもその部分ではないと思うのでその総括の当否はさておくとする。とはいえ、村上春樹が、労働、日々の営みに価値をおき、その中で「公正であること」、誰もがするわけではないけれども世界を支えているかもしれない「雪かき」を行う誠実さを尊重しているとの指摘はそのとおりだし、大いに共感する。柴田元幸との対談も面白く、改めて柴田は頭、勘の良い人だと思った。

  • 「村上さんが性描写に力を入れるのは、実は「作家的技術を見せている」という要素が多分にあると僕はみているんです」(p.39)

  • 2015年20冊目「もういちど 村上春樹にご用心」読了。

    最近ぱったり村上春樹も内田樹も読まなくなったので手に取った。村上春樹を読んだあとのモヤモヤした感じの原因が何となく理解できた気がする。(にしても内田樹さんは村上春樹大好きだなと)

    ----(以下抜粋)------

    「外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである…この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。とりあえず「日本の50―60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。おそらくそれらのテクストを貫流している「熱いもの」が非日本人には「よくわからない」から「なんか気持ち悪い」の間あたりに分布しているのである。言い換えれば、「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来るもの」はきわめて国際共通性に乏しい何かだということである。むろん、この「おじキュン」的なものが日本人のきわだって個性的な心性をかたちづくっている。それは外国の人だってわかっているし、できることなら、それについて知りたいとは思っているのである(たぶん)。「何を考えているのかよくわからない人」というのは隣国民としても、商売の相手としても不安だからである。けれども、それを知ろうとして、踏み込むと、「何かベタっとして気持ち悪いもの」に触ってしまうのである。困った。この世界の人々の困惑を解決したのが村上春樹である、というふうな仮説も「あり」ではないかと私は思う。」

    「村上文学がそのローカルな限界を突き抜けることができたのは、存在するものを共有できる人間の数には限界があるが、存在しないものを共有する人間の数に限界はないということを彼が知っていたからである。」

    「あるメッセージがダブル・ミーニングをもつためには、それが「ダブル・ミーニングをもつメッセージであること」が表面的には決してわからないように書かれていることが必要である。それは暗号が暗号として機能するためには、それが暗号であることは外見的にはわからないことが条件であるのと同じことである。「いまから私が書くことには『裏の意味』がありますから、注意して読んでくださいね」というようなおめでたいアナウンスをしてから暗号的メッセージを送信する作家はいない。シンプルに、ストレートに、ただそこにあるものを「それ」と指示し、記述するだけの機能しか託されていないようなセンテンスからのみ「倍音」は生成する。」

    「すぐれた作家というのは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」といういぶかしげな問いを向けられる。どうして私だけしか知らない私のことを、あなたは知っているんですか?というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。」

  • 僕は中学生の時以来の村上春樹ファンです。
    そしてこの本は僕が私淑している内田先生がファンの立場で書いた村上春樹論。

    なんで村上春樹だけが心のある部分に触れるんだろう、という謎が内田先生の言葉で腑に落ちました。
    それはなぜ村上春樹が世界中で読まれているのかという問いの答えでもあるんですが。

    われわれは、存在するものを共有するんじゃなくて、存在しないという欠落感を共有することによって結ばれる…
    うーん、深い。

    さて、明日からも「雪かき仕事」をせっせとやろうと思いました。

  • 村上春樹という作家について語るのは難しいらしい。

    あまりに多くの部数を売り上げる人気作家であるがゆえに、非常に浅薄で軽いものだととらえられがちだ。

    じっさい、僕も「ノルウェイの森」あたりからしか読んでいなかったのだけれど、それは書店で手に取るのが気恥ずかしかったからだ。流行に乗っかってるものはどうせ大したものじゃないだろうという、それこそ浅はかな思い込みのせいだった。

    その後、初期の作品も読み、エッセイなどはかなり愛読しているのだけれども、本来の長編作品になると不思議と印象が薄い。決してつまらないのではなく、かなり引き込まれて一気に読んでしまうのだけれど、後から内容が思い出せないのだ。

    おそらくどの作品にも共通する「喪失感」のようなものが、僕の記憶に働きかけているのじゃないかと思う。

    「ぼく」の前に突然現れたもの(たいていは女性だ)が「ぼく」の平凡な日常を壊し、引きずり回し、なにかを残してまた突然にふっと消えてしまう。

    なぜ彼はそんな物語を書き続けるのか。

    内田センセイの分析はそれを「ライ麦畑のキャッチャー」になぞらえて説明する。私たちが暮らす平凡に見えるこの世界は、いとも簡単にその平和を破られる。邪悪なものが予告もなく理不尽に現れる。そうしたときにそれ
    から世界を守るのは、アクション映画のようなヒーローではなく、平凡な、市井の人々が、日常をきちんと丁寧にくらすこと。その「正しさ」を貫く勇気だけが世界を破滅から守っているのだと。そうして物語を、村上春樹は繰り返し書いている。

    書きにくい、と書いた村上春樹についてだが、しかし書き始めると止まらなくなる。またその文体はけっこう影響力が強くて、ついつい似てしまうことがある。(基本的に「ていねいにものを説明しようとすると、ちょっと似てくるような気がします。)

    楽しい分析。文学論というのも批評するばかりじゃなくて、こうして楽しみ方を教える、というのがけっこう大切なんじゃないかと思う。

  • 村上の物語の基本構造の1つは、ある危機的状況に立ち入った主人公が自己の中に眠っている潜在的なポテンシャルを生かして、一揆に自分の殻を破ってブレークスルーを遂げ、それによって生き残り、自分の周囲のささやかな世界を守る抜くというのも、それはほとんどビルドゥングロマンスと変わらない。

    村上はずっと一貫して人間の弱さを描いてきていた。人間は弱く、間違いを犯す、弱いゆえに、間違いをおかし、間違いによってさらに弱くなる。そういう存在なのだ。

    村上は自分の本についての書評は一切読まないと宣言している。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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