内田樹による内田樹

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903993188

感想・レビュー・書評

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  • 内田樹さんが、ご自身の本ついて語っている本。序文からたいそう面白く。多分その面白さは知的好奇心が刺激されるからなんだろうけれど。 他者とは「時間差を伴った私」である、等。今回も唸ったり、むべなるかなを呟くことが度々。レヴィナスは一度匙を投げたけど、読んでみたくなった。

  • 一番の箇所を引用します。

    自分の家庭や自分の職場や自分の住む町ですることがある。学び、働き、家族を養い、近親者を失い、愛したり、憎んだり、信じたり、裏切られたり、戦ったり、許したり、そういう「人間性の修業」を積むことの方が先だろう、と。その現実生活の経験が哲学書を開くことを要請する。人がほんとうに哲学を必要とするのは、哲学書の行間に自分自身が今日生きる支えとなり、導きとなるようなたしかな叡智を求めるときです。テクストにすがりつくように知恵を求める者にだけテクストはその深い意味を開示する。レヴィナスはそう考えてるのです。
    (p118)

    哲学と私自身の実生活を繋げてくれる、哲学にアクセスするきっかけとなりそうな部分でした。

    • mayuotukaさん
      コメントありがとうございます。落ち込んでるときとか、センセの言葉は落ち込んでると浮き輪みたいな感じです。合気道も一時期やってたんですが、また...
      コメントありがとうございます。落ち込んでるときとか、センセの言葉は落ち込んでると浮き輪みたいな感じです。合気道も一時期やってたんですが、また再開しようかなと。確かに活性化してる感じしますね!
      2014/03/18
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「また再開しようかなと。」
      もっと、内田センセの言葉が判るようになるかも、、、
      「また再開しようかなと。」
      もっと、内田センセの言葉が判るようになるかも、、、
      2014/03/19
    • slow-futureさん
      すごく心に届く引用箇所です。さっそく買って読んでみたいと思います。
      すごく心に届く引用箇所です。さっそく買って読んでみたいと思います。
      2014/08/28
  • 内田先生の著書を読んだ上で、この本を読んでみると、より内田先生の主張が明確にみえてきました。さすが「内田樹による内田樹」だけあります(笑)『先生はえらい』は個人的にとても励まされました!

  • 内田氏の本、読むたびに「なるほどなあ」と思う。
    読めない漢字が時々でてきて、電子辞書で調べる時もありますが、読むと「頭に効いている~」という感じがします。

  • 内田センセと(本を介して)会話してきた人も
    まだ これから
    内田センセと(本を介して)会話しようとする人も
    これは 内田樹センセの入門書のように
    なっていくかもしれませんね

    それにしても
    140Bの編集者さんは面白いことを
    思いつきましたねぇ
    みごとに その術中にはまってしまいました

  • 内田樹さんの本は、まえがきの予防線的導入が結構好きなのだけども、今回もそんな感じだった。インタビュー記事などはほとんど書きなおしてしまうという。自分の言うことをパクられてもいいが、言ってないことを自分の名で出されてはかなわない。いままでやってきた自分を崩すなら、一生めんどうみろ、と。ムムム…。
    この本の出版を知った時には、ちょっと本出しすぎじゃないかなあ、なんて心配したけれど、本出しすぎたからこそ、説明しとくのだ、と。そういう講義をもとに出すはずの本だったのに、結局書き直したので時間がかかってしまったのだと。何が書いてあるかも大事だけど、どんな書き口かが、やっぱり大事なのだと。そんな前置きになるほどねえ〜となりました。
    あ、中身? 登場する本は半分ぐらいしか読んでいませんが、大丈夫でした。アンチグローバリズムの部分はいつものことではあるけれど、溜飲が下がる。

  • 内田さんの著書を読んでいて、残り頁数が少なくなると、この知的興奮の時間もあと僅かと分かり、寂しくなります。
    なぜ、内田作品を読むと、こんなにも知的に興奮するのか。それは著者自身も「あとがき」に書いている通り、「まだ誰も言葉にしていないことを選択的に書きたい」という姿勢で書いているからだと思います。
    内田さんは政治であれ、経済であれ、社会問題であれ、教育問題であれ、世間に流布している「よくある話」は書きません。少なくとも新聞の社説のような、毒にも薬にもならないような論説を絶対に書かない。それでいて胸にストンと落ちるのですね(反発する方もいると思いますし、実際にいるそうです)。ただ、新奇な説を書いているわけではありません。情理を尽くして書いていて、説得力があるのです。生意気ですが、すごい芸当だと感服します。
    ちなみに内田さんは「読者800万人の新聞に寄稿するときも、せいぜい数百、数千人の読者を想定して書いている。『そうそう』と膝を打ちながら読んでくれる読者というのは、それくらいしかいないと思っているからです。800万人が読んでくれて、誰からも文句が出ないようなものは、悪いけれど、読んだ瞬間に忘れられてしまうようなものです」(P17)と書いています。私はその「数百、数千人の読者」の一人です。
    本書は内田さんによる自著解説本です。内田ファンの私は、ここに取り上げられている11冊のうち7冊まで読了しています(4冊も取りこぼしがあることに少し驚きました)。
    本書のどこに、私は「膝を打」ったか。いずれも少々長いですが、以下に引用します。いずれも「そうそう」と頷きながら読んだ個所です。
    まず、「ためらいの倫理学 戦争・性・物語」の章から。ここで内田さんは「仮想敵」である上野千鶴子、高橋哲哉を挙げ、彼らの言説の「正しさ」に対する強い違和感を表明しています。
    「出来合いの型にはまって、出来合いの定型句を繰り返し、出来合いのロジックを機械的にあてはめて、現実を斬り捌いてゆく。それは本人にしてみたら、知的負荷も少ないし、爽快感や全能感をもたらす気分のいい経験かもしれません。でも、僕は直感的に『そういうのはよくないぜ』と思っていました」(P24)
    私も「そういうのはよくないぜ」と思っています。フェミニストの総領たる上野も、ポストモダニストで「靖国問題」で一躍脚光を浴びた哲学者、高橋も形無しです。
    「自分の中に、そういうわけのわからない他人をたくさん抱え込んでいる人にとって、まわりにいる『わけのわからない他人』はだんだん自分の親類のように思えてくる。そういうメカニズムだと思うんです。自分を絞り込まない、決めつけない人間ほど人間は他社に対して寛容になり、親身になる。自分の中に弱さや卑しさや愚かさを認められる人間ほど、他者の弱さや卑しさや愚かさに対して寛容になれる。逆に、自分の中の弱さや卑しさや愚かさを認めない人間は、他者に対して非寛容になります。目標を高く掲げて、自己陶冶に励むこと自体は悪いことではありません。でも、その結果、自分ほど努力していない他人に対しては非寛容になり、意地悪くなるなら、そんな努力はしない方がましだと僕は思います」(P44)
    肝に銘じます。
    続いて、教育問題を扱った「先生はえらい」から。
    「メディア・リテラシーという言葉があります。この言葉を『メディアで報道されているコンテンツの当否や真偽を判定できるだけの知識を持っていること』というふうに理解している人がいますけれど、それは間違いだと僕は思います。だって、メディアで流通している情報のほとんどについて、僕たちは非専門家なわけですから、その当否や真偽を判定できるはずがない。でも、メディア・リテラシーとは自分がその当否や真偽を知らないことについて、その当否や真偽を判定できる能力でないと意味がない。あたり前ですね。自分がぜんぜんそれについて専門知識を持っていないことについて、誰かが何かを断定的に語っているときに、『ふむ、この人の話は信用してよい』と判定したり、『あ、こいつの話は信用できない』と判定することのできる能力がメディア・リテラシーです。知識ではありません。自分がそれについて知識を持っていないことについて当否や真偽を判定できる能力です。次数が一つ高い能力なんです」(P73~74)
    なるほど、納得です。
    「今の日本の若者たちを指して、『内向き』であるとか、『覇気がない』とか『ハングリーでない』とか非難する人がたくさんいますけれども、これはずいぶんとんちんかんな評言だと僕は思っています。当今の若者たちはたしかに欲望が希薄です。自動車もバイクも欲しがらないし、ブランド品の服も欲しがらないし、高級なフレンチで高額のワインを飲むことも求めないし、外国のリゾートで豪遊することも願わない。でも、それは自分の欲望のありかを他人に知られると、そこをつかまれて他人に操作されることになるということに気づいているからです。彼らは自由でいたいのです。だから、金も地位も威信も要らないと公言する。日本の子どもたちが無気力になったのは、端的に言えば、子どもたちを『金で釣ろうとした』からです。僕はそう思っています」(P78)
    僕もそう思っています。たとえば、子どもに「なぜ、勉強するの?」と訊かれた時、「いい大学へ行って、いいところに就職するため」と答えていないでしょうか。これは有り体に言えば、「いっぱいお金を儲けるため」と言っているのに等しいと思います。それはそれで価値のあることかもしれませんが、学問とはそういうものではないでしょう。人間として成熟するために勉強をするのだと、私は思うのです。青いですか?
    と、ここまで書いて、時間が来てしまいました。朝のジョギングをして会社へ行かねばなりません。後日、書き足そうと思います。中途半端でスミマセン。

  • 内田先生の「内田性」のようなものがぎっしりと詰まっていました。一ファンとしては大変満足。
    自著の解説書という体裁ではありますが、決して単純に自分の本をなぞるようなことはしていない。
    本そのものではなくて、その本を取り囲む空気だったり、照らしている光だったり、あるいは、その光が創り出す影の部分だったりと、そういった周辺外縁的参考情報がたっぷりと書き起こされていました。

    印象的だったのは、社会科学系の学者(作家)とソリがあわないというくだり。
    あの人たち(決して実名は挙げない)は既存のモデル・学究的鋳型に生の現象を無理やり流し込み、あたかも「こうなることは分かっていた」と言わんばかりの評言を繰り返すことが多い、と。それがちょっと違うのでは、と。

    内田先生の著作は複数冊読んできていますが、内奥的主義が一貫している。そうなることは薄々“わかっている”のに読んでしまう。そのコアの部分に魅了される。それを毎回味わえる。だからこれからもきっと読むのだろうな。

    ※その他、雑記
    ・コミュニケーションの基本は「相手の話がわからない」
    ・武道の修練は、どうすればいいのかわからないときにどうすればいいかわかるようになること
    ・身体が思考に先行する
    ・抑圧の客体はじぶんであり主体も自分である

  • おー

    140BのPR
    「著者初の自著解説本
    書き下ろし自作自註集。「なぜウチダは、これらの本を書いたのか?」
    『ためらいの倫理学』から『日本辺境論』まで翻訳書を含む重要11作品を自らが語る。 」

  • 内田樹の本の何冊か背景について内田樹が解説したもの。
    読んだことのある本についても、読んだことの無い本についても、面白かった。
    内容が重たくて一気には読めなかった。

    内田樹の世界の読み解き方は独特で、たまに批判も耳にするけど、内田樹の切り取り方なら仕方ないよなぁ…。と思えるようになった。

    ちきりんと「もっといい日本にするために」の主張がかなり違うのがまた面白い。

    日本はこれからどのように変わっていくのだろう。

    札幌市の図書館で借りた本。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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