レンブラントの帽子

  • 夏葉社
3.67
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感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (154ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904816004

感想・レビュー・書評

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  • 表題作「レンブラントの帽子」を含む短編2編、中編1編を収める。

    読み終えてから今まで、いいようのないもの哀しさから抜け出すことができない。
    涙がこぼれてしまうような「悲しさ」ではない。読んでいてつらくなるような「悲惨さ」でもない。短編『わが子に、殺される』以外はどちらかというと前向きな終わり方と言ってもいいほどだ。それなのに、ずっともの哀しい思いにとらわれている。

    表題作『レンブラントの帽子』は、美術学校の美術史教師アービンが同僚の彫刻家ルービンに何気なく言った一言からぎくしゃくしてしまう話。自分の言動の何がルービンを傷つけたのか、アーキンは考えを巡らせる。その考えが正しかったのかどうかははっきりと明かされないが、アーキンが謝った後、ルービンが声をたてずに泣く様子に、心を締め付けられるような哀しさを感じた。

    中編『引き出しの中の人間』は、サスペンスのような味わいのある小説。冷戦下のソ連に旅行に来たアメリカ系ユダヤ人のハーヴィッツは、タクシーの運転手レヴィタンスキーから、自分の書いた小説を国外に持ち出して出版してほしいと頼まれる。面倒なことに巻き込まれたくないハーヴィッツと、狂気をはらんだレヴィタンスキー。ハーヴィッツの心揺れ動く様子がリアルで一気に読み終えたが、レヴィタンスキーの心の内を思うと複雑な気持ちになる。

    最後の短編『わが子に、殺される』は一番印象に残った作品。
    引きこもりの息子を見守るというよりストーカーのようについてまわる父親。
    「この世が恐ろしい」と思う息子に対し、彼は「人生なんて決して楽なもんじゃないんだよ。」「生きるほうが、まだマシなんだよ。」と語りかける。
    父親の頭から風にさらわれた帽子が海辺をころころと転がる。その様子を大きな海に足をつけて見ている息子。まるで映画のワンシーンのように情景が頭の中に浮かんでくる。そしてその風景はたまらなくもの哀しい。

    くせになりそうな作家である。

  • 週刊ブックレビュー(8/28)豊崎由美さんのおすすめ。
    ちなみにお薦めの一冊は『ハルムス(スターリン独裁下の旧ソヴィエトで活動し、度重なる弾圧の果てに生涯を終えた作家)の世界』でした。

    「なんでこの本を読むことにしたんだっけ」と調べたら
    この『レンブラントの帽子』は1975年に出版され
    一度絶版したもので、この夏葉社さんが
    「手に入りにくい名著を幅広い読者に届けたい」というコンセプトで復刊した第1号なのだそうです。

    レンブラントの帽子(23頁)
    引き出しの中の人間(96頁)オーヘンリー賞受賞作品
    わが子に、殺される(14頁)

    以上の三篇の短編が掲載されていて、見るからに二作目が代表と思われるのですが、題名として表紙にする時はやはり『レンブラントの帽子』が魅力的なのでしょう。

    『引き出しの中の人間』が一番面白かった。
    他の二作品は、内向的で、まあ理解できるというか。

    『引き出し~』はソ連に住むユダヤ系男性と
    アメリカから旅にきた、前妻との復縁を考えている男性とのかかわりが書かれています。

    巻末の注解を読みながら、当時のソ連アメリカユダヤ人など
    いろいろなことが少しずつわかって面白い。
    ロシア文学はハードルが高いけど、こんな形で少しずつロシアに関わっていけたらいいかなって思いました。

    夏葉社さん、期待しています。

  • 人と人がわかり合えぬまますれ違おうとする、それでもやはり去りゆく相手の方を振り返らずにはいられない、そんな物語。

    著者、バーナード・マラマッドは20世紀半ばに活躍したユダヤ系アメリカ人作家である。1960~80年代あたりには日本でも訳書が何点か出て読まれていた作家であるようだが、その後、日本では長く入手困難になっていたらしい。
    本書は1974年に出版された同名短編集のうち、主要な3作を収めたものである。
    出版社は夏葉社という小さい会社である(この会社自体、なかなかおもしろそうな会社だ)。

    「レンブラントの帽子」と「わが子に、殺される」の短編2編に、中編「引出しの中の人間」が挟まれる構成。いずれも、余韻を残す不思議な味わいである。

    「レンブラントの帽子」は、美術学校に務める彫刻家と美術史家の2人のちょっとした齟齬を描く。美術史家の発したひと言が思わぬ波紋を生じさせるのだが、この2人の行き違いは、作家と批評家=生み出さねばならぬ人と生み出されたものを評価する人の立場の違いを表しているようでもあり、あれこれと考えさせられる。
    「わが子に、殺される」は、引きこもりがちな息子と、息子を心配しつつ手をこまねいている父の物語。親子というのは、いつの時代も、どこの国でも、なかなかに難しいものだ。

    一番印象に残ったのは「引出しの中の人間」。米ソ冷戦中、ソ連に旅行に行ったアメリカ人のフリーランス・ライターと、密かに小説を書き綴るロシア人のもどかしいやり取りを描いている。ロシア人レヴィタンスキーは自分の才能を信じつつも、書いた小説を発表することが出来ない。たまたま出会ったユダヤ系アメリカ人のハーヴィッツに原稿を渡し、西側で発表するという夢を託そうとするのだが、なかなか承知してもらえない。一方のハーヴィッツはレヴィタンスキーの才能を感じつつも、当局を畏れ、原稿をソ連国外に持ち出す踏ん切りが付かない。そんな2人のぎこちない綱引きが延々と続く。
    冷戦時代のソ連が本当に作中のようであったのか、不勉強でよく知らないのだが、そうであるならばもどかしさが非常によく描かれているといってよいだろう。またもしもかなりの誇張が入っているとしても、抑圧的でシュールな恐ろしさは、どこかカフカを連想させ、権威がもたらす普遍的な恐怖を鮮やかにすくい取っているように思われる。
    作中作の「祈祷用肩掛け」が秀逸。しんしんと恐く、でも一方でどこか笑うしかないおかしさもある。

  •  夏葉社の見事な仕事である。
     すれ違う二人をテーマに、大学の先生と学生、父と息子として描かれるその短編はコミカルであり、素朴であり、親しみがわく。しかし文章は詩的で緊張感があり、そのバランスが素晴らしい。
     だが、やはり「引出しの中の人間」は登場人物の多さと良い、革命を信じる様といい、自由に言葉を発することのできない環境といい、バカンスに来ているのに、牢獄に来ているような、矛盾的空気といい、飛びぬけている傑作中の傑作だ。とくに、アメリカに無事に帰った場面を書くのではなく、小説作品を全部紹介するところで一気に終わるところが鬼のように渋い。要するに、読者に託された、届けられた訳だ。主人公はあんただと言っているんだ。鳥肌ものだ。そして、権力の怖さを書くとはかくあるべしと思えるような、見事さだ。美女に手紙を渡される場面なんて怖すぎる。どこかで観たことがある。ずっとつけられているという恐怖。「引出しの中の人間」は、多くの著名なロシアの作家が登場する。しかし、どの作家も霞むほど、引き出しの中の無名の小説の叫びが、強烈に響いてくる。すげえもんだよ、小説って。

  • 表題作は、登場する二人の心の移り変わりや行き違い、そして両者の和解に至るまでを繊細に表現しており、大変しみじみとした気持ちにさせられた。「わが子に、殺される」は掌編ながら、鬱屈する息子と、何とかその息子寄り添おうとする父親との断絶を、見事に描いている。「引出しの中の人間」は、冷戦化のソ連を舞台として、原稿持ち出しを依頼された人物の心の揺れ動きと、依頼者の作家に対する複雑な思いを、抑制されたトーンではあるが、鮮やかに描写している。

  •  表題作、3つめの「わが子に、殺される」も、短いながら味わい深い。なんてことのない、人と人の行き違い、計り知れない他人の言動、それらに引き起こされる不安など、心の機微が緻密に語られている。

     その2作に挟まれた「引き出しの中の人間」が、なにより興味深い。
     ロシア語の言い回しに「писать в стол」(机の中に書く)というものがる。『本にまつわる世界のことば』という、創元社のシリーズものの1冊の中でもとりあげられている表現だ。
    https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4422701215
     去年読んだときはほとんど印象に残ってなかったけど、今年ふと読み直していたときに、本書と出会い、そして「引き出しの中の人間」というタイトルと強烈に結びつくことで、俄然、この物語も興味深いものとなった。
     本作の主人公が、ソ連旅行で出会うレヴィタンスキーというロシア人とのやりとりが、停滞の時代のロシアの空気感と共に、実にリアルに描かれている(ように感じる)。
     レヴィタンスキーは、こう語る。

    「私は今、引き出しに入れるために書いているんです。こんな言い方をご存じですか? イサーク・バーベリみたいに、『私は沈黙の領域(ジャンル)の主なのだ』って」

     おそらく、著者バーナード・マラマッドは、ロシア語の「писать в стол」(机の中に書く)という言い回しのロシアでの使われ方、ニュアンスを知った上での本作だったのだろう。

    「鼠たちは当然読んで批判しています」
    「彼らは食べもしないで、その上に落とし — 落としもの —をしていくんです。これは完全な批判です」

    「小説や詩などを書いて机の中にしまっておく」行為(=писать в стол)に、哀れみを感じてか、あるいはソ連のその時代感の象徴としてなのか、作家未満のレヴィタンスキーの存在、彼とのやりとり言動を、物悲しげに、時にユーモアを交えて描く筆致が実にいい。

     そして、そこはかとなく、両親がロシア系ユダヤ人移民だった自分の出自をたどるかのように、先祖の故郷の大地ロシアに思いを馳せている点が素晴らしい。
     登場人物にこう語らせる;

    「そして、純粋な労働、資本財、単純明快な国民の士気を考えたとき、私は、その場で、ソ連は核戦争であれなんであれ、アメリカと積極的に戦争を起こすことはあるまいと確信した。アメリカのほうも、正気であれば、ソ連と戦争を起こすまい。」

     大戦後のアメリカで育ち、冷戦時代に多くの作品を発表したアメリカ人作家が、この一文を何の意図もなく書けただろうか。そんなことにも思いを馳せることのできた、興味深い小作品だった。

  • 和田誠さんの装丁による表紙が象徴的。
    写実的ではないけど、独特な線と色彩のイラストは、人が心の奥に隠して他人に見せようとしない感情すらも滲み出させるかのよう。この本におさめられた作品も同じだと思う。

    人付き合いを避けるかのような美術学校で古参の彫刻家… 旧ソ連でタクシー運転手の一方で、小説を書き溜め、日の目を見ない自作の発表機会を何とか得ようと考えている男… 父に一言も話そうとしない息子と、息子との会話の糸口がつかめない父親…

    確かに、私たちの日常での遭遇はめったにないかもしれない。でも、登場人物の心の動きの描写は、はじめのうちはぼんやりだけど、次第に輪郭をもって、まるで独特の線や色彩で描かれた人物画のように私たちの心に印象をもたらし、最後には、それぞれの登場人物が親しみのある、身近な友だちみたいに感じられるだろう。

    私がB.Malamudの作品に出会ったのは、原書を読むNHKのラジオ番組で「魔法の樽(The Magic Barrel)」を聞いた時が最初。この本の3作品も魔法の樽同様、悲しさが全体を包む話だけども、結末を読み終えた瞬間、一滴のインクが落ちて広がるように、何ともいえない心地よさに満たされることができた。
    「感動」を売り言葉に、読者から涙を出さそう出さそうと、何となく作為すらうかがえる日本の現代小説よりかは、数倍ここちよい読後感が味わえることを保証したい。
    (2011/4/16)

  • 芯の硬い鉛筆で、一字一字書かれたような印象。

    けれども同時に、ほの明るいユーモアも感じる。それはいわゆる、声を出して笑う類のものではないし、かと言って皮肉めいたものでもない。
    思うに、これは「生きている」ということそのものが持つ滑稽さ、みたいなものではないだろうか。物事は全然うまくいかないし、自分の思っていることは全然相手に伝わらないし、なんだか哀しいことばかりだし。
    けれどそれは悲劇でもあり、喜劇でもある。全然楽しくないけれど、どこかしら滑稽で、普遍的で、それでいて個人的だ。

    淡々とした筆致に潜む、繊細な感情に耳を澄ます。生きていくということ、その哀しみと滑稽さに、目を凝らしてみる。

  • 表題作
    他人から見れば滑稽なほど踏み込んだ脳内会議、逡巡をこれでもかと読まされる。普遍的なバージョンの滝口悠生(?)他人に対する想像力、想像する努力、についての教科書のようでもある。

    『引き出しの中の人間』
    旅行先で「当事者」になり得るかもしれない緊張感。(主に)ふたりの人間の熱いやりとりが美しかった。物語の終わらせ方がとっても良いと思った。
    イデオロギーやソ連の歴史に明るければ、感じることは倍くらいになりそう。

    あとは、ぜひ手に取ってカバーをめくってみてほしいです。

  • 2022年、こんにちは。1冊目。
    帯のとおり、しみわたる3つの物語。
    ああ、読んでよかった、と思う本は、なにがよかったんだろうと、こうして感想メモみたいなものを書くときに、考える。で、言葉にするのは難しいなあ、といつも思う。が、今年も書いてみる。

    初めて出版された1973年から時を経て、2010年に、たったひとりの出版社として立ち上がった夏葉社さんから復刊された。和田誠さんの装丁で。もうこの時点で愛が詰まっている。この本を届けたい、という気持ちが溢れている。

    生々しく生きている人々が描かれていた。誰かとの出会いや触れ合いによって気持ちが揺れ、時間が流れ、真摯に相手を想う生き様みたいなものが。人との付き合いはつらくてモヤモヤして、いろんな駆け引きがあって、めんどくさいこともある。だけど、それが人との付き合いというものであって、それでもかすかにでも通じ合うものがあれば、それが生きていく糧になったりもする。

    そんなことを、時代も場所も超えた物語で感じることができたこの本は、とてもとても、良い本であった。大満足の2002年1冊目!

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著者プロフィール

1914-1986。ユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれる。学校で教えながら小説を書き、1952年、長編『ナチュラル』でデビュー。その後『アシスタント』(57)『もうひとつの生活』(61)『フィクサー(修理屋)』(66)『フィデルマンの絵』(69)、『テナント』(71)、『ドゥービン氏の冬』(79)『コーンの孤島』(82)の8作の小説を書いた。また短編集に『魔法の樽』(58)『白痴が先』(63)『レンブラントの帽子』(74)の3冊があり読者は多い。

「2021年 『テナント』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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