- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904816127
感想・レビュー・書評
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やっぱり一番良いのは「山茶花」だろう。
「散髪して、ここまで来る途中で、何か忘れているような気がしたの。それで、ポケットに手を入れたら、お金がさわったの。三十円あるから、あ、これは切手のお金だ、あ、葉書だ、と思ったの。それで、しまったと思って、散髪屋へ戻ったら、ないから、もし落したとしたらどこで落としたのか、考えてみたら、家を出てから手に持っていた記憶が無いの。だから、落したんじゃなくて、家に忘れたんだと思った時、向うからお父さんがこんな顔をして、葉書持って、歩いて来たの」と終わる、この終わり方なんて、激シブの出来だ。特に息子に対して、「ア・ウオッチド・ポット・ネバー・ボイルズ」を教えるところなんかは、親父や、家族を失った人間からしたら、涙なしでは読めない場面だろう。母も父も、姉も。いつまでもいてると思った存在が、いつのまにか亡くなってしまうのだ。今でも、去年亡くなった私の姉は、「なにしてるん」といって、もしくは、「ただいまー」といって、ドアをあけて家に帰ってきそうである。いまでも、声まできこえて、「ただいまー」という姉の声が聞こえてくる。
河上徹太郎が、子供がいなくて、この庄野家の訪れを楽しみにしているし、毎回出し物をし続けて、息子は大学になっても劇の出し物をする、その交流には驚愕を禁じ得ない。どれだけ仲のいい家族なんだろうか。信じられない。ひとつの河上徹太郎論でもいいかもしれない。
相変わらず夏葉社はしぶい。いぶし銀の出版社である。
あと、セリフが非常に読みにくい。庄野潤三は声を再生しながら文章を書いている。なので、読み飛ばしてしまうほど、セリフが読みにくい。そういった文章である。 -
庄野潤三は不思議な作家だ。決して物語の筋で読ませるわけではなく、作家の身の回りに起きた事々を描いているだけなのに、外的要因、内的要因で傷つきささくれ立ち固くなった心にまるで慈雨のように言葉が染み渡っていく。1冊読了すれば、心は水を吸い込んだスポンジの様にしなしなと回復している。私は庄野潤三の文学を愛するひとりとして、この本がこんな不思議な作家に触れる端緒となれば、と願わずにいられない。最後の編者の文章で2012年に次男和也さんが早世されたのを知った。『明夫と良二』でおなじみの良二である。ご冥福を祈りたい。
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丘の上の一軒家に暮らす、妻と2男1女の5人との生活。この本のなかには、小さな家庭のよろこびが、たくさんつまっています。「こんな素晴らしい家庭をつくりたい」と読んだ人は思うのではないでしょうか。装幀は和田誠さん。持っていてうれしくなるような、函入の短篇小説集です。
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親子の何気ない日常、会話。子を思う親の気持ちが感じられる。みんな読んで~~
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生田の山の上へ行ったことがあったな
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夏葉社の本を読むのは2冊目かな?
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音や光、匂いまで伝わってくる様な、優しい小説。
日々のささやかなできごとのひとつひとつが、幸せなんだなぁとシミジミ。
静かで温かい本。 -
庄野潤三の家族小説集。『山茶花』を除き、全て文庫未収録の作品が選ばれている。
収録作は短編としても短めのものが大半だが、ちょっとした会話や景色が鮮やかに切り取られて、読んでいると気持ちがいい。特に親子の会話は暖かい。
収録作で最も長い『山の上に憩いあり』は、河上徹太郎との交遊を描いたエッセイ。ジャンルとしてはエッセイになるのだろうが、庄野潤三の家族小説のように暖かい味わいがあった。この時代の文士は家に招いたり招かれたり、人間関係が濃密だなぁ。
ずうっとどれかにコメントしたかったのですが、ここに決めました。
庄野潤三さんは岡崎武志さ...
ずうっとどれかにコメントしたかったのですが、ここに決めました。
庄野潤三さんは岡崎武志さんの本で知ったのです。
私が読んだのは「山の上の家」だけですが、心に残る描写がたくさんありました。
本当にどうということのない日常の一場面ですが、愛おしくてたまらなくなります。
日本にはこういう作家さんもいらしたんですよね。
もっと知られてほしい方だと思います。
ではでは、またお邪魔しますね。失礼しました。
コメントありがとうございますっ
いつもいいね、嬉しいです。読書の励みになります。
徹底して日常、徹底して家族。このブレな...
コメントありがとうございますっ
いつもいいね、嬉しいです。読書の励みになります。
徹底して日常、徹底して家族。このブレなさとある種の読みにくさはまるで堀辰雄の姿勢を思い出します。あたたかさが素晴らしいですよね。
またぜひコメント、いいねお待ちしております。これからもどうぞよろしくお願いします。