- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904816141
感想・レビュー・書評
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激しく生きる人て、いるよね。
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和子さん、そして筆者に会いたくなりました。
登場人物全てがどこか何か欠けているところがあり、人のことどころではないのにみんながみんなを思ってる。
本当繋がっている人たちのお話、という感じ。
何度も読み返したくなる作品です。 -
あらあらしく、うつくしい。胸がざわざわしながら…
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田村和子さんがどんな人だったのか分かる本。
これまでぼんやりとした想像でしかなかった和子さんが、実在した人として輪郭がくっきりした。
印象に残ったのは、ねじめ正一さんの『荒地の恋』を読んだ和子さんが「あの本のなかの私は嫌だな。わたしがすれっからしの女に書かれている。」と、作者橋口さんにプンプンするというエピソード。
私にはこのエッセイの和子さんも『荒地の恋』の和子さんもさほど変わりはないし、どちらかというと『荒地の恋』の和子さんの方が真面で可憐で、『いちべついらい』の方はかなり身勝手に思えるけれど.....。
作者の橋口幸子さんは田村和子さんと一緒に住んだり面倒をみていて、こういう人とよく一緒に居られるなぁと思った。それくらい和子さんは面倒な人。面倒な人だけど苦しいほどの哀しみをも感じる人。
和子さんのその風変わりな人柄は、父親が彫刻家高田博厚であることが影響していると思う。人格よりも才能があることが大事で、父親が一番の天才で二番目が夫の田村隆一さんだった。天才が身近にいるというのは精神的に何か影響を及ぼすと思う。
それに早くに優秀な母も亡くし、小学生の時には賢い妹も亡くしている。自分も16才~22才まで結核療養所にいた。死が身近にあること、死がもたらす深い喪失。
和子さんの身勝手さや我儘さはそういう背景の上にあるので厄介な気がする。 -
詩人に恋した田村和子の生涯。
田村隆一という詩人の何番目かの女性でありながら、
その自由奔放な生き様に耐え切れず北村太郎という彼の詩人仲間と駆け落ちをした。
それでも和子さんは田村の妻であったし、北村さんもすぐそばに住んでいて、「一週間に一度様子を見に行ってこい」と田村さんが和子さんに命じるような関係だった。
著者の橋口幸子さんは本編で「ユキちゃん」と呼ばれ、和子さんの晩年を大いに支える。だが、和子さんの奔放な人生に密接に付き合った結果、うつ病になってしまう。本書ではその理由についてとても丁寧に回避されているが、読者のいやらしい憶測を働かせると、彼女の旦那さんと、和子さんは何かしら関係したということだった。
何があったのかは明記されていないが、ユキちゃんはその後も和子さんと蜜月を重ねるのだし、もはや旦那さんの「だ」の字も出てこないのだから、不思議だ。
この本はそういう不思議なところがとても多い。
気になる文章は後々ちゃんと回収されるのだが(旦那さんのところ以外)、とにかくむちゃくちゃ読みやすいのであっという間にとんでもない事実をスゥッと通り抜けてしまう奇妙さがある。それはひとえに和子さんの生き方自体がそういったものなのだろう。
おもしろい、という表現が適切なのかはちょっとわからないが、興味深い、一冊だった。 -
生きていると、面白かったり滅茶苦茶だったり憎まれたり嫌がられたりもする。でも亡くなると、人は可愛く愛しくなる。
「珈琲とエクレアと詩人」を引っ張り出してきて、突き合わせてみる。「荒地の恋」もあれこれ思い出す。 -
さらさらと沁み入る、水のような本だった。
詩人田村隆一とその妻和子、和子の恋人の詩人北村との不思議な関係。そして彼らの傍で数十年に渡り和子を支えた著者、橋口幸子。多情な和子は幸子の夫とも関係があったことが仄めかされる。それでもかけがえのない女友達としてそばに居続けたふたり。
数十年に渡る怒涛の日々がみな昇華されて、いまは全てが愛おしい記憶。人と人との間のことは、本当のところは本人たちにしかわからない。当の本人だって只中にあってはきっとわからない。そして今こんなに素敵な本となったのだ。
長く余韻を残す。 -
2015/08/23 読了。
《珈琲とエクレアと詩人》のあとに読みました。 -
田村和子さんの記憶が薄れないうちに書いたという本。才能ある二人の詩人や著者とのありありとした日常が描かれています。和子さんは自由奔放な感じですか、愛情深く著者に心を許していたのだと思います。静かに心に残る本でした。
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誰かが誰かの人生に大きく入り込んでくることの息苦しさと、よろこび。つらく、苦しいことのほうが多いのかもしれないけれど、憎悪や嫉妬も渦巻くのかもしれないけれど、その人自身の魅力や孤独や哀しみに触れてしまうと愛おしくなってしまう。そんなことが、行間から伝わってくるものだから、読み終わったあともずっとずっと余韻が残る。響く。文章はとてもシンプルで易しくて静かだ。つらいとかかなしいとかさみしいとか、そういう言葉を使っていないからこそ、余計に、沁み入ってくる。著者が見た「和子さん」が稲村ケ崎の景色とともにいきいきとよみがえってくる。お会いしたことすらない私の中にすら、和子さんのあっけらかんとした笑い声が響いている。