デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂
- PLANETS/第二次惑星開発委員会 (2018年6月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784905325093
作品紹介・あらすじ
いま最も注目の研究者にしてメディアアーティスト、落合陽一の最新作!
十分に発達した計算機群は、自然と見分けがつかない――
デジタルネイチャー、それは落合陽一が提唱する未来像でありマニフェストである。
ポストモダンもシンギュラリティも、この「新しい自然」の一要素にすぎない。否応なく刷新される人間と社会。それは幸福の、経済の、民主政治の再定義をもたらす。新たなるパラダイムはここから始まる……!
感想・レビュー・書評
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本書のタイトルのデジタルネイチャーとは、ユビキタスコンピューティングやIoTといった、現在のあらゆるところにネットワークがあり、様々なものがネットワークに接続されている状況からさらに先の、あらゆるものがデータとして計数され、人工と自然の区分のなくなったような未来像を表す言葉である。
本書に書かれるようなユートピア的な面が実現されるかはともかくとして、現在はその途上にあると感じたところもあるのだが、
以前に1度読んでいて、また読み返そうと思ったのは、生成AIがここまで一般になった今、END to ENDという言葉が、事象が事象に変換され、始端と終端だけで中間の意識されない状態が、生成AIを使っている感覚にぴったりときたからなのだが、
その点やっぱりその時先端を行っていたような人は、こうなることを知っていたのかなと思うくらい、以前に読んだときよりも今の状況に近いことを言っているようにも思う。
AI忌避やAI禁止を言う人をよく見る。
みんながAIを使わない時代にAIを使うのは、利得を得やすい。
AIが当然となっていくなかで、使わないという選択肢は、AIにない強みに特化していくのなら、利得を得られるだろうが、
現状が過去の遺物となりゆく中で、過去の遺物にすがるだけで、新たな強みを作っていかないのなら、
ただ衰退していくだけだ。
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方向音痴の私にとって、はじめて行く場所ではGoogleマップが欠かせない。とくに地下鉄の駅から上がった後では、文字通り右も左もわからない。スマホ画面上の青い点がどちらに動くかを見て、自分が正しい方角に向かっているかどうかを判断するしかない。
そんなとき、私は自分が現実の道路を歩いているのではなく、本当はGoogleマップの中を歩いているのではないかと錯覚することがある。つまり、感覚器を通して捉えられた世界よりも、この仮想空間の方がはるかに「信頼できる現実」なのだ。このような仮想と自然(現実)の融合を、著者は「デジタルネイチャー」と呼ぶ。
私は昔、「ヴァーチャルは現実を超えるか」というエッセイを書いたことがある。現実以上に精緻なヴァーチャルが出現したら、価値基準においてヴァーチャルは現実より上位になるのだろうか。そのような疑義を投げたのである。しかし、ヴァーチャルと現実が融合してしまうという可能性には思い至らなかった。著者の洞察力は評価に値する。
本書はデジタルネイチャーの系譜と、それがもたらす未来を論じた本である。これを絵に描いた餅と一蹴するのは拙速だろう。たしかに、著者は私よりも若いが、本書に書かれていることの少なくとも半分は、生きている間には現実化しない公算が高い。だが残りの半分は、われわれが議論している間に現実となってしまうだろう。だから、これらはもはや「今後どうすべきか」という話ではない。いま考えて当然の話なのである。終章で触れられるような、身の回りの技術への応用という面でも著者の活躍を期待したい。
さて、これだけ褒めたのだから、悪口も書かせてもらおう。
読む前から「どうせ気障ったらしい文章を書くんだろうな」とは思ったが、想像以上に想像通りでむしろ笑った。
うんざりするほど脚注が多く、左側のページはつねに脚注があると言っていい。要するに、この本の3分の1は「いま言わなくていいこと」である。実際、ググれば済む程度のことしか書いていなくて、本当に紙の無駄だ。
シラーの詩を原語で引用しながら訳出していないのは、「僕はこのくらいのドイツ語は読めるんですよね。みなさんは読めないでしょうけど」とでも言いたいのか。著者は出典を電子版シュピーゲルのURLしか記載しておらず、リンクが切れているので何を見て書いたのかは知るすべがない。だが、この詩はシラーがデンマーク王子に宛てた書簡が原典と言われており、こんなマイナーな詩をわれわれが知っているのは、みなとみらい駅に設置された巨大なパプリックアート「The Boundaries of the Limitless」に刻まれているからである。
つまり、ドイツ文学者でもない著者がこの詩を知っているのも、このアートを見たからと考える方が蓋然性が高い。だったらなぜ素直にそう書けないのか。もしかするとGoogleで検索してヒットしたページを参考文献として記載したのではないか。シラーをドイツ語で紹介するなら、なぜヴェーバーやマルクスは同様にしないのだろう。私は著者にドイツ語の知識があるのかさえ疑っている。まあ、フリードリッヒ「フォン」シラーなどと書いている時点で、シラーを読んでいないのもバレバレだが。
本書の内容を十全に理解しているという自信は私にはない。だが上の一事だけを見ても、著者の該博な知識が張りぼてのスノビズムではないかという疑念を抱かせるに十分だ。
内容は面白い。ただし、文章力が大学生のレポート並みだ。せっかく中身のあることを書いているのだから、カッコつけるよりもまず誠実な文章を書け。それなら他の著書も読んでやらないことはない。 -
自分が出会わない言葉で私たちが生きる世界の実像の根幹を解説していく手法は作者の真骨頂と感じた。私のような凡人の頭では文字を追いかけていくのがやっとで、自分の中にない言葉が宙に浮いたようで、抽象的かつぼんやり理解できたように感じさせられてしまう。まさに異世界に触れたという感覚。何冊かの読書の合間に読むと愉しく読めそう。
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ものすごい量の注釈が物語っているが、専門用語やカタカナ語を多用し一見分かりづらいが、落ち着いて読めば理解できる内容。経済産業とテクノロジーの進化により、人々の生活がどのように変化してきたかの沿革を落合流に解説し、その先の未来を提示する。
現実とテクノロジーが限りなく境目なしにつながり、まさに「デジタルなネイチャー」な世界になるという。それは単なるIoTということでなく、ホログラムやトランスニューマニズムの延長になる。究極は、人間とは意識であり、それをクラウド化すればあとはロボットやバーチャルが世界を成り立たせるというあり方。
確実にその方向に向かっているが、果たしてそれは幸せなのか。 -
『超AI時代の生存戦略』を読んで興味を持ったので借りてきた。こっちは難しめ。こちらもわかりみは多かったが、抽象的すぎる。(2018/9/4)
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魔法の世紀から3年経った2018年に執筆された、続編というかアップデート版というか。すでに2020年なので未来館等の仕事を経て落合氏の中では更にアップデートが進んでいるんだろうなと思うとゲンナリする。まじですごい。
この2冊は基本難しいのだが、なぜか途中で諦めようという気にならず、辛い気持ちになる事なく文字を追い終わり、半分くらいはわかった気になれる。
とりあえず自分が勉強不足であることを痛感させられるので、意識は高くなる。もう少しディープラーニングとか和風の美意識について知ってから再読したい。 -
「侘びと寂び」とあるのでもっと人文系の内容を想像したが、AIを含むITの現在到達点を基に近未来のITと人間の関わりや人間社会の近未来像を冷徹に推測した部分が大半となっている。
「侘びと寂び」は冒頭部分と巻末部分にだけ著されているが、著者の辿ってきた道筋がわかるようで興味深い。