ゆかいな仏教 (サンガ新書 60)

  • サンガ
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  • Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905425571

感想・レビュー・書評

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  • 14.05.14。
    大澤さん、ウザい。

  • いやー、これは難しかったですね。前半部分は「悟る」こととは何かわかりやすく解説してくれていてまだ理解できたんですけと、大乗仏教あたりから一気にわからなくなった。基礎知識がなかったのでついていけなくなったのだと思います。

  • 仏教の初期から大乗、密教まで。仏教の思考法と近代の哲学やキリスト教、イスラムと比較して理解を深める。

  • ほかの本を優先するため45%くらいで断念。
    二人の知識人がかなりディープに仏教について論じている。事前知識がないと読めない類の本。
    キリスト教ユダヤ教ヒンズー教バラモン教との比較の観点が面白い。

  • p.38

    偉大な数学者たちが、これまでに様々な証明法や定理を発見してきた。
    ユークリッドやゲーデルやペレルマンなど。

    彼らは数学的な真理を発見したのだが、そこで重要なのは、発見された定理や証明法であって、大数学者たちの人柄や人物像ではない。

    ブッダの悟りもこれと同じ。

    ブッダその人が、イエスのように信仰の対象になるのではなく、ブッダが覚った「幸せに生きるための真理」の方が、より重要なのだ。

    p.42
    ユダヤ・キリスト・イスラム教の預言者たちは、神の言葉を人間に伝えるメッセンジャーに過ぎない。
    だから、預言者は、他人を救わない。
    他人を救うことができるのは唯一絶対の神だけ。

    ブッダは、本人を救う。
    本人を救う方法を、誰にでも伝えた。
    他人を救うのは、ブッダではなく、その人本人なのだ。
    ブッダが彼自身を救ったように、一人一人の人間が、幸せになるための真理を覚って、本人を救う。
    これが仏教。

    p.44
    ブッダは人間が、人間のままで、苦しみを乗り越え、幸せの境地に生まれ変わった姿である。
    このことに集中している仏教は、したがって、神には関心がない。

    仏教は、一神教とは無関係である。
    ヒンドゥー教とは敵対関係にある。
    政治的である儒教とも違う。
    民族の神々を拝む神道とも違う。

    仏教は、徹底して合理的で個人主義的な人間としての生き方である。

    p.48
    仏教は、バラモン教、ヒンドゥー教の中から、それらの教えを否定する形で生まれてきた。
    つまり、カースト制度、身分制度を否定したのが仏教。
    「生まれによってバラモンになるのではない。
    行いによってバラモンになる」

    これは、キリスト教が、ユダヤ教の律法主義を否定して生まれてきたのと、似てる。

    ヒンドゥー教は、Aという神がBやCやDという神の化身だったりする。この論理によって、ブッダも、ヴィシュヌ神の化身のひとつである主張するようになり、仏教がヒンドゥー教に吸収されてしまった。
    ただし、この理屈はインドでしか通用しないので、南伝や北伝の仏教は、そのまま残っている。

    インドから仏教は消えたが、後から入ってきたイスラム教は広がった。イスラム教が仏教を駆逐した、という説もある。
    p.118
    ゴータマ・ブッダの時代から、インドには、哲学マニアがいっぱいいた。彼らは、複雑な思想の構築物を作り続ける。
    しかし、ブッダはミニマリストで、そういう構築物には興味が無かった。
    ところが、その単純を好むブッダの教えを、インド的な哲学マニアたちが、複雑な構築物にしてしまった。これが、部派仏教。

    ブッダは形而上学的思考に走る人々を戒める。

    『華厳経』は3世紀頃、編纂された?
    『華厳経』には唯識説の部分がある。

    p.138
    大乗仏教は慈悲を重視するが、それ以前は、それほどでもなかった。


    橋爪大三郎は、日本ではルーテル派のクリスチャンであり、アメリカではユニテリアンであり、奥さんが中国人であり、マックス・ウェーバーの社会学をベースにした社会学者であるんだけど。
    つまり、どの立ち居地から発言してるか、よく分かるんだけど、大澤は、いったい、なんなのか、意味不明。
    大澤の言ってることって、単なる物知り博士のタワゴトにしか聞こえない。

  • 存在とは意識するから存在するものでありいずれ全てなくなるものであり、意識がなければ存在もない、つまり全ては空であるってなんか回りくどくってこんがらがってよくわからないけど全ては心次第なのですね
    悟りたいという心を持つ限り悟れないというメビウスの輪
    輪廻する限り仏にはなれなず、輪廻のループからどうして飛び出すか?
    善行ポイントとは?そもそも善行とは?
    尽きない悶々。またそれこそが捨て去るべき煩悩。深すぎます。

  • 前著で対談しているからですが、キリスト教と比較した部分がしばしば顔を出しますし、西洋哲学と比較したところもありますので、仏教だけを熱かったものではありません。そして仏教全体をこれでわかった気になってはいけないのはもちろんですが、それでもキリスト教などと比較した時の仏教の姿というのはよくわかりました。ただ個人的には、仏教にしろキリスト教にしろ西洋哲学にしろ、人がよりよく生きるためにあるはずなのに、どうしてこういう思弁的な方に入って行ってしまったのだろうと感じます。龍樹やキリストなどよりはるか以前に、中国では「衣食足りて礼節を知る」という、きわめてわかりやすい処世訓が生まれていたというのに……

著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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