ゆかいな仏教 (サンガ新書 60)

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  • Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905425571

感想・レビュー・書評

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  • 2015.8.3仏教とは一体なんなのかを、対談形式で明らかにしていく本。主に、世界的な普遍宗教であるキリスト教と比較することで仏教を明らかにしている。キリスト教は、神が人間となり、その間には預言者がいて、そのベクトルそのものはイエスである。仏教は、人間が超越者=仏となり、その間には菩薩がいて、そのベクトルそのものはブッダである。また仏教の定義として、ゴーダマが、覚って、ブッダになった、これだけしかない。仏教にはキリスト教や他の宗教のような教義、ドグマがなく、故にこのシンプルな、ゴーダマ覚ってブッダという本質以外は、様々なものに置き換えが可能であり、よって出家者による小乗、在家者による大乗、密教など様々な方法やルールをもつ宗派がでてくる。しかし共通ゴールは、覚ることなわけだが、この覚りというのも、言葉では語ることができず、それはこの世界のルール、原理を知ること、故に私はその原理と同一だということ、私は宇宙だと了解すること、なのだという。この覚りについてや、また空という概念については、正直よくわからなかった。いやわからなくて正解なのだとも思う。わかったら私は覚っているわけで。仏教はこのように、とにかく自分が幸福になるためのもの、故に個人主義で、このシンプルな本質以外はどんな手段でもルールでもOK、故に自由主義で、輪廻などの生物学的進化学のような概念など、確かな因果関係により思想的構造を説明している(理解は難しいが)、故に合理的で、そしてアンチヒンドゥー、アンチ小乗としての仏教にあるように、誰もが覚れるという、非常にポジティブなものであり、故に理想主義である。宗教が人間の不完全さによる不幸から人間を救うために生み出されたものなら、前提としてまず神を信じるというタイプのような、ある意味非合理的な宗教より、人間が努力により(それは半端ではない、一回の人生では終わらない努力だが)超越者になれるという仏教的な考え方の方が私は好きである。本著は例え話も多く、ところどころで多少難解な概念や哲学的な話が出つつも、全体的には非常にわかりやすく、仏教に対するイメージの変わる一冊である。ただ個人的には、仏教の思想を自分の人生や人格形成に活かしたいという動機の元、この本を手に取ったので、仏教という宗教について語られたこの本は私の関心とは若干外れていたようにも思う。しかし、十分におもしろかった。日本は約1500年ほど前に仏教を取り入れてからずっと影響を受け続けているわけで、我々のもはや意識すらできない当たり前の価値観の中にも、仏教的世界観によるものがあるはずである。そういう意味でも、ぜひ一読をお勧めする教養書である。

  • 以前に読んだ、「不思議なキリスト経」に続いての本書
    キリスト教の本もそうでしたが、2人の掛け合いは
    とても面白く、テンポよく進んでいくので読みやすい
    と思います。
    ただやはり少し難しい部分があるのと、宗教の枠を
    超えて哲学の内容、ソクラテスやカント、ウェーバー、
    ヴィドケンシュタインなどいろいろな内容が織り
    交ざってくるので、何度か読み返えさないと
    理解できなくなるところも多いのも事実です。

    また、仏教の初期から龍樹あたりまでで少し密教が
    入ってくるくらいの内容なので、仏教が中国に渡り
    日本でどういう進化・変化がされたのかは今回は
    あまりふれられていません。この部分については
    また次回やその後でも対談があれば面白いだろうなあ
    と思います。でも次はイスラムかな?

  • キリスト教のほうは面白かったんだけど、こちらはなぜかあんまり読めなかったなあ

  • 文句なしに面白い!冒頭にあるように、日本人であれば「仏教」に対して何らかのイメージは誰でもがもっているはずだが、なかなかその内実はほとんど知らない人ばかりではないか。そんな仏教に対して「へぇ!」の連続。強力におススメの一冊。それにしてもこのコンビの碩学ぶりは本当にすごいです。

  • 14.05.14。
    大澤さん、ウザい。

  • 仏教の本質を一神教と対比させながら、丁寧に解説してくれる対談。初心者にも理解できるよう、分かりやすい比喩を使って面白く語ってくれる。
    キリスト教などの一神教は、ある意味単純で分かりやすいが、非合理的。それに対して仏教は、矛盾がなく合理的だが、精神世界を主題としているので、理解するには哲学的な説明が必要で、少し難解な印象を受けました。しかし仏教は、合理的かつ究極の真相が隠されているため、自然科学が発達した現代にも対応できる柔軟性を持ち、今後も継承されていく価値があると感じました。

  • いやー、これは難しかったですね。前半部分は「悟る」こととは何かわかりやすく解説してくれていてまだ理解できたんですけと、大乗仏教あたりから一気にわからなくなった。基礎知識がなかったのでついていけなくなったのだと思います。

  • Youtubeで養老孟司(解剖学者)、織田顕祐(仏教学者)、福岡伸一(分子生物学者)の10年くらい前の大谷大学での対談(第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-仏教と生命-いのちのゆくえ-)を見て、仏教に興味を持った。
    仏教においては自分と他者の境界が曖昧、というような話からであったと思う。
    自分を意識し過ぎて辛いことや
    自分を守ろうとする気持ちが強すぎて嫌になること
    があって、もう少し気持ちが楽になれば、という思いからだ。

    『ふしぎなキリスト教』が面白かったのもあり、仏教もざっくり全体を掴みたいと思って、本書を読んだ。
    そして大変満足した。
    内容も面白かったし、これだけで十分ではないだろうが、今後の学びのとっかかりになると思う。

    仏教は、ドグマ(教義)がなく、下記の通り定義に関わる本質がとてもシンプルなため
    派生しまくって裾野が超広いというのが面白く、またおおらかでいいなと思った。
    また、一神教と違い、それを認めることで他を明らかに否定するという対立がない。
    昔、フランス人の年上の友人が「仏教はいいよ。他の宗教を排除しないから」と言っていたのがよく分かった。

    肝心の「自分と他者」のお話について。
    「覚り」を目指すのが仏教なのだが、
    「覚った状態」では「自分や他者」という実体はなくなるのだそう。
    実体はない、この世界は偶然の要因の組合せでできたかりそめのもの、心が作ったものだと。
    あるいはそういうことに気づくことが「覚り」。
    しかしそれを徹底しすぎてニヒリスティックになるのではなく、
    (特に大乗仏教では)輪廻の中でいつかは覚れるから、覚りを目指しつつも焦らず
    功徳を積みましょうよ、というちょっとゆるい感じも気に入った。
    この思想についてはもっと深めたいが、とりあえずは方向性を理解。
    メタ的な視点で
     今の生活の自分も他者も気に入らない現象も、所詮かりそめの蜃気楼のようなものなのだから
     いいことがあれば喜べばいいし、悪いことがあっても気にしない
    と思えればいいのかな、と思う。


    面白かった内容

    ・仏教の定義 :「ゴータマが覚った(ブッダである)ことを認める」そしてそれを追体験しよう[最低限の定義。ドグマがなくゆるい]
    ・ブッダ(仏)とは、覚った人のことで、釈迦仏は悟ったゴータマのこと
    ・不完全な人間、という前提は他の宗教と同じだが、神や政府の力を借りずに自力で完璧になれる、という人間中心主義、個人主義、自立的 [←西洋の方が個人主義的、人間主義的な感じがするという直感に反する]
    ・インドには仏教以前からバラモン教、それを受け継ぐヒンドゥー教がある。
     仏教はそれらへの「反発」(バラモンでなくても覚ることができる)があるが
     一方、覚りのために出家して在家に頼らざるを得ないという構造上、それらへの「依存」もある
    ・インドで生まれた仏教が現在インドで廃れたのは、様々な(でも実は一つの?)神を信じるヒンドゥー教に取り込まれたから?
     ゴータマ・ブッダはヴィシュヌ神の化身であるという主張
    ・自分と世界を切り分けて考えるから「苦」(思い通りにならない苦しみ)が生まれる。
    ・仏教は構造主義的。客観的な実在に見えるものは、それぞれの心が作ったもの。心中心主義→唯識説へ
     現実そのものに引きずられるのではなく、人間の心の持ちようによって問題を解決していく
    ・出家しサンガ(僧)になることでしか覚れないとする小乗仏教(部派仏教)に対し、大乗仏教は在家でも修行は可能と主張
     在家にいて、覚る(ブッダになる)直前の存在が「菩薩」
    ・小乗仏教ではブッダは一人であったが、大乗仏教で釈迦仏以外のブッダ、あるいは菩薩がたくさん考えられるように
    ・一度覚るぞと「発心」したら修行を続け、覚ることで涅槃へ至る。輪廻からの解脱は後付け?
    ・生き物は皆「仏性」があり、輪廻を繰り返す中でいつかはみんな覚ることができる。
    ・覚りは人から与えられるものではなく、菩薩の助けを借りたりしながらも、自分自身で覚るもの(個人主義、合理主義)
    ・インド人は歴史に興味がない(経典の出自や作者、記載年などが不明なことが多い)。反対に中国人は歴史大好き。
    ・インド人は哲学好き。オタク。そして仏教もそれ(考えること)を推奨。
    ・インド人はめまいがするような時間や概念に魅惑を感じている。(e.g. 釈迦仏の次は56億7千万年後)
     一神教と異なり「絶対」という概念がない

    ・仏教は今は日本において廃れているように見えるが、日本人の自己理解に役に立つのではないか
    ・仏教は現代においても全く古臭いものではなく、相当に合理的なものである。
    ・キリスト教的な概念に支えられた近現代社会の基本的な仕組みが立ち行かなくなっている今、
      仏教的な発想を検討する価値があるのではないか。

  • ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と違い、仏教には決定的な教義がない。
    仏教諸派において唯一共通の「ブッダが悟った」ということで、悟りの内容は言葉にできないので実際に悟ってみないとわからない。
    そこから様々に解釈することができ、部派仏教、大乗仏教、密教と派生していく。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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