感想・レビュー・書評

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  • 季刊誌『サンガジャパン』の別冊が刊行されました。仏教瞑想の特集です。
    瞑想はスポーツジムでも取り入れられており、身近に仏教を体験できるもの。
    表紙は、日本にテーラワーダ仏教伝統のヴィパッサナー瞑想を広めたスマナサーラ師の横顔です。

    瞑想や座禅は、日本人なら誰でもやったことのあるなじみの深いものですが、本格的な実践法についてはあまりわかりません。
    ただ、日常生活の一つひとつの事柄に心をこめるという意味で、和歌、武士道、作動、能楽などの日本芸術との共通点が感じられます。
    この別冊には、初心者向けの基本用語から、上級者向けのミャンマー瞑想道場の紹介まで、理論と実践を織り交ぜた情報が幅広く掲載されています。
    普段、個人で行う瞑想は「精神集中→心を落ち着ける→リラックスする」というところで終わりがちですが、仏教瞑想は、リラックスした状態でさらに「物事のありのままを洞察する→思い込みを手放す→真実を受容する」という境地を目指すもの。

    日本では、瞑想といえば仏教が連想されますが、ほかの宗教でもそれに近いものはあり、イスラームのスーフィズムでも、トルコのメヴレヴィー教団の旋回瞑想が知られています。
    宗教の違いがあっても共有しているものが、祈りや瞑想だと言えます。

    また、西洋仏教の中では、仏教瞑想はマインドフルネスとして、医療現場にも受け入れられています。
    マインドフルネスという概念は英語圏から出たものかと思いきや、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師が広めた言葉だとか。
    哲学だけでなく、心理学や医学にも近い領域となっています。

    仏教で目指すべき悟りとは、感覚に対しての執着を捨てること。
    病気の苦しみにもとらわれずにいることです。
    よほど修行を積まない限り、病魔に冒されていてもクールでいられる人は少ないと思いますが、仏教にはほかの宗教のように、病気を治すという話がないのだそう。
    治したところで結局は死んでしまう有限の私たちなので、病気を治すことに意味はないとのこと。
    病気にこだわらないことが仏教の教えとなっています。

    悲しみを嫌だと思う感覚は怒りとなり、楽しみを心地よいと思う感覚は欲となるとのこと。
    そのような無情の感覚に引っかかってはいけないと説きます。
    ブッダが唯一アドバイスをした「心を清らかにすること」が、すなわち悟りを意味します。

    無心でいることはとても難しいものですが、逆に現在の主流となっている「折れない心」や「ブレない自分」を求める気持ちは、仏教の観点からすると過剰なのだそう。
    自分は完全ではなく、折れるものだしブレるものだという弱さを受け入れることが、生きていくうえで必要で、その理解に瞑想が適しているとのことです。

    どうしても人は感情に振り回されてしまいますが、悟りきった無の境地に捉えられない以上は、その苦しみから目をそらさず、ありのままに見つめてゆくことで、真の意味で苦しみから解放されるというのが、ブッダの思想。
    苦しみを見つめ、耐えてゆくことで、乗り越える強さを得られるということです。

    「折れない心」を目指すことで無理を重ね、逆にポキッと折れてしまう脆さがみられる現代社会。
    瞑想は、リラックスや精神集中にとどまらず、弱さを認め、苦しむ自分ととことん向き合うもの。
    そう考えると、瞑想とは、実はなかなか普段は機会のない、自己との対話をするひと時なのだと思いました。

    仏教瞑想の歴史的背景や現代における実践状況について、くまなく網羅された一冊です。

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著者プロフィール

1960年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科単位取得満期退学。博士(文学、東京大学)。現在、東京大学人文社会系研究科教授。主な著書に、『中世初期南都戒律復興の研究』(法藏館)、『日本仏教の教理形成』(大蔵出版)、『仏教瞑想論』『日本仏教史』(春秋社)など。

「2018年 『日本仏教の展開 文献より読む史実と思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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