- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784906388875
感想・レビュー・書評
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沖縄在住小説家・目取真俊が琉球新報、沖縄タイムスに寄せた発言を中心にまとめた時評集。巻末には掌編小説6篇も同時収録されている。辺見庸に「まるで生きのいい蔦」と評される彼の言葉は、地を這うようにして、いつのまにか浮ついた言葉しか発することのできなくなっていた私の足をすくい取った。
—「こと」が終わってから書くのではなく、
「こと」が起こっているさなかに、
あるいはその前に書くことを大切にしたかった。(本書後書き)
「こと」のさなかに行動すること、思考すること。これがどんなに困難なことであるのかは、言わずもがなでしょう。「こと」のさなかに自分が投げ込まれているのだと自覚することからして難しいのだから。この人はこともなげに難なくそれをやってのける。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1990年代後半から2001年5月までの目取真俊の時事評論と6篇の掌篇小説がまとめて読める一冊。
2000年は特に、サミットについての記述が目立つ。
2000年4月から沖縄に住み始めた私にとって、沖縄サミットはなにがなんだかわからないうちに頭の上を通りすぎた台風のようなものだった。戒厳令状態に確かな反発を感じながら、胸にわだかまるものを言葉にすることはできなかった。
今、あらためてその年をふりかえり、自分があまりにも大きな状況を見過ごしてしまったことに愕然とする。
そして、もっとも素直に心に落ちてくるのは1999年7月3日に「琉球新報」に掲載された「記録された声」という文章だ。コザ暴動の映像に触れながら、他者の体験を<記憶>として継承することの可能性について述べられている。他者の声、他者の体験から生じる意味を考えることが、今、確実に必要な営みなのだと思う。 -
1999年から2001年までのエッセイと、掌編小説が数編、掲載された本だ。
今から10年ほど前、この頃から日本が急激に右に傾いてきたのだということが再確認できる。政権が変わって、少しはそのスピードが緩んだのかもしれないが、油断はできないと思う。
しかし、14年前から普天間基地の移設のことで大きな問題になっていたことを知らなかった自分は、かなり恥ずかしい。
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