死刑のある国ニッポン

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  • Amazon.co.jp ・本 (420ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906605576

感想・レビュー・書評

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  • 「死刑賛成」派と「死刑賛成派」の対談。
    私は「反対派」。なぜなら、冤罪で殺される可能性もあり、
    「死刑になりたいから」と人を殺す人間が増えてきたからだ。死刑を廃止すれば、そういう考えもなくなるだろう。

    とても重いテーマなので、気軽に読める本ではない。だが、読む価値はある

  • 今現在日本にある死刑制度。あなたは廃止派?それとも存置派?じぶんはこっちと思っても、これを読むともう一度考え直してみたくなる。藤井氏と森氏の長い長い対話。答えは出ずとも考えていくべき事案。

  • 死刑廃止派と死刑存置派の対談本だが、基本的にはこの両者の言い分は変わらない。しかし、それなのになぜ両者の結論は違うのか。それは「罪を犯した人の命」についての考えが違うからである。

    この本は犯罪や刑について「一体、だからどうしたわけ?何が言いたいわけ?」と思いたくなるほど多角的な面から議論しているのと、同じ話が何度も出て来て結局すっきりとした一本の線にならないのは、「死刑」ということがこれだけ語り尽くしても尽くせない制度だからではないかと思った。

    ただ、正直、最終章だけ読んでもいいのでは?と感じたことも否めないが、長い前振りあってからこその最終章とも言えるような気がするし、なんとも評価しがたい本である。

    ただ、この二人の他の著書を読んでみると、この人達の発言の根本のところが分かるかも知れないので、何冊かずつ読んでみたいと思った。

  • 本書の中で、「廃止派」森の問いに対し「存置派」である藤井が答えを出し切れていない部分が二つある。
    一つは応報感情を死刑存置の中心根拠にすえた場合、被害者に遺族がいるかどうかで刑が変わってしまうのか、それは罪刑法定主義に抵触しないのか、という点。
    また一つは冤罪の不可避性の問題。
    抑止力という根拠が、もし実態を持たないのであればこの二つの論点はかなり大きなものとなってくる。

  • 「憎悪は人の心を内側から蝕みます。人を憎しみ続ける人生、誰かの死を願い続ける人生、それが豊かなはずはない」と言い、死刑廃止を訴える森さんと遺族に取材を重ねる中、論理を超えたところで存置派を貫く、藤井さんとの対談集です。
    たぶん、自分と同じように死刑や裁判、刑事事件などと直接かかわった事のない人は森さんが藤井さんを圧倒してるような読み感を抱くでしょう。でもそんな中でも折れない藤井さん。そんなのが印象的でした。
    しかも、廃止・存置両方に共通する今の司法の問題点。それもまた印象的です。
    もし、裁判員などの選ばれるような事があれば読んでみてください。

    あっ、こんな難しそうなのが嫌な人はこちら を
    http://ameblo.jp/no-ressentiment/day-20100621.html

  • 死刑存置派と死刑廃止派のお二人が激論を交わす本。
    死刑の意味、実情、冤罪、被害者感情などよく分かる。
    どってがいいのか悩んでしまう。
    でも、日本にこの制度があるなら、主権者である国民1人1人が考えないといけない問題だと思う。

  • 死刑廃止か存置か?単純な二択ではない。
    私は知識が少なすぎてはっきりと答えを出すに到っていない。

    結局は感情、情緒が選択するんだろう。

  • 死刑廃止か 存続か読んだ後も どちらが自分の気持ちかまだ答えが出せずにいますそれを考えることが 大切なのだと自分を甘やかしています。

  • 森氏の論旨はもっともで、読み進めると藤井氏は段々廃止に傾いていくように思えた。

    それでも私は廃止には反対だ。

  • 木曜(11/5)に『罪と罰』を読み、金曜(11/6)に『死刑でいいです』を読み、昨日はちょうどリクエストしてたのが届いたので『死刑のある国ニッポン』を読んだ。むずかしい、むずかしい、むずかしい。

    『死刑でいいです』は、「孤立が生んだ二つの殺人」というサブタイトルをもつ。16歳で母親を殺し、少年院を出て再び大阪の姉妹殺害事件をおこした山地悠紀夫(ことしの夏に死刑執行された)を追ったルポである。再犯を防止するヒントを見つけたいという思い、そして"他人に共感しづらく「反省」という気持ちを理解するのが難しい"山地の特性を理解し、そういう人の孤立を防ぐにはどうしたらいいかを考えたいという思いをもって続けられた取材をまとめた本。

    ひとつの論点は「反省なき更生」である。

    ▼日本社会はまず「反省」を求める。しかし、山地のように反省が難しい人には無理に迫るのでなく、再犯防止を優先した矯正教育で更生させるべきだという考えが出始めている。いわば「反省なき更生」ともいえる考え方だ。

    その後に、少しずつ反省の心を理解できるよう訓練できれば、悲劇は減らせるのではないか。「死刑でいい」と考えて人を殺す人間に、厳罰化は抑止効果がない。(p.227)

    『死刑のある国ニッポン』は、藤井誠二と森達也の対談集。『罪と罰』の鼎談のなかで、ずいぶん森達也がけなされていたので、その鼎談に加わったひとりと藤井と、森の対談は、どんな話になるのかと、半日ほどかけて読んだ。

    死刑廃止から存置への「転向」派だという藤井と、結論を出すことは苦手だけれどこれについてはもう惑わない、悩まないという死刑廃止派の森。

    藤井は、この10年あまりずっと、とくに殺人事件の被害者遺族の取材を続けてきた。

    ▼藤井 …被害者遺族を取材してわかったことの一つは、「彼らの究極の目的は死刑だ」という、社会の勝手な思い込みがあるということ。死刑廃止論者の大半もそう思い込んでおられたのではないかと思います。

     死刑という加害者への罰は遺族の方にとって最終的な「目的」じゃなくて「途中経過」。ぼくはよく「被害後」というコトバを使うのですが、遺族らが長い被害後を生きるうえで、いったい死刑は心境にどう影響を与えるのかということが、社会は全然わかっていないと思った。(pp.46-47)

    森は、得体の知れない、わけのわからない集団と思われていたオウムを、信者の一人を追うかたちで『A』、そして続編の『A2』というドキュメンタリーにまとめている。その、オウム以後の"セキュリティ意識"についてこんな風に語る。

    ▼森 …僕は「許せない」というフレーズがとてもシンボリックだと思うのだけど。最近では事件が起きるたびに、誰も「許せ」などと言っていないのに、メディアも政治家も一般市民も「許せない」と口走ります。ずっと不思議だった。何に対しての否定形なのか。

     最近になって気づきました。この否定形は、寛容だった過去に対してです。かつてなら許せたけれど今は許せないとの意識の表れです。このセキュリティ強化の意識のひとつの帰着点が、死刑判決と執行の増加です。(pp.144-145)

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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