1951年、山口県生まれ。本名、吉田光雄。高校時代からアマチュアレスリングで頭角を現し、特待生として専修大学に入学。1971年には韓国レスリング代表としてミュンヘンオリンピックに出場。1974年、新日本プロレス入門。1982年10月8日の「噛ませ犬」発言で、「革命戦士」として一躍ブレイク。藤波辰巳との「名勝負数え唄」を繰り広げるなか、「維新軍」を結成。1984年9月、新日本を退団。ジャパンプロレスを設立し、全日本プロレスに主戦場を移す。1987年のジャパン崩壊後、新日本に復帰。1990年代に入ると、現場監督としてドーム興行を連発するなど、新日本躍進の原動力となる。2002年5月、再び新日本を退団し、翌2003年に新団体・WJを旗揚げするも2004年に崩壊。2005年にはリキプロ所属のまま、現場監督として新日本へ2度目の復帰。2018年からプロデュース興行「POWER HALL」をスタートさせた。
「2020年 『シュートマッチ プロレス「因縁」対談 10番勝負』 で使われていた紹介文から引用しています。」