囚人番号432マリアン・コウォジェイ画集―アウシュヴィッツからの生還

  • 悠光堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906873937

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  • 画面を埋める人、人、人。
    身体はやせ衰え、目ばかりが目立つ。
    大きく見開かれた目は、深い淵を覗き込むように虚ろだ。

    あばらの浮いた人々を巨大な骸骨が苛む。
    「労働が自由をもたらす」とスローガンが掲げられた門。だがそこを出ることができるのは死んで焼かれて煙になったときだけだ。
    囚われの人々の目は、恐怖を感じているというよりも、自分たちを呑み込んだ世界のあまりの残酷さに、心を閉ざしてしまったかのようだ。
    何も見まい。何も感じまい。誰も私に触るな。これは悪夢だ。
    自らに言い聞かせるかのようなその目は、一方で、眼前で起きていることをまじまじと見つめ続けてもいるのである。
    ぽっかりと空いた目は、見るものをも虚無へと引きずり込むようである。

    絵を見る私たちは知っている。その地獄が本当に存在したことを。
    アウシュビッツ。
    ユダヤ人。政治犯。ロマ。障害者。
    多くの人々がそこへ連れていかれ、再び出ることができたのはごくわずかなもののみだった。

    著者コウォジェイはアウシュビッツの生き残りである。
    囚人番号は432番。その数字の小ささから知れるように、彼はアウシュビッツ開所後に最初に収容された囚人グループの一員だった。ボーイスカウトとしてレジスタンス運動に加わり、1940年、18歳で収容所送りとなった。過酷な刑罰を何度も受け、多くの仲間たちの死を経験する中で、彼は辛くも生き延びた。
    戦後は舞台演出家として活躍するが、ある時、脳卒中に倒れたことをきっかけに、リハビリを兼ねて絵を描き始める。まさに地獄であった収容所の光景を細密に詳細に描いた線描画。
    醒めぬ悪夢のようなその絵は、囚人たちの心象風景を怖ろしいほど映し出している。
    歴史の証人として、コウォジェイは描く。
    囚人番号432の若いコウォジェイが、老いたコウォジェイの背後から手を取って絵を描かせる。死んでしまった友人のため、番号で呼ばれ、名前も名誉も剥奪された人々の代わりに、コウォジェイは描く。
    「あなたが生き残ったのは、
    生きるためではない。
    もう時間がない。
    目撃者として
    証言しなければならない」(ポーランド人詩人、ズビグニェフ・ヘルベルト)


    コウォジェイは、「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父が、他者の刑罰の身代わりを申し出る場面にも遭遇している。本書にはコルベ神父を題材にした作品も何点か収録されている。

    地獄を見たものにしか描けぬ絵。
    この地獄を生んだのもまた人だ。
    囚人たちの目は、絵と向き合うものに、深く重く問いを残す。

  • アウシュビッツを生き延びた画家の想像を絶するような絵。

  • 一度開いて、眺めてみたけれど、二度三度とは眺めてみる気にはとてもなれなかった。
    もちろん献本でいただいた本なので書評を書くために何度か開いたのだが、衝撃が強すぎて、できればもう見たくない。

    なにが衝撃的かというと「視線」だ。

    無表情で、ほとんど個人差もない画一的な囚人たちが、こちらを凝視する見開かれた目が、とても怖い。描かれた背景を知ると、果たして使っていい言葉なのか迷うが、見る側にものすごい嫌悪感をもたらすのだ。

    お前も同罪だ!と告発されているような気にさせられる。


    献本に応募した時は、表紙の画像をみて、雰囲気がどことなく自分の好きなメキシコの画家ポサダのカラベラ画に似てたので興味をもったのだが、まさかここまで人の心に踏み込んでくる絵とは思ってもみなかった。

    絵の中の人物がこちらに視線を向けてくる手法は、見る側を絵の中の世界に引き込む効果をもたらすのだが、ひとりだけではなく無数の囚人がこちらを凝視しているので、恐怖心しか湧かない。大勢の視線にさらされて、お前は善良な人間だと俺たちの前で言えるのか、と裁かれている気分になる。


    虚ろな顔で、意思があるようにも見えない。目だけが命を持ちえているようだ。
    誰かを思い起こして描いているようには見えない。「死」というもののイコンなのだろうか。


    美術ではない。これは記憶だ。

    おそらく絵と同じ構図で、当時の囚人の写真を見てもこんな気持ちにさせられることはないように思う。

    アウシュビッツのなかで囚人たちが感じた憎悪や絶望を、安穏に暮らしている現代人が想像しようなんてことは、いくら資料を読んだって、映像を見たところで、どだい無理なのだ。


    お願いだから、そちらの世界に引き込まないでください。
    わたしはそちらに行きたくありません。


    悲劇を繰り返さないための道筋の出発点は、そんな人としての当たり前の感情から生まれてくるのかもしれないと思う。

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