はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

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  • タバブックス
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本棚登録 : 248
レビュー : 28
  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907053086

作品紹介・あらすじ

現実社会の秩序を疑え。「生の負債化」に甘んじるな。
大杉栄、伊藤野枝、幸徳秋水、はたまた徳川吉宗、一遍上人、イソップ物語、タランティーノ…
あまたの思想、歴史、芸術から今を生き抜くあたらしい論理を構築しつつ、
合コンも恋愛もあきらめない、非労働系男子研究者のたたかいの日々の記録

感想・レビュー・書評

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  • 小谷野さんと似た印象を受けたが思想は真逆のような共通点があるような。著者はなかなかイケメンなのでヒモを目指してみてはいかがか。なんか中途半端で癖の強い文章だった。

  • 思索
    人生

  • はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

  • 現代版アナキストの、思わず吹き出してしまうヘタレ独言に自分と世の中を引いて観る目をもつ知性が時折織り混ざる面白い本。あえてひらがなを多用しているのも独特の印象をあたえる。

    [more]<blockquote>P16 わたしたちをとりまくこの社会は一応認知資本主義とよばれている。世の中が金儲けで動いていることはいまもむかしも変わらないが、その最たる手段が人間の認知能力、要するに情報になったということだ。大切なのは、何らかの情報が入ってきたら期待された通りの反応を示すこと、決して迷わないこと、躊躇しないこと。いっけん人間の頭脳を活用するようになったこの社会は、実のところほんとうにものを考えてうごくことなんてどうでもよく、ただひとのはなしをきくだけ、いってしまえば耳だけを重視するようになった社会である。

    P50 ふだんはありふれていて気づかないが、ほんとうに困ったときにありがたみをかんじる生の無償性、役に立つとか、役にたたないとか、そういうことではない、豚小屋を逃げ出した豚どものつどい。それが相互扶助というものなのだろう。

    P52 かつて伊藤野枝はこういった「忘れないでください。他人にほめられるということは何にもならないのです。自分の血を絞り肉をそいでさえいれば人は皆よろこびます。ほめます。ほめられることが生き甲斐のあることではないということを忘れないでください。」

    P70 ほんとうは、ひとによくしてもらったって、ありがとうといってヘラヘラしていればいいだけなのに、なんだかビビってしまって、恩を返そうとするからとんでもないことになる。【中略】だいたい、慈悲に優劣を付けて、恩を返せだの返さないだのといっているのはおかしいのではないだろうか。まさか仏を管理できるとか所有できるとか思っているのではないだろうか。

    P165 わたしたちは、こうありえたという無数の過去とともに、いまを生きていくことができるだろうか。たぶん、それができたとき、わたしたちはなにものにもしばられずに、自由にものを考え、自由にふるまうことができるのだろう。でも、そうはさせまいと、しつこくつきまとってくるのが歴史というものだ。これが現実だ、お前たちはこれにあらがうことなんてできやしないと。ああやってられない、そんな歴史。

    P214 市民社会は消費をしないことはわるいことだと思わせてくる。その最たる手段が借金だ。ある程度貧乏でもクレジットカードを持てるようにして、借りたものは返せと言い募る。かえせないのはひとでなし、たくさん返せた人はそれだけえらい。この社会は狂っている。【中略】わたしたちは、かつての日雇い労働者がやっていたように、だまってトイレをつまらせることができるだろうか。すでに予兆はある。
    </blockquote>

  • 304

  • 震災の直後「かめろんぱん」を差し入れにきて、結婚を前提としたおつきあいをしたかの女とのエピソードは最高におもしろい。

  • 気が付けば、バブルがはじけてからこの方20年以上もずっと不況だ。
    ならこれは不況ではなくて、通常なのでは?
    いつかこの不況から脱却できると思うから、いろいろ我慢や辛抱をしたけれど、もしかしたらこれを通常とあきらめて、生活のあり方を考え直さなければならないのでは?

    なんてことを、何の根拠もなく考えていたけれど、それに根拠を与えてくれる社会学者の著書。
    といえば堅苦しいが、非常に軽く、いささか軽薄なほどに軽く、生活に即して考察した本なのだ。

    1979年生まれの大学非常勤講師。
    両親とともに埼玉の実家で暮らす。
    今でこそ年収は80万くらいあるようだが、年収10万くらいの時に、稼ぎのない著者に代わって両親が年金を年17万円も支払わなくてはならないことに憤る。
    年収10万円の人から17万円も年金を搾り取ることのどこが福祉だ!相互扶助だ!

    “ニュースでは、いつものように企業閉鎖や労働者の悲惨さがとりあげられ、経済破綻がさわがれている。字面だけみると、新自由主義がふつうに批判されるようになっており、労働者に同情的な声がひろがっているようにもみえるが、その内実をみるとびっくりしてしまう。不況だからクビ切りはいたしかたない、国民一体となって不況をのりきろう、失業者は低賃金でもはたらきたがっている、どんな仕事でもはたらけるだけましだ、と。ひどいものだ。これはどういうことなのか。どう考えても、みんな企業のせいでたいへんなおもいをしているのに、その責任を問うどころか、むしろ企業のために必死ではたらくことが推奨されている。過剰なまでにふくれあがっている労働倫理。”

    アリとキリギリスに例えると、遊び暮らしていたキリギリスが、冬になって食べるものがなくなると、夏の間にせっせと働いてエサを蓄えていたアリを食べ、なおかつ貯めこんだエサをもいただいてしまうという、今の世界はこんな感じではないか、と。

    “いろんないいかたはあるが、わたしたちをとりまくこの社会は、いちおう認知資本主義とよばれている。世のなかがカネもうけでうごいていることはいまもむかしからかわらないが、その最たる手段が人間の認知能力、ようするに情報になったということだ。大切なのは、なんらかの情報がはいってきたら、期待されたとおりの反応をしめすこと、けっして迷わないこと、躊躇しないこと。(中略)ようするに、上から命令されたら、それにしたがえということだ。”

    情報量はあふれんばかりにあるのに、それのしめすところは消費の勧めだ。

    “おおくの国が不況になって、とにかく売れるものだけをつくらなくてはならなくなった。消費されるものだけをつくる。消費されるときにだけひとをやとう。これが非正規雇用だ。(中略)おそろしいのは、結果、大多数のひとが貧乏になったのに、それすらショッピングのように自分で好んでえらんだ結果だといわれるようになったことである。フリーターになるのも個性、ニートになるのも個性、ホームレスになるのも個性だ。そして、かれらは仕事をもつことを放棄したといわれ、世間から倫理的な非難にさらされる。なぜなら、それは消費を放棄することにひとしいからだ。仕事をもたない、もてないということは、自分で人間じゃない、市民じゃないといっているにひとしいのであり、反社会的な行為なのである。自己責任だ。とうぜん、国家はカネをださない。”

    生活のために働いていたはずが、いつの間にか働くための社会的パーツに成り下がってしまった私たち。
    そんなことのために生きているの?
    いや、はたらかないでたらふく食べたいのだ。そしてもてたい。
    労働力と貨幣の等価交換という名のもとに、お金に隷属させられたくはない。そしてもてたい。

    “たいていの場合、借りたものは返せなくなっているし、ひとりでも共同でも、都市部にいても地方に移住してでも、手軽な場所をみつけ、なるたけカネをかけないで生活しようというひとはけっこうおおい。きっともうすこししたら、なるたけテマをかけずに、自給できる方法だってどんどん発明されてくることだろう。はたらかないで、たらふく食べたい。社会が狂うのか、それとも自分が狂うのか。”

  • 泉谷閑示、勝山実といった作家と同じような主張、テキストですが、とくに本著者はすっとぼけながらも表現は激烈であり、しかも若いし顔もいいんでトリッキーなキャラ立ちしそうですね。日本では、秩序にもたれながら好きに生きることが許されない。イギリスではむしろそれが美徳だから、田園的なロックがあったんだね。一方で著者の音楽や映画の趣味は驚くほど悪いが、それは著者が文学等を通じず、アナキズムに対してまじりっけなく心酔していることへの裏返しであり、だからこそこれほど軽妙でいられるんじゃないかしら。

  • 読み終わったのはいつだったかなあ。仕事辞めてすぐあたりなので、一ヶ月くらい前かな。日に日に貯金がなくなっていく中、働かないで(金を稼ぐことなしに)たらふく食べたい(食いっぱぐれることのない生活がしたい)という切実な気持ちになってきてる。
    栗原康さんブームが起きている。なぜだっけ?そうだ、ネットで雨宮まみさん(だったかな?)との対談を読んだのだったかなあ。付き合っていた人に、収入の低さを理由にこっぴどくフラれた話。あれはー…衝撃だった。赤裸々だと思った。
    本をたくさん読んで、文章を書いていたいと言う栗原さん。それ自体は、何も咎められることでないはずなのに、彼女にしてみたらダメ人間。大人になろうとしていない、と見えるんだな。彼女にとっての幸せは、お金を稼いで、欲しいものを買うこと。…わかるw
    物書きになるっていうのは、働きたくないと思った人がまずはじめの方で考える職の一つなんだなあと思った。

  • 酒井隆史が、『暴力の哲学』において、暴力を巡る議論につきもののマチスモを注意深く選り分けて取り除こうとしたのに対して、栗原さんの自由を巡る議論は、素朴なヘテロセクシズムに絡め取られそうで、あぶなっかしいところがあるなとは思う。

    男が自由を求めて暴れたり行動すると、往々にしてジェンダー論とかどうでも良い系のチンコになってしまうことがある。

    栗原さんは伊藤野枝の自由恋愛っぷりなどをよく知ってて(すなわちジェンダー的な変数に絡め取られない自由や性愛の形を念頭に置いて)語っているのだろうが、それでもあぶなっかしいというか、「語弊をおそれていない」ような表現は少なくない。

    ていうかまぁ、栗原さんのひ弱でダメダメな人となり(つまり実物)を知ってると、「モテたい」とかって書いてるのが可愛く見えたりするんだけど、それを知らないで読むとどうなんだろうな、と思わなくもない。

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著者プロフィール

1979年生まれ。著書に『大杉栄伝 永遠のアナキズム』『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』『働かないでたらふく食べたい』など。

「2019年 『死してなお踊れ 一遍上人伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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