チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

  • ゲンロン
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907188016

作品紹介・あらすじ

チェルノブイリ・ツアーへようこそ。

チェルノブイリの原発跡地を訪問取材した津田大介・開沼博・東浩紀が、現地関係者へのインタビューほか、論文・資料も充実しています。
長期プロジェクト「福島第一原発観光地化計画」の成果となる出版第一弾。

チェルノブイリ取材にあたって、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」を通じ、同サイト史上最高額となる6,095,001円の支援を頂きました!

感想・レビュー・書評

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  • 私達は、もっと向き合わなくてはならなかった。現地の「観光」レポートの他、ウクライナの方々へのインタビューは必読。

  • 「ダークツーリズム」という言葉には僕自身は新鮮な響き感を受けるが、考えてみるとそれは割と身近にも存在してる。
    国内で見るとそれは原爆ドームであり、県内だと海軍壕公園や残存する無数のガマ。主に戦跡だ。
    本書の第二部(取材編)で現地の観光に携わる色んな人々に共通しているのは、たとえそれが観光旅行であろうと、現地の現実を知ってもらうことを肯定的に捉えていること。それは沖縄の戦跡地でも該当する。ダークツーリズムの目的はそもそも「悲劇の継承」だ。
    そこで得た何かで社会にコミットするのが理想だけど、そこまで大げさじゃなくても、訪れた人たちの「中に何か」が残れば、それで歴史は繋がっていくのかもしれない。
    勿論その試みは負の部分も抱えているはず。それもひっくるめての歴史だという認識のもと、最後は「楽しむ」ことでしか歴史は繋がってかない。というあずまんの編集後記にしびれた。
    最大の敵は風化。そうしない最大の方法が「楽しむことかもしれない。

    なんだか抽象的になった。
    この話は福島に繋がる。沖縄に繋がってもいい。

  • チェルノブイリの立入禁止区域内やキエフのチェルノブイリ博物館の観光ツアー記に始まり、ルポやインタビュー記事、鼎談...と続く。「まだ福島は終わっていない」で終わらせないために何ができるのか。チェルノブイリの今を知る本書は福島の未来を予測、あるいは模索する大きな礎となるか。

    チェルノブイリ本でダークツーリズムについての記事を読むと、訪れたことのあるホーチミン戦争証跡博物館が、名前だけだがダークツーリズムの一箇所として挙げられていた。僕はそこを訪れた時の記憶を思い出すと共に、ダークツーリズムの一端に既に触れていたんだということに思い至る。ホーチミンで仕事していて暇が出来たから、ちょっと観光名所を調べて、なんとなく立ち寄る。そして、その観光名所の中でそんなものがあるとは知らずに唐突に悲劇の記憶と遭遇する。自ら学ぼうとする意志も、教えようとする誰かとの出会いも必要なく、それでいて強制的に学ばされる。これこそ、『悲劇と欲望の交差点』。そして、観光地として遺構や博物館があることの意義はそれだけに留まらない。「ここで起きた」、「これが悲劇の爪痕だ」という文字からは得られない圧倒的な生々しさがそれらにはある。「知っているということ」と「感じるということ」はあまりにも違う。実際にホーチミン戦争証跡博物館に展示されている物の生々しさは尋常じゃない。日本ではあれが展示されることは絶対にないだろうとすら思う。あれが何によってもらたされたのか、何故そうなったのか、考えずにはいられないだけのインパクトがある。文字から読み取れる悲劇はしょせん、知識としての悲劇でしかない。書物や映画は我々の想像力に訴えかけるかもしれない。しかし、遺構、遺物は圧倒的生々しさを持って我々に現実を突き付ける。訴えかける力の強さがあまりにも違う。そして、それがある限り忘れ去られることもない。遺構を残すことへの批判は多い。震災遺構を取り壊し、悲劇を忘れようとする気持ちは分からなくもない。しかし、生き残った者が死者にしてやれるのは、唯一、彼らを忘れないということではなかろうか。遺構を残すことはある意味では死者への最大限の弔いであり、決して不謹慎などではないと思う。忘れたい、辛いという遺族の気持ちを慮ることも大事かもしれない。心の傷が癒えるのを待つべきなのかもしれない。しかし、時が経てば経つほどに遺構は失われていく。当事者ではない外部や後世の人々に伝えるには現物の圧倒的生々しさこそが鍵になる。震災遺構を残すのは今しかない。

  • まず写真が美しい。
    東浩紀氏という、とても静か、とは言えない人物を中心に編集されていながら、全体としてひっそりとした雰囲気を醸し出しているのは、新津保氏の写真のおかげだろうか。
    雑誌風の作りになっており、確かに「ガイド」としても活用できるが、同時に「これからのフクシマ」をチェルノブイリに見る、という読み応えのある内容だった。
    観光地化される負の遺産。
    広島出身被爆三世の私は、ダークツーリズムの観光地として成功している原爆ドームに思いを馳せざるを得なかった。
    原子力と言う罪深い技術を手にした我々の、これから。
    ただ国家や電力会社を責め立てるだけでなく、推進するそれらを放置した我々全員に潜在的に存在する責任を考えさせられた。

  • ・人体は放射線に対し強い。怖いのは誤った情報による過剰な避難だ。(p.88)

  • チェルノブイリの現在を見るためのツアー
    福島へもみんなで行くと良いと思う。

  • 読み応えありまくり、我々が本質的に戦わないといけない敵は風化だ。

  • ノンフィクション
    原子力発電

  • チェルノブイリに学ぶ。ダークツーリズムの意義。福島のこれから。日本人のこれから。

  • 1986年に大事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所が観光地となっている。「ゾーン」と呼ばれる立ち入り制限区域にガイド付きで入ることができるのだ。本書は、その観光ツアーに参加し、そこに関わる人々へのインタビューを編纂したものである。過去の負の遺産となった場所を巡ることは一般に「ダークツーリズム」と呼ばれる。チェルノブイリ観光もそのひとつだ。そうとは意識していなかったが、広島平和祈念館やアウシュビッツ収容所などもダークツーリズムの範疇に入る。本書ではチェルノブイリ原子力発電所だけでなく、事故について展示するキエフの博物館や、チェルノブイリを舞台にしたゲーム「STALKER」、プリピャチ市の元住民らのためのサイト、などが合わせて紹介される。

    この雑誌の編集者は、現代思想の東裕紀、福島大学の社会学者の開沼博、Webジャーナリストの津田大介、写真家の新津保建秀、などである。本書の背景として、福島第一原子力発電所の今後への彼らの問題意識と「観光地化」への構想がある。

    チェルノブイリ原子力発電所の件で驚いたのは、まだその施設が送配電施設としてだが現役であること、さらに発電所内でまだ働いている人がいることだ。訪問者は、発電所の中に入って見学までさせてもらうことができる。本書に参加する人々は、観光地化により正確な情報が流通することについて価値を見出している。また過去の風化へ対抗する手段としてもその有効性を見出している。

    すでに刊行されているが、この次の号にて福島第一原発観光地化計画を取り上げている。また、25年後の「フクシマ」を考えるとして、プロジェクトを発足させている。プロジェクトのサイトはこちら→ http://ch.nicovideo.jp/fukuichikankoproject/

    チェルノブイリツアーはその後東氏のゲンロン社が募集催行している模様 → http://school.genron.co.jp/chernobyl/。6泊7日のツアーとして訪問先もまとめられていて、本書の内容とも当然ある程度合致していて参考になる。

    この後、長きにわたってフクシマがどのように変わっていくのか。彼らの行動はどういう影響を与えるのだろうか。福島第一原発観光化計画も読んでみたい。(Kindle Primeだと無料のようだし)

    なお巻末に関連書籍や関連サイトがまとめられている。本書刊行後にノーベル賞を受けることになるスベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り』も参考書籍として紹介されている。



    『チェルノブイリの祈り――未来の物語』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032250

  • 日本にはなかなかできない発想。日本の報道は自主規制が多すぎて、本来の役割を果たしていないことに起因する。いつになったら日本は変わるのだろう。起こった事象に対して客観視するのではなく、主観的な対応を国民がとってしまうことも心配。

  • チェルノブイリの観光地化に福島の未来を見る。立入禁止区域内ツアーとキエフの博物館展示。区域庁副長官、博物館副館長、元作業員作家、NPO代表、旅行会社代表などに現状と未来についてインタビュー。ジャーナリストと社会学者による考察。

    そんな場所にのほほんと行くなんて申し訳ない、じゃないんですね。それより、時間をかけて行くこと・身を置くこと・感じること・想いを馳せること、だと。

  • チェルノブイリをはじめ、ダークツーリズムをする意義などが書いてある。
    ダークな部分を学ぶというのも旅行の1つの役割だと思うので自宅のトラベルカフェ本棚に追加したい。

  • 興味深かったのは現地の原発ツーリズム関係者のインタビュー。「情報」をしっかりと把握すること、実際に「原発」を通して放射能などとの付き合い方を学んでもらうこと。この2点が記憶に残った。
    特に印象深いのは「情報汚染」が「放射能汚染」よりも怖いという話で、チェルノブイリで斥候隊として高線量下で知識を持っていた隊員が100kmほど離れた、でも知識がなくて不安に陥っている村に送り込まれる話。
    こういう情報汚染は日本でも起こっているし、今も消えない。福島の位置づけを考えなおして、記憶を風化させることなく、原発の怖さ、そして事実を知ってもらうことが重要なのかなと思わされる内容だった。

  • まずは半分
    細かいことは残りの半分を読んでから
    導入としては十分で、肝心の福島第一原発観光地化計画も読んでみようと思えた

  • 印象に残ったのは「当事者の意見が常に正しいわけではない」というフレーズ。記憶には「忘れたいもの」と「忘れてはならないもの」があり、当事者の意見は前者に偏る傾向がある。よって過度に当事者を慮ると負の遺産は次々と姿を消していく。同時代に生きる者全てに「歴史化」の担い手としての責任があるわけで、国内のみならず世界中で考える必要がある。その点でチェルノブイリはよいお手本となる。チェルノブイリは事故後も施設として稼動していたのが「遺す」という点において幸いだったのかな?という気はするが、思ったほど観光地化されているわけでもなく、「歴史化」から「観光地化」へ変換する難しさも感じた。まずは「観光地化」の前に「歴史化」をファーストステップとし、「いかにして遺すのか?」という事を全力で取り組んでいかないと、原発のみならず、いろんな遺構がドンドン破壊され、更地にされ、変質していくような気がした。

  • 2014/02/11

  • 面白い。

  • 原発事故から27年経過したチェルノブイリやその周辺、関わっている人たちへの取材からなる本。
    観光地化しているチェルノブイリ……えーそれはちょっと……と思ったけれど、世界のダークツーリズムの紹介を見て、確かに広島の原爆ドームは観光地化していて、去年だったか久しぶりに行った時、日本人観光客が原爆ドームを背景にピースサインをして写真におさまっている姿を見たことを思い出しました。
    なんだかなという思いもありつつ、忘れさられてしまうのはもっと嫌です。ならば、観光地化して、内外から人に来てもらう、興味をもってもらうことが大切である、と。

    チェルノブイリ博物館の写真が現代アートのようで、国が違うとこうも展示が違うのかと驚きました。

  • 27年経った今も収束していないチェルノブイリ。そして福島の先はまだまだ長い。そう考えるとダークツーリズムという方法でも、忘れないように日常的に振り返ることを多くすることは必要だよなと思った。チェルノブイリの風景が美しくてそれ故に悲しい。

  • 福島の25年後と相似形をなす可能性もあるチェルノブイリが現在どうなっているかを知る上で重要な一冊。
    そしてこの本の最大のテーマはダークツーリズム。
    東浩紀が福島第一原発を観光地にと言い出した時は、またアホな事言い出した、被災者の気持ちを考えろと思ったけど、よく考えたら広島も観光地化されてるし、そこまで突飛な発想じゃなかったな、と思い直している。
    東、津田大介、開沼博、速水健朗ら一行は政府の人間からいわゆる帰還住民にも取材を行っている。
    ガイドの注意を聞いていれば東京にいるのとさして変わらない程度の放射線量しか受けない、という文章を見るだに、福島第一原発周辺はもう人が住めない場所なんだから、放射性廃棄物の保管場所にしてしまおうというのは、やや短絡的で乱暴な気がしてくる。
    また関係者や近隣の住民は皆口を揃えてどんな形であれ、チェルノブイリに関心が集まる事を望んでいると言う。
    忘れられていない、見放されていないと感じられる事がその理由のようだ。
    人は悲しいくらい忘れていく生き物なんだな。

  • ぱらぱらとめくって写真がとてもよかったので購入した。
    チェルノブイリが観光化されていることも知らなかったが、本書を読んで、忘れないこと、という目的がきちんと達せられているように思った。
    そしてチェルノブイリの博物館や公園が、事実を淡々と述べるような日本の資料館的なものではなく、かなり抽象的・概念的に事故を扱っているのが新鮮だった。
    福島の原発の観光地化には反射的に顔をしかめる人も多いと思う。私も本書を読む前はそうだった。が、「忘れない」ということを実現するためには、大変有効な方法ではないかと、この本を読んで、思うようになった。

  • ダークツーリズムという、観光する時に新しい目的が自分にできたきっかけ。長崎を訪れた際により、感慨深く観光ができました。

    本自体は、まず今まで思っていたチェルノブイリ原発周りの状況とはかなり違っていました。

    今の日本が原子力関係でチェルノブイリから学べることが多々あるんだと、改めて思わされる内容なんです。

    これは、読んで欲しい一冊。

  • フクシマを抱える日本にとって、チェルノブイリこそは学ぶべき先例なわけだが、その"観光地"としてのあり方をリポートする。災害地を観光地とするというのは一見奇妙ではあるが、人類の悲劇の遺産を訪れることで悲劇を感じ学ぶダークツーリズムの観点からみれば、必ずしもおかしな話ではない。歴史的に重要な遺産を維持し、後世の人々が訪れ体験できるようにすることは、それはそれで重要な行いといえる。
    本書の続編では、実際にフクシマを原発史跡として観光地化するための思考実験が提示されるという。震災からわずか2年しか経ておらず事故も収束していない中で観光地化というのは早する、あるいはそもそも被災地の観光地化自体が不謹慎だという考えは多いだろう。だが、悲劇から学ぶことは必要なことであるし、対応が遅ければ遅いほど悲劇の遺産は失われていく。だからフクシマ観光地化というのは、一考の価値があると思う。

  • いまだチェルノブイリ原発を抱えるウクライナでは発電を原発に依存していること。観光地化してほしいと望んでいるの現地の人達であること。火力発電でも放射性物質が排出されることなど、新しい発見があった。

  • 原発事故地を観光地へ。と聞くと、不謹慎だと怒り出す人もいるかもしれない。しかし。先日広島に行ってきた。原爆ドームの横を抜けて平和記念公園にある広島国際会議場へ。この近辺も、ダークツーリズムの対象になっている、と考えてみれば、そんな怒りも収まるだろう。
    チェルノブイリは廃墟になっている、というイメージがぬぐいきれなかったが、送電停止後もハブ的電力施設として稼働しているし、石棺作業などで作業員も多い。そして現地の人々の声。責任はみんなにある、と。チェルノブイリの問題を、ソ連のせい、原発というもののせい、と単純化してしまうと隘路にはまるぞ、という指摘(は、そのまま日本にも当てはめていいだろう)。

  • 行ってみたい。

  • チェルノブイリ事故というのは、僕の中ではとても漠然としている。どういう事故が起きたかは、詳細に分かっている。しかし、その事故のために、その後のチェルノブイリがどうなったのかは、様々な情報が交錯し、分からない。実は、この本を読んでも、それは変わらなかった。ただ、印象的なのは、どういう立場で、チェルノブイリを経験したかによって、同じウクライナの人でも、チェルノブイリや原発に対する思いが違う。これは、きっと埋まらないものなのだと思う。だから、チェルノブイリを総括する事はおそらくできない。できないからこそ、現場に触れる事の重要性がます。福島も同じだろう。原発事故の影響を総括することは、今後もできない。でも、そこで何があったかは、忘れてはならない。そして、日本人が、いや、人類が、それを共通の記憶として持ち続けることが重要なのだと思う。分かり合うことはできなくても。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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