ゲンロン4 現代日本の批評III

制作 : 東 浩紀  浅田 彰  山口 二郎  津田 大介  佐々木 敦  市川 真人  大澤 聡  さやわか  杉田 俊介  五野井 郁夫  ジョ・ヨンイル  プラープダー・ユン  福冨 渉  黒瀬 陽平  速水 健朗  井出 明  ハンス・ベルティング  安 天  辻田 真佐憲  海猫沢 めろん  東山 翔 
  • 株式会社ゲンロン
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  • Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907188191

作品紹介・あらすじ

昭和から平成の言論史を徹底総括、批評を未来に開く
「現代日本の批評」ついに完結!

【特集:現代日本の批評Ⅲ】
創刊号に始まる「現代日本の批評」の完結編。
共同討議では東浩紀・市川真人・大澤聡・佐々木敦・さやわかが、2001-2016年の批評史を一挙に総括。批評とネットの現代史を網羅した折込年表は過去最大のボリューム!
浅田彰への4万字インタビューでは、その個人史と戦後日本社会の歩みが重ね合わされる。杉田俊介、五野井郁夫、ジョ・ヨンイルの論考も必読。21世紀の批評はこれを読まずして語れない!

【特別掲載/充実の連載陣】
巻頭は山口二郎・津田大介・東浩紀の「リベラルは再起動するか」。参院選・都知事選の結果を踏まえ、リベラル復活の条件を問う。
黒瀬陽平、速水健朗、井出明らの評論に加え、タイ文学界のカリスマプラープダー・ユンの随筆が連載開始。海猫沢めろんの小説、国際色豊かなコラムなど連載陣も充実!

感想・レビュー・書評

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  • ・浅田彰
    『パイデイア』『現代思想』『エピステーメー』、非常に刺激的だった。誤訳リストを蓮實重彦に送ったり、見通しをよくするために『構造と力』を書いた。マルクス主義の立て直しとしてのアルチュセールに出会った。当時はノンセクトの学生運動があり、東大では革マル派石田英敬の友人が殺される事件などもあった。
    ピアノをやっていたが、分析的であるがゆえに、演奏の判別を確信をもって行えるようになり、したがって自分には才能がないことがわかるニヒリスティックなポジションに行き着いてしまった。ジャズに興味を持ち、他方でアドルノも読むようになった。
    中高生のぼくにとってウィトゲンシュタインがアイドルだった。極めてスマートな整理を行った後で、そんなものには何の意味もないと梯子を投げ捨て、語りえぬものについては沈黙する。本当はそれだけが語るに足る言語ゲーム論へと転回した後期が重要ではあるが。ただ、NHKテレビで大森荘蔵などを見てそういった懐疑や哲学よりもマルクス主義など思想に興味を持ち経済学部を選んだ。当時のテレビや新聞社には啓蒙への意志があったが、いまは観客動員重視の大衆迎合路線。
    全共闘世代が主体主義疎外論の隘路へ向かうのを尻目に、闘争よりも逃走で横にズレていく方がいいと。全共闘世代の教祖吉本隆明が、自己・共同幻想に対抗する家族共同体のマスイメージで大衆社会を肯定したが、それは中核派糸井重里が体現している。鶴見俊輔、加藤典洋らが露骨に大衆社会迎合していった。『GS』『ZONE』も同様だったが、大衆と共に歩むことを断念し、『オクトーバー』のようなエリート主義へ回帰していく。
    ゴルバチョフソ連の言論自由化などの改革路線が、経済危機によるクーデターでエリツィンロシアへ移行し、急速な自由化民営化で財閥オルガルヒによる格差を生み、プーチンが収束し独裁的権威主義体制を生み出した。アメリカ側はゴルバチョフを支援すべきだったし、デリダはペレストロイカは脱構築、立て直しだと言っていた。
    柄谷行人から『季刊思潮』の編集に参加し、改組として『批評空間』が始まった。
    "批評空間でなすべきことは、たとえエリート主義と言われようが、アドルノのように「グランドホテル深淵」に籠っていると見られようが、やはり批判的知性を再構築することだろう、と"
    『批評空間』に意義があったとすれば、東浩紀とジジェク。東浩紀『存在論的、郵便的』は脱構築の理論を実践として捉え直した。両極化に対するオルタナティブをはっきりと示した。ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』は、アクロバティックな理論展開とレトリカルな見栄の切り方がある、と同時にアラも多いが、しかしある種の政治的な効果を持つのではないか。
    文学者の反戦声明や最初NAMには参加しなかった。国際連合や平和憲法は戦後民主主義の常識であり、丸山眞男で済む話。丸山眞男は高校卒業までに読むべき、未解決であるがゆえに今も新しい、ただ、無責任の体系や立憲制、対米従属の議論は大昔から言われてきた。
    NTT『インターコミュニケーション』は官僚主義的な組織により失敗した。部長と飲みに行く努力や覚悟が必要だが、もちろんそんなくだらないことは一切やらない、そこがぼくの限界なんだろう。インターネットは、大衆化平準化の副作用はあるが基本的に肯定的に評価している。
    90年代は、新自由主義が進む中、経済政治より社会心理が支配的だったことに違和感があった。事件に対し、社会病理を象徴するような過剰な意味を読み込み騒ぎ立てる。やはり経済や政治の方がはるかに重要。
    京大から造形美術大に移ったのは、母の介護によるところが大きい。社会問題にコミットするにしても実践的には丸山眞男、理論的には新しく言うべきことはないだろうと。
    ゴダール『中国女』マオイスムをポップに扱っている──と同時に、しかし、パリの若者のファッションであることを明示している。バディウ、ネグリハート、柄谷行人には自己批判がなく、宗教的。政治が宗教に回帰していく。
    ピケティは「21世紀の不平等」とすべきで、トッドは経験主義。
    柄谷行人『トランスクリティーク』カント-マルクスの批評的・批判的知性はいまも重要。今はカント的相関主義の批判がある。数学=神的形而上学と人間社会のプログラミングプラグマティズム。新カント派〜構造主義が言語的構造を重視する「言語学的転回」によって反主体主義だったが、コンピューターが現れ言語が人間的なものとなる「思弁的転回」が起こった。
    "「人間は死んだ」と宣言すると、なんだかラディカルなことを言った気分になって高揚するという一種幼児的なロマン主義"。ずいぶんナイーヴなふるまい。神学とプログラミングが勝利し、文学が入る余地がなくなった。しかし、幻想に過ぎないとしても、個人は主観的に行動し、それを理解するにはカント主義的に考えるしかない。人間が量で処理する動物的コンピュータと同じになれば、カントもマルクスも出る幕はなくなる。しかし、ぼくにはそれはやはり退屈なディストピアとしか思えない。

  • 本書収録の長い討議を読むと、ここ十年の大きな変化のことでさえすっかり忘れていることに気づかされる。まず思ったのは、批評の大前提は記憶だということ。
    もう一つ、「批評」には寡聞にして疎い自分にとって、「批評と直感」が結びつけられており、エヴィデンスありきのアカデミズムとは峻別されているのが新鮮だった。
    一方で現在の実存主義化、さらに悪くロマン主義化する批評の流れが批判され、抽象的議論が好まれず遠ざけられていることを若干嘆いている。要は批評とはバランスの取れた知性ということか。いや、柔軟な知性ということか。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784907188191

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