九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

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  • ころから
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本棚登録 : 524
レビュー : 61
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907239053

作品紹介・あらすじ

関東大震災の直後に響き渡る叫び声
ふたたびの五輪を前に繰り返されるヘイトスピーチ
1923年9月、ジェノサイドの街・東京を描き
現代に残響する忌まわしい声に抗う――
路上から生まれた歴史ノンフィクション!

感想・レビュー・書評

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  • ページをめくるのが憂鬱に感じ…一章読むたびに息を吐き…でも、それでも「知りたい、読みたい」という思いだけで読破することが出来ました。日本歴史のタブーに近いものがあるかも。


    私が生まれる50年くらい前、今から90年くらい前に実際に起きていたことだと、曾祖父母、祖父母などからは聞いていたけど、ここは田舎だからあくまで噂で済んだだけで…。関東大震災後、地震のショックもさることながら、このような惨状があったとは…恥ずかしながら今まで、この歳になるまで知りませんでした。すみません…って思った。


    「蛍の森」のハンセン病患者を集団で惨殺するシーンと共通する心理があって震撼した。ハリケーン・カトリーナの被害に見舞われたニューオリンズでの出来事も衝撃だった。大きな災害は人の心に大きな陰を落とす。


    一点だけからものを見ずに多方面から見渡せる広い視点がほしい。大きな波に飲み込まれずに冷静でいたいと思う。だけど人は豹変してしまう生き物らしい…。怖さを感じた。本一冊にも、他、色々なものに軽く疑いを持ってしまうのも事実。そんな自分が嫌だなぁ…とこの頃思うことがある。

    • まっきーさん
      vilureefさん

      こんにちは。
      いつも花丸&コメントありがとうございます。

      >この本に出てくる実際の事件は東京で起きた事...
      vilureefさん

      こんにちは。
      いつも花丸&コメントありがとうございます。

      >この本に出てくる実際の事件は東京で起きた事件のみですか?
      目次を再確認すると…東京都、東京近郊、埼玉県、千葉県で起こった事件が書かれています。(文中にはもっと細かい地名があるかもしれません…)
      東京も多くの各区で、埼玉と千葉は数市出ています。


      私もね…(曾)祖父母たちに「井戸に毒が~」という話は聞いたことがあるけど…
      東北なので…風の噂だけで済んだようです。テレビもネットもない時代にここまで噂が流れてくる、人の口コミもすごい力があるのだと思いました。

      このような惨状が大震災後に起こっていたとは全く知らず…この歳で初めて知って…自分の無知さが情けなくなりました。


      本の評価もかなり迷って…
      amazonのレビューも真っ二つに割れていて…、作者の言いたいことはわかるけど作中でもある人を名指しで非難していたりで…「むむむ…」と複雑な思いを感じました。

      vilureefさんの“被害ばかりでなく加害の事実も教えるべき”には、とても共感しました。
      うまく言い表すことが出来ませんが、両極端すぎる状態が続いているなぁ…と最近感じることが多いですね。
      2014/10/06
    • vilureefさん
      こんにちは。

      ダ・ヴィンチのレビューにもコメントしてしまいました。
      私、まっき~♪さんのストーカーみたい(笑)

      お、埼玉も載っ...
      こんにちは。

      ダ・ヴィンチのレビューにもコメントしてしまいました。
      私、まっき~♪さんのストーカーみたい(笑)

      お、埼玉も載ってるとなると私の実家のある市も確実にありますね・・・。
      慰霊碑もあって慰霊祭も毎年やってるみたいなのですが、知る人ぞ知るみたいですよ。
      あくまでこっそりと。なんだかなー。

      私達世代でこうなんですから、益々風化していきますよね。
      ヘイトスピーチが問題になるのも言わずもがななのかな、なんて思ってしまいます。
      2014/10/07
    • まっきーさん
      vilureefさん、またまたこんばんはー。

      本のストーカーなら全然OKですよ(o^∀^)
      あまり知られていない本とかが広まるのって...
      vilureefさん、またまたこんばんはー。

      本のストーカーなら全然OKですよ(o^∀^)
      あまり知られていない本とかが広まるのっていいことだと思います。

      埼玉は2~3市?取り上げられているので、きっとそのことだと思います。

      読んでいて居た堪れない状況になったのですが、「蛍の森」のおかげで
      読み切ることが出来たような気がします。
      あの作品を読んでいなかったら、途中で耐えられなくなっていたかもしれません。

      慰霊祭を細々と執り行っている地域もあるようです。でも風化してるのは感じました。
      たぶん蓋をしてなかったことにしたいんだと思います。
      次の子供世代になると、なかったことになる可能性大きいかな…と。

      ヘイトスピーチにもふれていますが、この本もかなり煽っているので
      Amazonレビューで評価が割れているのも複雑になりつつも理解できます。
      とても難しいですね。

      読んでいると悲しくなって落ち込んでしまう事がありました。
      でも読まないと知ることは出来ないので、私はこの本を読んでよかったと思っています。

      長い返信になってしまって(*_ _)人ゴメンナサイネ

      またいつでもコメントくださいね~(o^∀^)

      2014/10/07
  • 関東大震災の時に起きた、自警団や警察、軍隊による、朝鮮人、中国人の虐殺の記録。
    内容は読んでいて気が重く時に気分が悪くなりますが、文章は平易で読みやすく、わかりやすくまとまってます。
    作者は本の中で「事実を「知る」こと以上に「感じる」こと」をもっとも大事にしたいと述べていますが、その意図は感じられます。
    もちろん、これまでにも関東大震災の時の虐殺を扱った本はありましたが、今、この時期にこうした本が出されることの意味は大きいとおもいます。関東大震災での朝鮮人虐殺は、最近話題となった「ヘイトスピーチ」が具現化したものに他ならないということが、良く理解できます。
    2005年のハリケーン・カトリーナの災害のあとに、ニューオリンズでも似たような事が起きていたことは、初めて知りました。

  • 90年前1923年9月1日関東大震災と「その後に起きた出来事」の丹念な調査報告である本書は、淡々とした証言の記述と時系列と地理情報の整理の中でその土地の現在の姿(写真)を重ね合わせる構成はかえって血生臭い事実が際立ち、メディア未発達時代ゆえの流言デマで暴走した庶民と歴史の授業では教わったような気がするけども、当時官憲すら率先して信じてそのデマ拡散尽力した事実や、また火事場に紛れて軍部に謀殺された朝鮮人のみならず中華系労働者らの正気を疑う事実も知れます。

    改めて思うのは、この僕らの曽祖父にあたる日本人と外地人の間で起こった出来事は「昔話」としては簡単に片づけられないでしょうと。2011年3月11日東日本大震災から福島原発事故に至るいまだなお終わりの見えない情報錯綜の中で扇動者の熱狂と傍観者の鈍麻を見てきた以上。

    その中でも被害者を体張って守ろうとした日本人、それは一人の警察署長であったり、一人のキリスト教徒であったり、一人一人が生活レベルから朝鮮人と関係性を築いた市井の人々だったり、そんな彼らがちゃんと居てくれたことに安心を感じてしまう自分に情けなさを覚えつつ、果たして自分がその現場に立った時に、一人の朝鮮半島人を群衆で囲んで難詰し罵倒し殴り蹴り叩きのめし、あげくに鳶口で頭を突き立てるような側に立つのか?己が信条からか己が生活感からか移民を守る盾となる側に立ちえるのか?またなんて惨いことだ酷いことだと思いながら傍観者側に隠れるのか?一番目ではけしてないだろうと信じられる(信じたい)自分がいつつ、三番目の簡単な選択に落着してしまいそうで正直な無力感を覚える。

    一つ思うのは、自然災害自体よりも自然災害後に起きる「何か」が決定的に怖く、仮に生き延びることができて一旦災害を乗り越えたという自覚を得たら、その動揺不安をまずは鎮め、次にやってくる「何か」に備えて、大量に出回るであろう「情報」に対して冷静に対処できる能力を築いておきたい。

  • 人間はどこまで残酷になれるのか。
    1923年の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の証言を丹念に集めた労作。
    この3月に出版されたばかりです。
    これは決して誇張ではなく、あまりにも凄惨な描写に、読みながら何度も目を固く閉じました。
    でも、同時に目を逸らしてはいけないとも思いました。
    いま学ばなければいけない教訓が、ここにはあるからです。
    著者も言及していますが、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」などという差別的で無慈悲なプラカードを掲げた在特会のデモが数年前から問題視されています。
    この3月には浦和レッズのサポーターがサッカー場で「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げ、問題となりました。
    私はナショナリストとして人後に落ちないと自負していますが、誤解していただいては困ります。
    彼らは愛国者などではありません。
    ただの人種差別主義者、レイシストです。
    外国人(特に韓国人、中国人)排斥の動きは近年、マグマのように噴き出しています。
    いま、外国人居住者がかつてとは比較にならないほど増えた東京で大きな地震が起きたら、どうなるのだろう。
    再び外国人虐殺が起きることはないのか。
    私は本気で懸念しています。
    震災に見舞われた極限状態の中で、在特会あたりが
    「中国人がこの機に乗じて窃盗を繰り返している」
    「韓国人が集団で日本人に暴行を加えている」
    などとデマを流せば、不安に駆られた日本人被災者はかつてのように自警団を組織し、罪のない外国人を捕まえては暴行するのではないか。
    群集心理を侮ってはいけません。
    90年前の悪夢がよみがえります。
    しかも、いまは1923年の関東大震災時とは別種の懸念材料を抱えています。
    携帯電話にコミュニケーション手段をほぼ全面的に依存している若者が、震災でその手段を絶たれたら、パニックの度合いはいや増しに増すのではないか。
    関東大震災では情報の不足が暴力行為を後押しした側面があります。
    いまは平時と非常時の情報量のあまりの落差が、暴力行為を後押し方向に作用するのではないか。
    他人事ではありません。
    私はこれを自分事として読みました。
    環境次第では、私だって本書に登場する加害者のようにならないとも限りません。
    震災が起きて外国人が日本人を暴行している→家族を殺された日本人もいると同胞が異口同音に語る→身の危険は自分の家族にも迫っている→結束して外国人に対抗しよう―。
    悪い条件が幾重にも重なった時、それでも理性を保てるほど人間は強くありません。
    また、そのように自覚しておくべきとも思います。
    いま、本当にいま、ぜひとも読んでおきたい一冊です。
    これも決して誇張などではありません。

  • 新大久保でのヘイトスピーチ。をやっている人たちの顔。
    マスコミでの扇動の仕方。右翼的な政治家。石原前都知事
    の発言。などを考えると、自信はそんなにないですが、90年前の東京で、この本に書かれてあるような、所謂在日の
    人たちへの虐殺というのはあったのだろう。
    そういうことが90年前にあった都市で生活している。そういうことをした民族であるという特殊性。
    それから、世界各地で起こっている虐殺は、我々も
    経験しているのだということの普遍性。そのどちらも
    を認識して、かたりつがなければならないのだと強く
    思いました。
    本書のあとがきと最後の『非人間』化に抗するという章
    の内容は、子どもに読んでおいてもらいたいと思います。
    阪神淡路・東日本のそれぞれの災害で、こういうようなことが少しでもおきていないのであれば、それは非常に
    胸をなでおろす感じがしますが、次の震災(首都直下など)がおこった際に、今のマスコミの風潮や新大久保でのヘイトスピーチをする人たち。政治家たちの影響で
    90年前と同じようなことが少しでもおこったら、それは、本当に我々日本人。そういう扇動を行った民族は
    万死に値するのではと思います。

    非人間化に対抗して、お互いの個々としての共感を
    追及していくことが当たり前の世界になっていくように
    願うべきだと強く思います。

  • 非常に読みやすい好著。
    著者の加藤氏は、この本で最も大切にしたいこととして、「事実を『知る』こと以上に、『感じる』こと」と記していますが、その狙いは成功していると思います。
    東京・赤羽にある小さな出版社から6年前に刊行され、書店には並んでいないかもしれませんが、注文して読む価値があります。心地よい嘘に流されないためにも、読むべき本です。

  • 二度と同じ過ちを繰り返さないために。何度でも学習して、十分ということはない。何度も繰り返し読んで、自分はどうか、問いかけ続けたい。今の世の中だからこそ。
    本文P146より
    「たけりくるったに日本人」の群衆が、「朝鮮人」を殺せと叫んでいるとき、その前に一人で立ちふさがる人を支えるのは、「日本人の誇り」ではなく、「人間の矜持」ではないか。

  • 読むのがつらくて何度も泣きながら読んだ。つらくて何回も途中で読むのを止めた。

    この本の中に「当初はデマを信じてなかった人」が、震災による凄惨な光景と繰り返し聞かされる流言に「これは本当かも知れない」と思い、信じていく姿が書かれている。「自分もおそらくこうなるに違いない」そう思った。人間は、どういうきっかけで何を信じてしまうか、特に「非日常」であればあるほど冷静な判断ができなくなる。

    それを唯一食い止める方法は、非日常でも冷静な判断ができる自分になる、というものでは決してなく、今の、この日常の中で少しでも「差別の芽を摘み取る」、これしかないような気がする。だけどこの著者も指摘しているように、今は「90年前の雰囲気」にかなり類似した雰囲気を持ち始めている。なんとしても食い止めなければいけない。わたしはこの前に読んだ李さんの本の内容が脳裏にちらついて仕方がなかった。


    なお「なんでつらいって分かってるのにこんな本わざわざ読むの?」って意見が出てくると思うが、「読まなくてもある程度知ってる」のと「つらい思いしながら読んで知る衝撃」ってのは、自分の感覚において雲泥の差だと思う。わたしは今まで恥ずかしながらこの朝鮮人虐殺が「ジェノサイドって呼ばれるほどのものなのか?」と思ってた。けど、これはまさしく「ジェノサイドだったのだ」って今は思う。たまたま電車に乗ってるときにこの本読んでて、高円寺に着いたときにちょうど「高円寺」の章が出てきて、本当に本当に怖かった。でも、わたしの感じる怖さってのは「自分の身に降りかかってきたらどうする」という怖さじゃ全然ないからね。「90年前にまさにここでこういうことが起きたんだ」って思う怖さだからね。

    できれば多くの人に読んでもらいたいって思います。

  • 概要程度の事しか知識がなかったので、一つ一つの事例に改めて戦慄を覚える。

    でもどんなに恐ろしいであっても、というか恐ろしい出来事だからこそ、それを人種や社会的立場など特定の属性の人だけに起こりうる”一部の人たちの暴走”的な話に落とし込んではいけないんだと思った。ある特定の条件が整うと、人間というのはここまで突き進んでしまうんだ、と一人一人が”自分の話”として受け止めるべきものだと思う。

  • 90年前、今自分が住んでいる東京でこんなことがあったんだ、で片づけられない出来事がある。
    私自身は東京から遠く離れた地方で生まれ育ち、身近な事件として大人から聞かされたことはない。関東大震災時、朝鮮人虐殺という事実があったことを知識としては知っていた。でも本書によって歴史の大鉈を振って語られるのではない路上の証言を元に、虐殺の事実を知ること以上に「感じる」こととなった。

    差別意識が産んだ恐怖の伝播による虐殺。それは90年前の昔の出来事だけではない。1994年のルワンダの虐殺や、2005年アメリカのハリケーン・カトリーナの災害時、ニューオーリンズでも武装した白人が非白人を銃撃したのは記憶に新しい。対岸の火事、ではないのである。

    本書で一番納得できた箇所は、この虐殺の渦中にあっても、逃げてきた朝鮮人を自ら命を張って匿い助けた日本人がいたことを、「美談」で落とし込んでいてはいけないという著者の指摘だ。虐殺に回った側と助けた側との差は「共感」の有無なのである。記号としての「日本人」と「朝鮮人」を語るのではなく、『90年前の東京の路上に確かに存在した人々のことを少しでも近くに感じる作業』(本文引用)が、今の日本人には必要なことなのかも知れない。
    「共感」こそが、人間を非人間化しない、唯一の手段でもあるのだ。

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著者プロフィール

(かとう なおき)東京学芸大学ICTセンター教育情報化研究チーム准教授。

「2019年 『小学校におけるプログラミング教育の理論と実践』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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