九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

著者 :
  • ころから
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907239053

作品紹介・あらすじ

関東大震災の直後に響き渡る叫び声
ふたたびの五輪を前に繰り返されるヘイトスピーチ
1923年9月、ジェノサイドの街・東京を描き
現代に残響する忌まわしい声に抗う――
路上から生まれた歴史ノンフィクション!

感想・レビュー・書評

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  • 関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺について、発生した場所ごとに、編纂された証言集や記録を元に何が起こったかをまとめている。

    流言が出たかどうかもわからない時点から発生しており、行政や警察も一時期は同調している。特に極端な人達が行ったわけでないのも、広範囲で発生していることでもわかる。

    何より非常時に集団的で、このような行動に出てしまうことが、他人事でなく恐ろしい。証言でも、最初は波に乗って行くものの恐ろしくなった人や、冷静になって状態に気づくというのもあった。

    基本的に証言をまとめた文献から引用してきているが、子供達の作文にも記録が出てくるほど、至るところで発生していることが、衝撃的であった。そして、キャサリーン台風の時にも、ニューオリンズでも同様の人種事件が発生していると読むと、昨今のアジア系襲撃なども含めて、どんな人種でどんな地域でもありうるのかと恐ろしくなってくる。

    思った以上に、ガツンとくる内容だったが、改めて今の風潮をしっかり見据えていかないといけないと感じた。

  • 以前知り合いが薦めていたのを思い出して図書館で借りました。
    数日前に読んだ平野啓一郎さんの「ある男」でも朝鮮人虐殺のことが出てきたので、本によばれたような気がしてしまう。

    朝鮮人虐殺のことを歴史の授業でちらっと触れた程度にしか知らなかったのですが、
    色々な方の証言で語られるそれはあまりにも惨たらしく、理不尽過ぎて、読んでいてもどうしてという気持ちが消えず、精神的に消耗しました。
    でも知ることができて良かった。

    しかもこれはほんの100年前の日本で起こった出来事で、いま未曾有の事態が起こっても同じようなことが起こる可能性は大いにあるし
    極限状態に置かれた時に、どんな形であれ加害者になってしまうことは、誰にでも有り得ると思う。

    だから、どんな時も思考停止せずに常に自分の頭で考えることを大事にしたいと強く思いました。

  • 非常に読みやすい好著。
    著者の加藤氏は、この本で最も大切にしたいこととして、「事実を『知る』こと以上に、『感じる』こと」と記していますが、その狙いは成功していると思います。
    東京・赤羽にある小さな出版社から6年前に刊行され、書店には並んでいないかもしれませんが、注文して読む価値があります。心地よい嘘に流されないためにも、読むべき本です。

  • 関東大震災の時に起きた、自警団や警察、軍隊による、朝鮮人、中国人の虐殺の記録。
    内容は読んでいて気が重く時に気分が悪くなりますが、文章は平易で読みやすく、わかりやすくまとまってます。
    作者は本の中で「事実を「知る」こと以上に「感じる」こと」をもっとも大事にしたいと述べていますが、その意図は感じられます。
    もちろん、これまでにも関東大震災の時の虐殺を扱った本はありましたが、今、この時期にこうした本が出されることの意味は大きいとおもいます。関東大震災での朝鮮人虐殺は、最近話題となった「ヘイトスピーチ」が具現化したものに他ならないということが、良く理解できます。
    2005年のハリケーン・カトリーナの災害のあとに、ニューオリンズでも似たような事が起きていたことは、初めて知りました。

  • 90年前1923年9月1日関東大震災と「その後に起きた出来事」の丹念な調査報告である本書は、淡々とした証言の記述と時系列と地理情報の整理の中でその土地の現在の姿(写真)を重ね合わせる構成はかえって血生臭い事実が際立ち、メディア未発達時代ゆえの流言デマで暴走した庶民と歴史の授業では教わったような気がするけども、当時官憲すら率先して信じてそのデマ拡散尽力した事実や、また火事場に紛れて軍部に謀殺された朝鮮人のみならず中華系労働者らの正気を疑う事実も知れます。

    改めて思うのは、この僕らの曽祖父にあたる日本人と外地人の間で起こった出来事は「昔話」としては簡単に片づけられないでしょうと。2011年3月11日東日本大震災から福島原発事故に至るいまだなお終わりの見えない情報錯綜の中で扇動者の熱狂と傍観者の鈍麻を見てきた以上。

    その中でも被害者を体張って守ろうとした日本人、それは一人の警察署長であったり、一人のキリスト教徒であったり、一人一人が生活レベルから朝鮮人と関係性を築いた市井の人々だったり、そんな彼らがちゃんと居てくれたことに安心を感じてしまう自分に情けなさを覚えつつ、果たして自分がその現場に立った時に、一人の朝鮮半島人を群衆で囲んで難詰し罵倒し殴り蹴り叩きのめし、あげくに鳶口で頭を突き立てるような側に立つのか?己が信条からか己が生活感からか移民を守る盾となる側に立ちえるのか?またなんて惨いことだ酷いことだと思いながら傍観者側に隠れるのか?一番目ではけしてないだろうと信じられる(信じたい)自分がいつつ、三番目の簡単な選択に落着してしまいそうで正直な無力感を覚える。

    一つ思うのは、自然災害自体よりも自然災害後に起きる「何か」が決定的に怖く、仮に生き延びることができて一旦災害を乗り越えたという自覚を得たら、その動揺不安をまずは鎮め、次にやってくる「何か」に備えて、大量に出回るであろう「情報」に対して冷静に対処できる能力を築いておきたい。

  • 人間はどこまで残酷になれるのか。
    1923年の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の証言を丹念に集めた労作。
    この3月に出版されたばかりです。
    これは決して誇張ではなく、あまりにも凄惨な描写に、読みながら何度も目を固く閉じました。
    でも、同時に目を逸らしてはいけないとも思いました。
    いま学ばなければいけない教訓が、ここにはあるからです。
    著者も言及していますが、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」などという差別的で無慈悲なプラカードを掲げた在特会のデモが数年前から問題視されています。
    この3月には浦和レッズのサポーターがサッカー場で「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げ、問題となりました。
    私はナショナリストとして人後に落ちないと自負していますが、誤解していただいては困ります。
    彼らは愛国者などではありません。
    ただの人種差別主義者、レイシストです。
    外国人(特に韓国人、中国人)排斥の動きは近年、マグマのように噴き出しています。
    いま、外国人居住者がかつてとは比較にならないほど増えた東京で大きな地震が起きたら、どうなるのだろう。
    再び外国人虐殺が起きることはないのか。
    私は本気で懸念しています。
    震災に見舞われた極限状態の中で、在特会あたりが
    「中国人がこの機に乗じて窃盗を繰り返している」
    「韓国人が集団で日本人に暴行を加えている」
    などとデマを流せば、不安に駆られた日本人被災者はかつてのように自警団を組織し、罪のない外国人を捕まえては暴行するのではないか。
    群集心理を侮ってはいけません。
    90年前の悪夢がよみがえります。
    しかも、いまは1923年の関東大震災時とは別種の懸念材料を抱えています。
    携帯電話にコミュニケーション手段をほぼ全面的に依存している若者が、震災でその手段を絶たれたら、パニックの度合いはいや増しに増すのではないか。
    関東大震災では情報の不足が暴力行為を後押しした側面があります。
    いまは平時と非常時の情報量のあまりの落差が、暴力行為を後押し方向に作用するのではないか。
    他人事ではありません。
    私はこれを自分事として読みました。
    環境次第では、私だって本書に登場する加害者のようにならないとも限りません。
    震災が起きて外国人が日本人を暴行している→家族を殺された日本人もいると同胞が異口同音に語る→身の危険は自分の家族にも迫っている→結束して外国人に対抗しよう―。
    悪い条件が幾重にも重なった時、それでも理性を保てるほど人間は強くありません。
    また、そのように自覚しておくべきとも思います。
    いま、本当にいま、ぜひとも読んでおきたい一冊です。
    これも決して誇張などではありません。

  • 「無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる『大和魂』に対して、心からの侮辱と憎悪を感じないわけにはいかなかった。ことに、その愚昧さと卑劣と無節制とに対して」(江口渙「車中の出来事」)

    関東大震災の時の“朝鮮人虐殺”(間違われた日本人、間違われたのか間違ったふりをされたかの中国人も多数)がどれだけむごいものだったか。
    証言を読むのは辛いが、こんな安全な場所で辛いなんて思うこともいたたまれないほどの酷さ。
    人間はこんなに愚かでむごいことができてしまう。
    私もできてしまうだろう。
    それを押しとどめるものの一つが、歴史を知るということ。
    決して忘れたふりはするまい。

  • ずっと読もうと思っていたが、なかなか手に取れなかった。今回手に取ってからも、ずっと続けて読み続けることはできず、少しずつ日にちをかけてしか読めなかった。人ってこんなに残酷なことができるのだなぁと人であることが嫌になった。
    これは「遠い昔の関東大震災」のことではないと思う。よほど気を付けておかないと、今でも起こりうる。在日コリアンへのヘイトは今も続くし、他の外国人の数は大正時代の何倍もの数だろう。何か犯罪があったら「外国人」と決めつけるSNSの投稿は信じられない数だ。
    政府や自治体や警察を何か信じられない気持ちがある。実際、関東大震災時は軍や警察が虐殺に加担していた事実がある。
    普段は普通に暮らしている人たちが、虐殺に加わった。恐怖から。何の証拠もない、口コミから。そんな自分たちであることを自覚するために、この本を読んでおかなければと思う。

  • アトロクにて、9月になると毎年宇多丸さんが話題に挙げるので、読まねばなと思っていたら行きつけの図書館にあった。
    元々「関東大震災朝鮮人虐殺事件」を否定する立場ではなかったけど、この本を読み進めると「あったこと」に間違いはないと思うに至った。

    民衆だけでなく警察・行政・軍までもが流言に惑わされ、そして彼らの言葉によってそれが事実であると民衆が誤認し、自警団らの行動が激化していく。並行してル・ボンの『群衆心理』に関連した本も読み進めていたので、『人間が普遍的に持つ醜さにすぎないといえばそれまでである』とか『前日に熊谷で繰り広げられた惨劇の「高揚」に感染した』というあたりは、まさにそうだなと感じる。

    レベッカ・ソルニット著『災害ユートピア』から「エリートパニック」という言葉が引用されており、なるほど。と思った。ソルニットは別な著作を読んでいて、『群衆心理』とともに読書が繋がっていく体験ができたのが嬉しい。

    著者の言葉として、『事実を「知る」ことよりも「感じる」こと』をこの本で大事にした、と書かれている。「朝鮮人虐殺がなかった≒朝鮮人による暴動が本当にあり、それに対する防衛であった」とする人々は、なにを知り、なにを感じたんだろう。

  • 全日本人必読の書。
    穏やかな精神状態ではとてもじゃないが読めない。歴史を知ることは辛い営みでもある。でも避けては通れない所業でもある。どうか高校生あたりでの課題図書に認定してほしい。

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著者プロフィール

1967年東京生まれ。おもな著書に『九月、東京の路上で』『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ともにころから)、『謀叛の児』(河出書房新社)など。

「2023年 『それは丘の上から始まった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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